オススメ本紹介 2010

永井オススメ!

直島銭湯 Iラブ湯

  • 9月6日 up
  • 大竹伸朗
  • 出版社:青幻舎
  • 価格:1,575円(本体1,500円+税)

今年、瀬戸内国際芸術祭の会場の一つとしてにぎわう「アートの島」直島。 この島で2009年7月から営業を開始しているのが、大竹伸朗による「直島銭湯 Iラブ湯」である。 それは本物の銭湯であると同時に芸術作品でもある。 ということはすなわち風呂に浸かりながら(とうぜん裸で)芸術作品を 鑑賞できるということであり、このような行為が公然と許されるのは、 まさに銭湯という公衆浴場であるからにほかならないのであって、 まことにもって快挙である。壮挙である。

本書は、この類稀なる、唯一無二のと言ってもよい、 銭湯であり芸術、芸術であり銭湯の、外観から浴室、脱衣所、そして便器にいたるまでを あますところなくジャバラ式に収めたビジュアルブックである。 しかもA7判(文庫本の半分)という超コンパクトな手のひらサイズ。 この小さな小さな一冊に、大竹伸朗のすべてが凝縮されていると同時に、 ひとたび開けばパノラマ的に広がっていくのだから、まことにもって壮観である。快感である。

吉江オススメ!

忘れない 忘れない

  • 8月18日 up
  • 渡辺やよい
  • 出版社:早川書房
  • 価格:1,680円(本体1,600円+税)

「忘れない」「忘れる」どちらがしあわせか

交通事故の後遺症で12歳の知能で止まってしまった母と それを承知で結婚した父、ふたりの間に生まれた男の子・未来 (みき)は5年生。

母の記憶障害は日常生活の何気ないことにも支障をきたすけ れど、理解ある父となんだかんだと不満を感じつつも健気な未来 で彼女を支え、トラブル続きの毎日ながらそれなりに明るく暮ら している。どんな家庭であろうと少なからず抱える問題とそれは たいして変わらないかもしれない。実際、未来の同級生にも複雑 な環境の子がいる。

母がこういう失敗をしました、父が、未来が、助けました。み んなが協力して笑ったり泣いたりして日々が過ぎていきます・・・ これで終わればこんな幸せなストーリーはない。

読み進むにつれて事実が少しずつ明かされていく、その重さと いったら一体なに?と叫びだしたくなる。

この家庭のそれぞれが「知っている」ことと「知らない」こと、 「忘れてしまった」ことと「忘れない」ことを抱えている。しかも それは、ああ、過去にこういうこともあったね、などと笑ってすま されるようなことではない。<記憶障害>だけで終わっていればど んなに救われることだろうかと思えるほどだ。

<記憶障害>というキーワードで、「博士が愛した数式」を思い 出す方もいるだろう、でも、あんなに切なくロマンチックな涙は流せ ない。

永遠に忘れてしまったほうがいいこともある、知らないほうがし あわせなこともある。ただ、それらを胸に秘めて一生をおくるのは自 分の中で解決はつくのだろうか。もしこれから先のいつか、父母そし て未来が真実を知る時が来たら?しかし逆に「知らなかった」「知ら せなかった」からこそ築けるしあわせもここにはあるのだ、とも言え るのだろう。

(いきなり素)ああああ~、なんだか、わかったようなわからな い文ですね。あんまり説明するとネタバレなのですよ、これって。一 筋縄じゃいかないんですもん。なんじゃこりゃ?わかんないよ!とい う方はやっぱり買って読むしかないですね。早川書房のカタガタも激 しく感動したそうです!!

永井オススメ!

パラモデル

  • 8月13日 up
  • パラモデル
  • 出版社:青幻舎
  • 価格:2,625円(本体2,500円+税)

みなさま、パラモデルをご存知ですか?  このプラモデルみたいな名前のパラモデルとは、 ともに東大阪出身の林泰彦と中野裕介が、「極楽模型制作」をテーマに、 2001年に結成し現在に至るアーティスト・ユニットである。

みなさまご存知のプラレールが、床に壁に天井に、 無限に伸びてゆく「paramodelic graffiti」、 これまたみなさまご存知のトミカのトラックの荷台に、 寿司ネタサンプルを載せた「トミ寿司」といったインスタレーションや、 絵画、オブジェ、写真、アニメーションなどなど。 あらゆる表現方法を用いて、多面的な作品世界を展開している。

あふれんばかりのおいしいネタを満載し、 縦横無尽に敷いた青いレールの上を疾駆する、 壮観圧巻抱腹絶倒、東大阪が生んだ驚異の二人組、 パラモデルの全貌が、これでもか。というくらいに詰まったこの一冊。 ご存知なかった方は、ぜひこの本を開いてみてください。 きっとたぶんおそらく、みなさまの前にはパラモデルの 「極楽」すなわちパラダイスが広がっていることでしょう。

本書は6/26から8/1まで、西宮市大谷記念美術館において開催された 「パラモデルの 世界はプラモデル」展の公式カタログでもある。 余談ですが、ワタクシ、どうしても観たい!  ということで、観に行ってしまいました!  かつてプラレールとトミカで遊んだワタクシには、ツボです。ドツボです。

永井オススメ!

北欧紀行 古き町にて

  • 8月2日 up
  • 東山魁夷
  • 出版社:講談社
  • 価格:3,000円(本体2,857円+税)

1964年に、限定100部・定価15万円で出版された、 東山魁夷の画文集が、このたび、復刻普及版として刊行された。 まずはそのことじたいをよろこびたい。しかし、よろこびはそれだけにとどまらない。 この本は、誰もが親しめる、心あたたまる、とてもすてきな一冊なのである。

東山魁夷といえば、いうまでもなく日本画の巨匠であり、 その静謐な作品世界は、今も多くの人々に愛されているが、 本書は日本画の静謐とは趣を異ににして、収められている作品はすべてリトグラフであり、 あの東山画伯が、と思うほど、モダンな感覚に満ちている。

デンマーク、スウェーデン、ノルウェー、フィンランド、 そしてふたたびデンマークへと巡る旅を記す文章の随所に散りばめられた、 風景や建物、人物、静物、花、鳥などの大小の挿絵が、 なんともいえずかわいらしい。ページをめくっていると、 なんだかおとぎ話を読んでいるような気分になってきて、思わず微笑んでしまうのだ。

繰り返しになるけれども、ほんとうにすてきな一冊。プレゼントにもおすすめします。

永井オススメ!

カチンの森

  • 7月28日 up
  • ヴィクトル・ザスラフスキー
  • 出版社:みすず書房
  • 価格:2,940円(本体2,800円+税)

1940年の4月から5月にかけ、ソ連西部カチンの森で、 ポーランド軍の捕虜将校約4400人が、ソ連秘密警察によって銃殺された。 他の収容所で殺害された人々をあわせると、22000人以上のポーランド人が犠牲となった。 軍人ばかりでなく、医師や大学教授、裁判官、司祭、教師など、 ポーランドのエリート層をことごとく標的とした。 それは国を指導する階級を抹殺し、国家を消滅させる意図を持った「階級浄化」であった。

スターリンのソ連はしかし、この虐殺の罪をナチ・ドイツに着せようとする。 連合国側の各国政府もこれに同調し、隠蔽工作に加担した。 戦後も長い間、沈黙と疑惑の闇の中にあったカチン事件は、 1990年、ゴルバチョフの時代に、ソ連がようやく事実を認め、 92年にはスターリンが署名した銃殺命令書が閲覧できるようになる。

なぜカチンの虐殺は起こったのか。なぜ隠蔽されつづけたのか。 本書では、事件そのものはもとより、そこに至るまでのポーランドとソ連の緊張、 ナチ・ドイツと締結した独ソ不可侵条約との関係、 冷戦期における連合国間の政治的思惑などを丹念に記述し、この事件の全体像を明らかにしている。

「カチンの森」に関する書籍は、欧米では数多く刊行されているようだが、 日本語訳の出版は本書が2冊目だそうである。 ナチ・ドイツによるユダヤ人虐殺に匹敵する、 全体主義国家が犯した大きな犯罪の一つであるこの事件を知る機会として、 ぜひ読んでいただきたい一冊である。

永井オススメ!

惡人

  • 7月18日 up
  • 束芋
  • 出版社:朝日新聞出版
  • 価格:1,890円(本体1,800円+税)

朝日新聞を購読しているならば、これらの絵に見覚えがある、 という方も多くいると思われるが、 2006年3月から2007年1月にかけて連載された 吉田修一の小説『悪人』の挿絵が一冊の本になった。

日常生活の「闇」を描き、絡まる「髪」を描き「指」を描く束芋の『惡人』は、 連載された挿絵のすべてを収録し、掲載時の色をできる限り再現するために、 新聞紙に近いザラっ、とした紙を使用し、見開きのページを入れたりして、新たに構成している。

とくに、絵の脇に、あるいは絵と重なるように、 新聞から切り抜かれて貼り付けられたような行や語句が、 文字の力を思わされるとともに、絵の力をもさらに増幅させ、 「惡」がこちらに迫ってくるようで、グロテスクでコワイのだけれども、 闇の向こうにどこかユーモアが感じられるのが、束芋の絵の面白さである。

9月には映画も公開される。よく小説の映画化というと、 原作と映画どちらが優れているか、なんてことが言われたりするが、 今回は小説、映画、そして挿絵、という三つ巴のバトルになるのが楽しみである。 映画を観ながら挿絵を思い出してみるのもいいし、この本を持参して映画を観るという手もある。

判型は朝日文庫版上下巻にあわせて文庫サイズ。 巻末には文庫版のページとの対応表も付いているので、 『悪人』と『惡人』、両方を開いて、想像力をふくらませつつ、 妄想力もふくらませつつ、じっくり読むのもよいでしょう。

永井オススメ!

文士厨房に入る

  • 6月4日 up
  • ジュリアン・バーンズ
  • 出版社:みすず書房
  • 価格:2,520円(本体2,400円+税)

食材と調味料と調理器具があれば料理ができる。というわけではないことを、 料理ができない、あるいは苦手な者、とくに男性諸君はよーく心得ている。 目の前に肉やら魚やら野菜やらが並んでいても、それらからいったいなにができるのか、 完成予想図すら描けないのだから、作りようがない。

料理ができる。とは、私自身が抱いていたイメージでは、 あり合わせの材料を、慣れた手つきでちゃちゃっ。と調理して食卓に出す姿であり、 とうていそのようにはなれそうもないから、私はろくすっぽ料理をしないまま、 外食産業とコンビニ弁当を友として生きてゆくのか、と暗澹たる気持ちでいたのであるが、 そこに登場した英国の実力派作家、ジュリアン・バーンズの料理エッセイは、 大いに希望と勇気を与えてくれる。

我らの強い味方、バーンズ先生は、自ら料理を作り、味わうことが大好きなのであるが、 器用にちゃちゃっ。の方ではなくて、料理本を見ながらでないと料理ができないのである。 所持する料理書はおよそ百冊。何十種類もの調理器具を駆使し、あるいは引き出しの中に眠らせ、 本のページを繰りつつ、日々料理にいそしんでおられる。

レシピを忠実に守って料理したい先生、そこはやはり文士であるから、文章が気になってしかたがない。 レシピのあいまいな記述に困惑し、腹を立て、ときにはページの余白に悪態を書き込み、 完成写真とのギャップには目をつぶる……

そのけなげな悪戦苦闘ぶりを、ユーモアたっぷりに、 そしてちょっぴり皮肉を利かせて綴ったこのエッセイを読み進めるうちに、 私自身、料理をしてみたいなあ、という気持ちが湧いてきて、 今度こそは、目指せ!厨房男子。との思いを強くした。

「思いだけじゃなくて、じっさいに作りなさい!」という声が、どこからか聞こえてきそうだが…

永井オススメ!

江戸猫 浮世絵猫づくし

  • 5月28日 up
  • 稲垣進一、悳俊彦
  • 出版社:東京書籍
  • 価格:1,995円(本体1,900円+税)

いま巷で一番人気の猫といえば、やはり猫村さんであろう。 私も愛読者のひとりであるが(『カーサの猫村さん1』マガジンハウス刊。絶賛発売中!)、 時を遡って、江戸時代の猫といったら、なんといっても国芳の猫である。

手を変え品を変え、江戸の庶民を楽しませた国芳の猫たちは、 ある時は役者となり芸人となり、またある時は何匹も寄り集まって当て字をつくり、 そして定番中の定番の化け猫となり、猫じゃ猫じゃを踊る猫になりと、大車輪の大活躍ぶりである。

本書は「江戸猫」と称して、浮世絵に描かれた猫を集めているのだが、 はっきり言ってほとんど国芳(とその一門)の作品で占められている。 はっきり言って偏っているのだが、そういう偏りはけしからんのかといえばそうではなくて、 それまで絵の中では添えもの扱いであった猫を、堂々主人公に押し上げてさかんに描いたのは国芳であり、 国芳の猫がなかったら、そもそも一冊の本にならないのだから、これでいいのだ。

猫好きの方はもちろん、御婦人や御子様ばかりでなく、けっこういい年こいたおっさんでも、 思わず「カワイイッ!!」となってしまうことは請け合いである。 げんに、けっこうなおっさんであるこの私がそうなのだからにゃー。

永井オススメ!

サッカーが勝ち取った自由

  • 5月28日 up
  • チャック・コール、マービン・クローズ
  • 出版社:白水社
  • 価格:2,100円(本体2,000円+税)

今年、アフリカ大陸初となるサッカー・ワールドカップが、南アフリカで開催される。 長い闘いと、多くの尊い犠牲を払ったすえに、アパルトヘイトを撤廃し、 新しく生まれ変わったこの国の現在の姿は、サッカーによって築かれた、と言っても大袈裟ではないだろう。

1960年代、アパルトヘイトに反対し、抵抗した何千人もの政治犯が、悪名高きロベン島刑務所に収容された。 採石場での重労働、刑務官の暴力や懲罰に耐える過酷な生活のなかで、 受刑者たちは、サッカーをする許可を要求する。もちろんはじめからすんなり認められるはずもなかったが、 彼らは政治思想や立場の違いを超えて一致団結し、何年にもわたって要求しつづけ、ついにその許可を得る。

しかもそれは、ただボールを蹴って遊んだ、というような話ではない。 彼らは本格的に競技に取り組むために、マカナサッカー協会を設立した。 それはFIFA(国際サッカー連盟)のルール、理念と規定を順守する組織であった。 刑務所側との粘り強い交渉によって、受刑者たちは自らの手でサッカー場をつくり、 試合で使用するボールや着用するウェアを調達し、以来約20年間、毎週リーグ戦を実施したのである。

組織の運営にあたっては、すべての事柄について必ず書類を作成し、 みんなが話し合いに参加して議論を尽くす、という姿勢で臨み、 何度か訪れたリーグ存亡の危機にも、その姿勢を貫いた。 1976年のソウェト蜂起後に収容された、直情的で好戦的な若い世代に対しても、 彼らを粘り強く説得し、刑務所側との交渉も、そしてサッカーのプレイでも、 身をもって思いを伝えることによって、世代間の団結をも勝ち取ったのである。

ロベン島で彼らがサッカーを通して自ら学び、身に付けた団結や交渉術、組織運営の手法は、 現在の南アフリカという国の礎である。この島でサッカーに携わった人々が、 実業界や法曹界や大学などの各方面で、そして政界でも第一人者として活躍している。 現職の大統領ジェイコブ・ズマも、かつては名プレイヤーの一人であった。

永井オススメ!

イェイツ―自己生成する詩人

  • 5月12日 up
  • 萩原眞一
  • 出版社:慶應義塾大学出版会
  • 価格:735円(本体700円+税)

ノーベル賞詩人、W・B・イェイツ(1865-1939)は晩年、 老化による肉体的衰えからくる創作意欲の低下に悩み、1934年にシュタイナハ手術を受けた。 シュタイナハ手術とは、このごろで言うところのアンチエイジング、 一種の回春すなわち若返り手術であり、主として性的能力の回復をその目的としていた。

あのイェイツが、そんな手術を受けていたとは、にわかに信じがたいことであるが、 だからといってキワドイ話というわけではなくて、本人にとっては、 文学的にけっこうどころか死活問題のマジメな話である。

イェイツにとって、詩作と性愛は不可分の関係であった。 性的能力の減退は、詩的想像力の枯渇につながる。裏を返すと、 何らかの手段で性的能力を蘇生させれば、詩的想像力も復活する、というのだ。

それまで意気消沈し、まったく自信を失っていたイェイツは、 シュタイナハ手術によって、まるで別人のように元気溌剌として、 もちろん詩的想像力も回復し、旺盛な創作活動ぶりを見せたのである。 それが実際の手術による効果なのかどうか、どうも疑わしいらしいのであるが、 それによってイェイツが「自己生成」を遂げ、作品に結実したことは事実であり、 その意味では嘘とは言えないのだから、それは本当なのであろう。

          

永井オススメ!

図説鉄道パノラマ地図

  • 5月7日 up
  • 石黒三郎+アイランズ編
  • 出版社:河出書房新社
  • 価格:1,890円(本体1,800円+税)

爽やかな陽気の休日、絶好の行楽日和には、いわゆる「乗り鉄」ならずとも、 鉄道に乗って小さな旅をしてみたい、と思う人が少なからずいるものと思いたいが、 そういう人が少なからずいたと思われるのが、大正から昭和初期である。

この時代、鉄道各社は競って沿線案内地図を発行した。いまでいうリーフレットである。 これを開くと、路線図とともに沿線のパノラマ地図が描かれ、山あり川あり海あり、 神社仏閣遊園地ありの、眺望絶佳の鳥瞰図が展開する。

とりわけ各社イチオシの観光スポットや、自社経営の娯楽施設は、 やたらと大きく、かつ詳細に描かれ、これでもか、というくらいに強調される。 その、現実にはあり得ない、あからさまな誇張が、鉄道パノラマ地図のたまらない魅力である。

目の前に、というよりも眼下に広がる地図を見ているだけで、 各路線に乗って出かけてみたくなるし、大正・昭和初期へのタイムトリップ気分も楽しめる。 さらには、このパノラマ地図そのものを旅する自分。なんてことを想像すると、 あまりの愉快さに頭の中が行楽日和になったようで、まことにおめでたいトリップである。

          

永井オススメ!

バンクーバー朝日物語

  • 4月28日 up
  • 後藤紀夫
  • 出版社:岩波書店
  • 価格:2,205円(本体2,100円+税)

冬季オリンピックの開催地として記憶に新しいカナダのバンクーバーは、 じつは日本と日本の野球史に縁の深い都市である。

19世紀の終わりから20世紀初頭にかけて急増したカナダへの移民は、 その多くがバンクーバーを中心とするブリティッシュ・コロンビア州に居住し、 製材業や漁業、鉱山労働などの仕事に就いた。 低廉な賃金で勤勉に働く日系人は、はじめのうちは歓迎されたが、 やがて日系人の存在によって職を奪われた白人側から、排斥運動などの差別を受けることになる。

こうした厳しい時代のなか、1914年(大正3)、 日系人の野球チーム「バンクーバー朝日」が誕生した。 地域のリーグに参加した朝日は、白人選手に比べて体格で劣る面を、 堅い守備と、盗塁やバントを多用する「頭脳野球」によってカバーし、 白人チームと互角、あるいはそれ以上の戦いぶりを見せた。

フェアプレーの精神に徹し、白人からも絶大な支持を得て、 バンクーバーで最も人気のあるチームとなった朝日は、 カナダの日系人の誇りであり、あこがれであり、希望であった。 1935年(昭和10)には、北米遠征中の東京巨人軍と試合をし、 沢村栄治、スタルヒン、水原茂といった、日本の球史に名を残す名選手たちと対戦している。

1941年、太平洋戦争の勃発とともに、朝日は解散消滅を余儀なくされ、 メンバーは強制移動などで散り散りとなり、日本とカナダのあいだで揺れ動き、 翻弄される苦難の年月を送った。戦後も長く歴史のなかに埋もれていたが、 その消滅から60年以上を経た2003年、バンクーバー朝日はカナダ野球殿堂入りを果たし、「復活」する。 この時を元気に迎えることのできた10人のメンバーの誰もが、予想外の喜びとともに残した、 「もう少し早ければ……」という言葉には、彼らの万感の思いが込められている。

野球というスポーツを通じて、日本とカナダとの友情の架け橋となったバンクーバー朝日。 そこでプレーした選手たちの、そして朝日を応援した人々の、 野球を愛する熱い思いの詰まったこのチームは、カナダの野球界ばかりでなく、 日本の野球史を語る上でも、貴重な足跡を残していると言っていいであろう。

          

永井オススメ!

図地反転

  • 4月23日 up
  • 松田行正
  • 出版社:美術出版社
  • 価格:2,625円(本体2,500円+税)

「ルビンの壺」をご存知の方は多いであろう。 見方によって、壺になったり、向かい合う顔になったりする、あの絵である。 それまで目立たぬ「地」であったものが、一瞬にして「図」となり、 一度見えてしまったら、「図」と「地」はたえず反転を繰り返し、つねに壺と顔とを往き来する。

こうした「反転」は、「ルビンの壺」のようないわゆる錯視図形だけに限られたものではなくて、 われわれが目にするさまざまな図像も、デザイナー松田行正氏にかかれば、クルリと「反転」するのである。

たとえば、各国の軍用機に付いている機体マークであるが、 これは四角い国旗を円くしたものがほとんどで、 主に旗の色(三色旗が多い)をベースとしているために、 まるで、撃って下さい、と言わんばかりの標的に見えてしまう。

十字架も、時代と場所などによって、多様な意味を持つ。 それはキリストの磔刑であり、信仰のしるしでもあり、 十字軍でもあり、植民地を示す記号でもあり、赤十字でもある。

身近なところでいえば、将軍マークの仁丹や、 ラッパのマークの正露丸(「正」はもと「征」であった)のネーミングも、 その由来を一度知ってしまうと、そのマークはもはやたんなる薬の商標ではなくなり、 ちがった意味を持って見えてくる。

そして、全体よりもディテールを志向する日本人の心性を指摘した、 『「縮み」志向の日本人』を、松田氏は見事に「反転」させる。 日本人の縮み志向の特徴を、所有格助詞の「の」と見て、 石川啄木の短歌「東海の小島の磯の白砂に…」を例として挙げ、 各単語をつなぐ「の」が、縮小のスイッチになっているというのだが、 松田氏はこれを、むしろ顕微鏡の倍率をどんどん上げていくがごとくに拡大している、 と見るのである。

ものの見方を変えてみる。視点を変えてみる。すると、ときには「おぉ…」と感嘆し、 ときには「あっ」と声を上げたくなるような新鮮な驚きがある。 それは、いままでたった一つだと思っていたものが二つ、あるいはそれ以上になるのだから、 二倍三倍それ以上に楽しいことであり、そのぶん世界は確実に広がっているのである。

ちなみに松屋銀座も登場します。読んだら、行って確かめたくなります。

              

永井オススメ!

長谷川[リン]二郎画文集 静かな奇譚

  • 4月7日 up
  • 土方明司監修
  • 出版社:求龍堂
  • 価格:3,150円(本体3,000円+税)

美術評論家であり画商でもあった、「気まぐれ美術館」の洲之内徹によって、 ほぼ「発見」に近いかたちで紹介され、その存在を世に知られるようになった長谷川[リン]二郎であるが、 知られた、とはいっても、世間一般的に知られているわけではなくて、 当時も、そして今でも、「知る人ぞ知る」画家であり、「謎の画家」とも「幻の画家」とも言われている。

ほぼ独学で絵を学び、個展を中心に活動した[リン]二郎は、画壇との付き合いもほとんどなく、 静物にしろ、風景にしろ、対象が目の前にないと描けないタイプであった。 しかもそれを徹底したために、遅筆であるのはもちろん、完璧を目指すがゆえに、 かえって描きかけのまま完成しないものも多かったらしく、したがって寡作であった。 すなわち、彼の作品は人々の目に触れる機会が少なかったのである。

表紙にもなっている『猫』は、片方のひげがない猫として、 [リン]二郎の作品の中では、もっともよく知られている。 一見、かわいい猫の寝姿であるが、この猫は、一年のうちのある特定の季節のみ、 まったく同じポーズで寝たのだそうだ。その季節が終わると、 徹底的に対象を目の前にして描く[リン]二郎は、次の年の同じ季節になるまで待つのである。 逆に言えば、まったく同じポーズにならなければ描かないのである。

[リン]二郎の作品に描かれるのは、花、野菜、瓶、器、さらには空箱や紙袋といった、 きわめて日常的な題材である。写実を突き詰め、写実に収まりきらず、写実を突き抜けて幻想的である。 シュルレアリスムと言ってもよいであろう。 ただしそれは「解剖台の上でのミシンとコウモリ傘の出会い」という類とは異なり、 その静謐な画面には、「シュルレアリスム」という言葉でさえ生半可なものに聞こえるほどの、凄味が感じられる。

洲之内徹は、[リン]二郎の絵を「この世のものとは思えない趣さえある」と評した。 それにたいして[リン]二郎は、この世のものとは思われないのは目前の現実であり、 目前にある現実が、この世のものとは思われないような美に輝いている事実である、 と言い、また、自分が描いているのは実物によって生まれる内部の感動だから、 実物を描いているのではない、しかし、それは実物なしでは生まれない世界である、とも言う。 そして、「現実は精巧に出来た造られた夢である」と。 いま、われわれが長谷川[リン]二郎の作品を目前にするという現実は、 それこそ精巧に出来た、素晴らしい夢である。

              

永井オススメ!

ペンギンブックスのデザイン

  • 3月31日 up
  • フィル・ベインズ
  • 出版社:ブルース・インターアクションズ
  • 価格:2,940円(本体2,800円+税)

いわゆる「ジャケ買い」という言葉には、「衝動買い」に近い響きがあって、 思慮分別のないものの買い方のようであるが、若干の後ろめたさを感じつつも、 それが楽しみでもあるのは、当然ジャケすなわちジャケットに惹き付けられるからである。

本屋の店頭で、まず最初にどうしたって目に留まるのが本の表紙であってみれば、 そのデザインが、全面的とまではいかなくても、購買意欲をソソる大きな要素であることは間違いない。

ペーパーバックの代名詞、ペンギンブックスは、1935年の創刊以来、 読者の「ジャケ買い」心を刺激する、すてきな表紙デザインを数多く世に送り出してきた。 それは本書に収められた豊富な図版を見れば一目瞭然で、中身をパラパラとめくらなくても、 表紙だけであれもこれも、思わず「欲しい!」となってしまう。

しかし、ペンギンブックスの表紙であれば、いつの時代の、どれをとっても優れたデザインであった、 というわけではない。この本のエライところは、優れていないデザインもまた、 その歴史の一部として、きちんと紹介していることである。 その優れていない例として挙げられている表紙を見ると…その通り、ソソらないんだな、これが。

いくら表紙が魅力的でも中身がダメなら売れないのは言うまでもないけれど、 中身がよくても表紙がダメだとやっぱり売れないのである。 20世紀イギリス文学の巨匠グレアム・グリーンに、こんな逸話がある。 自分の作品の表紙に付いていたイラストを、作家本人の要望で取り去ったところ、 売り上げがガタ落ちし、あわててイラストを復活させたことがあるのだ。 これはもちろん図版とともに紹介されている。 大作家の作品でさえそうなのだから、ジャケの魔力、おそるべしである。

今でこそ、昔に比べたらその影響力は相対的に低くなっているのかもしれないが、 棚に並ぶ背表紙のロゴを見れば、どんなに小さくても、 そこにいるのがペンギンであることはひと目でわかるのだ。 それは、この出版社が築き上げてきた歴史の力である。

巻末では、創刊から現在に至るまでのロゴの移り変わりを一覧できる。 なんと多くのペンギンたちが、胸を張り、右を向いたり、左を向いたり、 ときには踊ったりしながら、この出版社の仕事ぶりを見届けてきたことか!

              

吉江オススメ!

エデン

  • 3月28日 up
  • 近藤史恵
  • 出版社:新潮社
  • 価格:1,470円(本体1,400円+税)

おまたせしました、ベストセラー「サクリファイス」(新潮文庫)の続編です!自転車ロードレースの舞台でスプリンターを 勝たせるためのアシストという役割を担う白石誓(しらいし・ちかう以下チカ)は日本を飛び出し世界を転戦し続け3年が過ぎた。 そしてついに憧れのツール・ド・フランスにたった一人の日本人として参加、期待と不安に押しつぶされそうになりながらも果敢に 挑むところから始まり対戦相手のレーサーの死へとストーリーは展開する。

前作の「サクリファイス」(犠牲)からいきなり「エデン」(楽園)である。レーサーなら誰でも夢見るツール・ド・フランスは 確かに生命と知恵の樹が植えられた園なのだろう。そしてそこには数々の禁断の誘惑があることも確かで、それを犯したものはエロヒ ムが追放したアダムとイヴと同じ道を辿ることとなる。

プロのロードレーサーはレースに参加して自分の役目を果たしてさえいればそれでいいというわけにはいかない。スポンサーあって のチーム、監督やチームメイトの思惑、対戦相手との距離、マスコミとの応対。仲間であってもそこに介在する詮議や嫉妬、裏切りと欺瞞。 徹底したプロ意識がなければ勝負だけではなく周囲の姑息な誘惑に引っかかり選手生命さえも失ってしまう世界にあってチカは迷いながら も揺らぐことなく進んでいく。前作に比べて「大人になったねえ、チカ!」と頼もしさを感じる。彼の成長が過酷な状況の中で芽生える友 情と信頼に繋がっていくシーンは骨太で爽やかだ。

チカの「人間の良さ」がこの物語の楽園である。他人の幸せを喜び、他人の不幸を悲しむことが出来る(当たり前のことだけど難しい) 「人としての良さ」は悪徳を乗り越える力がある。

チカの進む道はさらに険しく厳しいものであろうことは容易に想像できる。だからひとまわり大きく育った白石誓にいつの日かまた会い たい、と読者ならきっとそう願うだろう。

              

永井オススメ!

にほんごの話

  • 3月19日 up
  • 谷川俊太郎+和合亮一
  • 出版社:青土社
  • 価格:1,470円(本体1,400円+税)

本書は、日本を代表する詩人・谷川俊太郎さんが、現代詩人の旗手・和合亮一さんを聞き手として、 日本語をめぐるさまざまを語り合う対談集である。

二人は、特殊なことばのいとなみにたずさわる詩人であるというだけでなく、 谷川さんはかつて『にほんご』(福音館書店)という教科書をつくったことがあり、 和合さんは現役の国語教師でもあるので、「にほんごの話」をするには、最良の組み合わせであろう。

日本語教育の問題点についてはむろん、話し言葉と書き言葉、表層言語と深層言語、 オノマトペ、韻、暗唱、朗読などなど、興味深い話が次々に出てくる。 和合さんが用意した「中原中也から谷川俊太郎への質問」なんていうのもある。

そして、詩について。「現代詩人」和合さんの話に、「詩人」谷川さんが聞き手となるかたちで、 鋭い直球のツッコミを投げ込んでいく。詩の表面だけでない、それこそ突っ込んだ話のなかから、 和合さんがその旗手として担う、いわゆる「現代詩」の限界が顕わになった感がある。

「詩」と「現代詩」、「詩人」と「現代詩人」。この違いは大きい。 いっそのこと、「現代詩」「現代詩人」から「現代」を取っ払っちゃえばいいのに。 そうしたら、現代の(というのはヘンだけれど)日本語の詩はもっと世間に広がるのでは?  と、詩の素人、ことばの素人である一読者なんかは思ってしまうのである。

              

永井オススメ!

唄の旅人 中山晋平

  • 3月8日 up
  • 和田登
  • 出版社:岩波書店
  • 価格:2,625円(本体2,500円+税)

 中山晋平という作曲家の存在を、まったく知らなかった、という人も、 あるいは名前は聞いたことがある、というていどの人も、 「証城寺の狸囃子」「シャボン玉」「てるてる坊主」「肩たたき」といった童謡ならば、 老いも若きも幼きも、みんな知っているのではないだろうか。これらすべてが晋平の曲である。 童謡ばかりではない。歌謡曲の先駆とされる「カチューシャの唄」も、 「いのち短し、恋せよ乙女」のフレーズで知られる「ゴンドラの唄」も、 そしてなんとあの「東京音頭」も、彼の曲なのである。このほかにも、「新民謡」と呼ばれる、 いわゆるご当地ソングの数々を作曲するなど、中山晋平は、幾多の名曲を世に送り出した、 大正・昭和の大ヒットメーカーであった。

 その偉大な、国民的作曲家とも言うべき中山晋平が、 若き日には自分のの進路に煩悶し懊悩する臆病な性格の文学青年であり、 田山花袋『蒲団』のモデルとなった女弟子と文通したこともある、というのだから驚きである。 のちに作曲家となり、超売れっ子になってからも、自信を深めはしても、尊大になることはなかった。 この評伝から見えてくる晋平の姿は、自分の曲を歌う女性歌手の機嫌を損ねないよう、 細心の注意を払い、それでも一つ失敗をしてしまって青くなったり、 曲作りでコンビを組んだ野口雨情、西条八十、北原白秋を自分の「三人の主人」と呼び、 自分の曲に合わせるために詞を変えようとするときには深刻に悩んだり、 とくに結び付きの深かった雨情の没後、顕彰碑を建立するために自ら奔走するほどの義理堅さをみせるなど、 およそ大作曲家、大芸術家らしくないのである。

 しかし、それは意外でも何でもないのだ。晋平の曲、とくにその最大の業績である童謡の数々を聴けば、 そのことはおのずと納得できるであろう。晋平はつねに「子どもの歌は晴れやかな、明るいものに」という思いを込め、 子どもが歌いやすい音階で作曲した。彼の作る歌はいつでも民衆のためのものであったし、 彼自身もまた民衆の一人として、けっして威張ることなく、 人にやさしく、誠実に生きることができた人であったのである。

              

吉江オススメ!

Nのために

  • 2月6日 up
  • 湊かなえ
  • 出版社:東京創元社
  • 価格:1470円(本体1400円+税)

昨年8月に発売されたデビュー作「告白」でいきなり本屋大賞を受賞、松たか子主演で映画 化も決定したこの作品は1年以上経った今も売れ続けています。

野口、奈央子、希美、望、西崎、成瀬、野ばら荘。それぞれのNがNのために自らを犠牲に し、欺き、騙し・・・。愛するがゆえの破滅行為の連鎖はもつれにもつれて容易に解きほぐ すことが不可能な事態にまで発展していく。湊かなえお得意のモノローグ形式で語られる真 実は過去の作品よりもさらに裏の裏がある。各人とも幼少時代が要因となるトラウマに悩ま され屈折した感情を抱えながら生きているその様子が緻密に描かれ、彼らが犯罪者であるに してもこころの底からは憎めない。
愛する人のためなら、という一心で常軌を逸してしまった数々の行為を読者はどう受け止め るのだろうか。どんなに愛していても許されないことなのか、愛しているから何でも許せる のか。自分は登場人物の誰に近いのだろうか。今、ちょっと自分の周りを見渡してみて下さ い、アナタにとって<誰がNなのか>・・・。

湊かなえは登場人物を<和える>作業がとても上手い。<和えもの>(食べるやつネ)は各々 の素材が良くても組み合わせを間違えると、こんなはずじゃなかった味に仕上がってしまう。 意外に思える組み合わせが絶妙なテイストに変わるときもある。そして<白和え><胡麻和 え>などによって全く別のものになることだってある。
「いや~な終わり方」、「救いがない」と言われる湊作品に引き込まれる理由のひとつに<和 え方の妙>があるように感じる。もうお腹いっぱいだなあ、と思ってもついつい食べちゃうん ですよね。
実際の湊さんは(ほんのちょっとお目にかかっただけですが)あまりにかわいいおとなしいほ んわかした方なので、ナニカが憑依してミステリーモンスターと化し、書いているとしか思え ない。
ワイドショー風に言うと
「ま、まさかあの人がこんな・・・。」(絶句)
「信じられません、ご近所づきあいも良くて・・・。」(遠くを見つめる)
湊さん、ご近所にどう思われてるンだろ・・・?

永井オススメ!

明治留守政府

  • 2月5日 up
  • 笠原英彦
  • 出版社:慶應義塾大学出版会
  • 価格:2,100円(本体2,000円+税)

 明治4年に出発した岩倉遣外使節には、大使の岩倉具視をはじめ、 大久保利通、木戸孝允、伊藤博文といった、明治維新政府の首脳が名を連ねた。 その出発から帰国までの約2年間の政府を、「留守政府」という。 「留守」とは岩倉、大久保、木戸、伊藤らの留守であり、「留守政府」とは、 その呼称からして、これらの人物が政府の中枢であることを物語るものであり、 彼らが不在のあいだの、いわば留守番である。

 留守番とはいえ、その名前だけを見れば、太政大臣三条実美、西郷隆盛、 板垣退助、大隈重信など、こちらも錚々たる面々ではある。 だが、三条は政治的手腕が無く、西郷、板垣は実務能力を欠き、 三条が頼りにした大隈は、外交や財政には明るいが、調整力には乏しかった。

 また、使節出発前に海外組と国内組とで交わした「十二箇条の約定」は、 留守中の内政改革をめぐって、推進すべきか抑制すべきか、さまざまな解釈を生じ、 さらに、廃藩置県断行後の新しい政府組織として発足した太政官三院制もじゅうぶんに機能せず、 大蔵省の肥大化や予算のぶんどり合戦など、各省の独走を招いた。                           

 こうした矛盾や困難にもかかわらず、留守政府はその2年足らずの期間に、 秩禄処分によって士族の経済的特権を無くし、徴兵令を公布して国民皆兵への道筋をつけ、 地租改正による税制改革に着手するなど、数々の進歩的な施策を打ち出し、近代国家としての礎を築いた。 「留守政府」とは、ただの留守番ではなくて、じつは改革政権であったのである。

永井オススメ!

ギョッとする江戸の絵画

  • 1月28日 up
  • 辻惟雄
  • 出版社:羽鳥書店
  • 価格:2,940円(本体2,800円+税)

 趣味は絵画鑑賞です。絵を見ると心が安らぎます。落ち着きます。癒されます。 それはそれで絵画鑑賞の大きな効用であるが、そのいっぽうで、心が沸き立って、頭の中がお祭り騒ぎになる。 そういう絵画が少なからずあるのだ。本書で紹介される「ギョッとする絵画」こそがまさにそれである。

ここに登場する、江戸時代に生きた8人――岩佐又兵衛、狩野山雪、白隠、曾我蕭白、 伊藤若冲、長澤蘆雪、葛飾北斎、歌川国芳――は、奇抜な発想と大胆な構図や色彩で、 見る者に美的・芸術的な驚きと高揚感をもたらしてくれる。

 いまでこそ広くその名を知られるようになったこれらの画家たちであるが、 著者の先駆的業績である『奇想の系譜』(美術出版社、1970。現在ちくま学芸文庫)刊行当時の日本美術史界では、 もともとスーパースターであった北斎は別格として、主流からちょっと外れた二流扱いであった。 それがどうだろう、今日ではいずれも一流の画家として評価され、展覧会が開かれれば多くの人を集め、 鑑賞者の眼と心を魅了しているのである。

さあ皆さん、この超個性派勢揃いの江戸絵画スーパースター列伝を読んで、 「ギョッとする絵画」に瞠目し、心躍る芸術の効用を大いに楽しもうではないか。 巻末には、現代美術のスーパースター、村上隆との刺激的な対談を収録。

吉江オススメ!

新撰組幕末の青嵐

  • 1月23日 up
  • 木内昇
  • 出版社:集英社(文庫)
  • 価格:860円(本体819円+税)

「茗荷谷の猫」、「浮世女房洒落日記」も好調、坪内逍遥賞奨励賞を受賞し、今 今後ますますおもしろくなるであろう作家さん!と勝手に応援しまくっている大 好きな木内さんの、2004年にアスコムから出版された本が(現在入手不可) おまちかねの文庫に!

近藤、土方、山南、沖田、永倉、芹沢、齋藤・・・とおなじみの新撰組隊士の 面々。農民あるいは脱藩浪人でしかなかった彼らを時代の表舞台に引き上げ歴 史の重要人物として後世まで語られる存在にしたものとは一体何だったのか。 登場人物それぞれの思想、喜びと苦悩、思惑などが、まるでその場に居合わせ たかのような語り手によって描かれる。(わたしはそのアヤシイ語り手こそが当 時の江戸にポンと行ってきた木内さんのように思えて仕方がないのですが)

このままの自分で終わりたくない、武士になりたいというそれだけの一念で踏 み出した一歩が時代に巻き込まれ(時代を巻き込み)自らの手に負えないほど の巨大な運命へと繋がっていくさまが、飄々と描かれている。劇的な表現では ないのに隊士たちの性格、感情、顔立ち、身なりまでが鮮やかにページの上に 甦る。町の様子、景色が息づき当時の京の土地を歩いているかのようだ。 新撰組ってああなって、こうなって、殺されちゃって・・・と「ナントナク大雑把 に知っている」というアナタにぜひ読んでほしい。 幕末を生きた青年たちの想い、ジレンマ、憤り。なにかの事態に直面したとき に備えて<逃げ道>を作っておくようなことなど、はなから考えずにまっすぐ に人生を歩んだ隊士たちの日々は、時代が変わっても共感できる。

永井オススメ!

人種主義の歴史

  • 1月20日 up
  • 出版社:みすず書房
  • ジョージ・M・フレドリクソン 李孝徳訳
  • 価格:3,570円(本体3,400円+税)

 米国の奴隷制、南アフリカのアパルトヘイト、そしてナチスのホロコースト。 人種主義は人類にとって、忘れてはならない負の遺産である。それを忘れずにいるためには、 これらがそれぞれの国で突発的に起こった事件ではなくて、そこに至るまでの歴史があることを踏まえておかなければならない。

 人種主義は、「人種」の名のもとに権力を行使し、特定の人々を支配し隔離し排除する。 フレドリクソンは、人種主義を、「ひとつのエスニック集団が別な集団を、 差異が遺伝的で変えられないと信じられていることを根拠にして排除し、殲滅しようとするときに」存在するものである、と定義している。

 それは、中世の宗教的不寛容による反ユダヤ主義と、大航海時代以降の植民地政策に由来する白人至上主義という、 二つの大きな流れを生み出して世界的に広がり、その行き着いた先が、ホロコーストであり、奴隷制であり、アパルトヘイトであった。

 本書は、従来個別に扱われてきたこれらの人種主義を、その共通点と相違点を挙げて比較検討し、その歴史の全体像を明らかにしている。

 ここに取り上げられているのは西洋の人種主義であるから、日本人には関係が薄いと思われるかもしれないがそうではない。 訳者李孝徳は巻末の訳者解説で、フレドリクソンの比較史的アプローチを評価しつつ、その西洋中心の限界を指摘し、 日本における、在日韓国・朝鮮人やアイヌ、被差別部落などの人種主義に言及している。こちらも併せて必読である。