オススメ本紹介 2007

吉江オススメ!

君のためなら千回でも ㊤㊦

  • 12月20日 up
  • カーレド・ホッセイニ
  • 早川epi文庫
  • 693円(税込)

 (ワタクシ、文庫担当ではないのですが早川文庫担当の遊佐のOKをもらったので紹介します! 何らかの事情で祖国を離れ移住先の国の言語で物語を創り上げている作家(移民作家と呼ばれているそうですがワタクシ、 この名称はすきではないです。)たちの活躍が目立っています。 ジュンパ・ラヒリやアゴタ・クリストフ、カズオ・イシグロなど、みなさんもお馴染みでしょう。 この本の著者であるホッセイニもアフガニスタンからアメリカに亡命という経歴の持ち主です。

 地球上にはあらゆる民族、宗教、風俗、習慣が存在していて国によってこうも違うのか!と 驚くことが山ほど。でもそれらを超越して尊いものは、やはり愛でしょう。そしてそれが一番難しいもの ということも事実です。

 アミールは親友のハッサンに対して酷い裏切り行為を犯します。20年近く経っても絶対に 忘れることはできない心の傷と共にアミールの旅が始まります。悲しい、かわいそう・・・そんな言葉では到底表現 しし尽くせない根深い世情や状況、こころの機微が交錯するなか、無償の愛とは、人を許すこととは 何なのかが鮮明に浮かび上がってきます。読み終わったあともすべてが吹っ切れた!報われた!とは 感じられませんが人間は多かれ少なかれ、こういう想いを抱えていきているのではないでしょうか。

 原題の「The Kite Runner」(カイト・ランナー)を頭の隅っこにおいて読んでみてください。 映画化もされ来年2月に公開です。映画もとても良いできですが原作の感動は3倍!を保障します。 1年のゆく年の締めくくりにも、くる年の幕開けにもふさわしい1冊☆(ん~、上下だから2冊だね。)

永井オススメ!

食べてはいけない!

  • 12月19日 up
  • 森枝卓士
  • 白水社
  • 1,575円(税込)

 日ごろ自分があたりまえのように思っているものごとが、他の人々にとってはそうではない、ということがある。 食べることに関しても、それぞれの立場、宗教、生き方などが異なれば、そのことが言える。

 われわれはふだん牛や豚の肉を食べているけれども、イスラム教徒は豚を食べてはいけないし、 ヒンドゥー教徒は牛も豚も食べてはいけない。それは宗教的な禁忌であり、 そうした戒律を守ることが彼らの日常生活を規定している。

 おなじ食べてはいけないでも、動物愛護の立場から、ある動物の肉を食べるな、 と主張する人々もいて、しばしば新聞やテレビでとり上げられるのは鯨である。鯨の場合は、 食べてはいけないという人々がいる一方で、食べてもよいという立場、鯨を食べることを自分たちの文化 としている人々がいて、その是非をめぐって、国際的な論争にまでなっている。それから昆虫食、 というのがあって、日本でもイナゴの佃煮だとか、信州ではハチノコを食べたりするが、 東南アジアではタガメやセミ、ゴキブリまでも日常的に食べる地域がある。イナゴやハチノコならばかろうじて 食べものと思えるけれども、それは自分の暮らしている国の食だからそう思えるのであって、 タガメ、セミ、ゴキブリなんていうと、正直なところ食べろと勧められてもおそらく食べられないし、 そもそも食べものだと思わない。でも、それらの昆虫を食べる文化があることも事実であり、 それはたしかに一つの文化なのである。

 大事なのは、何を食べて何を食べないか、というのが、文化の高低、優劣ではなくて、 たんなる違いだということである。昆虫を食べるからといって、その国や地域の文化が劣っているとは言えない。 牛や豚の肉を食べる文化が野蛮ではないという根拠はどこにもない。

 世界にはじつにさまざまな人々がいて、多種多様な文化があり、いろいろなものを食べたり 食べなかったりする。そうした違いを認める。認めあう。そこから平和への道のりがはじまる、 なんて言うのは大げさだろうか。平和とまではいかなくても、われわれと違う文化を知ることは、 あたりまえがあたりまえでなくなることは、驚きとともに、楽しい刺激に満ちている。

永井オススメ!

大大阪モダン建築

  • 12月5日 up
  • 橋爪紳也監修、高岡伸一・三木学編著
  • 青幻舎
  • 1,680円(税込)

 関西の建築ガイドブックというと、たいてい京都・大阪・神戸でまとめて一冊になる。 そのなかで大阪は、京都、神戸という二大観光地に挟まれて分が悪い、と私は思っているのだけれども、 大阪が「建築の大阪」であった時代があるのだ。それは1925年(大正14)、周辺の町村を合併し、 東京を抜いて日本一の都市となり、「大大阪」と呼ばれた頃、大正から昭和初期にかけての時代である。

 本書はその「大大阪」を彩った建物を集めた、大阪だけの建築ガイドブックである。 大阪好き、大阪びいきの人間にとっては、思わずキュッと抱きしめたくなってしまう本なのだ。 建築ガイドだから、建物それ自体の解説があるのは当然だが、それだけではなくて、建物をめぐって、 そこに生きた、あるいはいま生きている人々の姿が浮かびあがってくるエピソードがふんだんに盛り込まれているのが、 この本の特色である。

 大阪を代表する建物では、一人の株の仲買商が私財をなげうって完成させ、 その後も市民の保存運動や寄付によって守られてきた、大大阪のシンボルと言うべき大阪市中央公会堂。 それからもう一つのシンボル、大阪城天守閣もまた市民の寄付によって建てられた。なぜ城の天守閣が? と思う方もいるかもしれないが、これは1931年(昭和6)、建築学と歴史学を結集して復元された、 立派なモダン建築なのである。

 より生活に密着した場所に目を移せば、かつて消防署として使われていた建物だから、 その名を「ダル・ポンピエーレ」(イタリア語で「消防士」の意味)としたイタリア料理店。 建物を荒れるにまかせて放っておいたオーナーが、「このビルが好きです、大切にしてください」という見知らぬ人々 からの声に動かされ、なんと自ら手作業で直しはじめ、いまでは演劇や落語、ファッションショーなどが開かれ、 人々が集まる空間となったフジハラビル。これらのエピソードを読んでいると、 「自分たちの手でこの町をつくるのだ」という市民の心意気が伝わってくるし、そのひとつひとつに愛着が 湧いてくるというものである。さらにうれしいことには、それぞれの建物について、 内部見学の可不可、カフェやレストラン、ショップやギャラリーなどの施設の有無がひと目でわかるようになっていて、 こういう細かい気遣いも、大阪人の心。

 さあ、こんど大阪に行くときにはもちろんこの本を持って、いや、抱きしめて歩いてみよう。

吉江オススメ!

クイーン・アリスの永久保存レシピ

  • 12月1日 up
  • 石鍋裕・真中祥瑛
  • 世界文化社
  • 1,890円(税込)

 発売から1年以上経ちますがベストセラーの料理本です。毎日のお食事はもちろん、 ちょっとおしゃれなおもてなしまで「使える」メニューがぎっしり。クイーン・アリスファンのマダムから、 毎回同じようなものを繰り返し作っているアナタまできっとご満足いただけるはず。

 ワタクシの場合、料理上手な母から教えてもらった数々のレシピ、そのほとんどを遥かかなた忘却の都に・・・。 (母よ、スマン。)そんなワタクシでも「これはいいぞ!」と実際に役立っているのですから! なにがいいって、まず『わかりやすい』!どのレシピもほとんどが5工程くらいで簡潔に書かれていて、 つくる前からもううんざりなんてことはありません。そして『幅広いレパートリーを楽しめる』点です。 天下のクイーン・アリスさんですから洋食中心ですがおしゃれなおにぎりやおいなりさんまであるのですよ。 そしてどのメニューも『野菜たっぷり』なのが点数高いですね。 前菜・スープ・メイン・野菜・パスタ・パン・ライス・デザートとなんでもござれ。

 夏にしょっちゅう作っていたのが「ラタトゥユ」と、「冷製カッペリーニ」。 これからはやっぱりシチュウかな。220レシピ満喫できて1890円とは、これまたお得! 年末年始にも大活躍しそうなメニューもたくさんありますので是非ごらんくださいね。 ワタクシの手料理を食べて体調を崩したアイツ・・・、(それ以来会ってませんが!激汗。) あのときのワタクシとは違いますよ!

永井オススメ!

江戸絵画万華鏡――戯画の系譜

  • 11月28日 up
  • 榊原悟
  • 青幻舎
  • 1,890円(税込)

 江戸時代の絵師はこんにちにおいても絵師としか呼びようがなくて、 これを画家あるいは芸術家と呼ぼうとすると、どうもしっくりこない。 それは現代の画家とはその性質を異にしているからで、江戸時代の絵師はむしろ芸人に近かったのではないかと思う。 彼らはおのれの才能才覚技術技巧を駆使し、大衆に「芸」を見せたのである。その意味で、 この「芸」とは芸術の「芸」ではなくて、芸能の「芸」であると言ってもいいかもしれない。

 芸能であるとすれば、それが面白いかどうか、ウケるかどうかが大事であって、 より多くの人が面白いと思えば売れるし、逆につまらなければ飽きられる。絵師にしてみれば、 自分の絵がウケるかどうかというのは、生活がかかっているだけに切実である。 だから、「面白い/つまらない」という単純明快な判断基準は、芸術的価値があるかないか、 高尚か低俗か、という議論よりも厳しい目なのである。

 それゆえ、絵師たちは人の目を喜ばせるために常にさまざまな趣向を凝らさなければならなかった。 そうした趣向の一つに制作手法の即興性があり、そこから生まれる「かたち」の意外性、 機知性を追求した結果、この時代に戯画の隆盛がもたらされたのである。

 國芳、芦雪、若冲、大雅、北斎…江戸時代の庶民のたのしみであったこれらの戯画が現代に遺されて、 われわれのたのしみにもなる、というのはたいへん喜ばしいことである。 ここはひとつアハハ。ワハハ。イヒヒ。ウフフ。大いに笑おうではありませんか。

永井オススメ!

ラヴェル

  • 11月17日 up
  • ジャン・エシュノーズ
  • みすず書房
  • 2,310円(税込)

 私はふだんまったくクラシックを聴かないので、ラヴェルについてほとんど何も知らず、 関心もなかったのであるが、小柄でやせっぽちのラヴェルが、第一次大戦のときに空軍に志願し、 軽すぎるという理由で入隊を拒否され、そのうえあらゆる兵役を免除されたのに、しつこく頼み込み、 とうとう超重量級の部隊に大型トラックの運転手として編入された、というエピソードがこの本のカバーにあって、 そんなラヴェルとはどんな人物だったのだろう、とにわかに興味が湧いてきたのである。

 この小説は、1927年、当時作曲家として栄光の頂点にあった52歳のラヴェルが、 アメリカを訪問するところから始まる晩年の十年を描いている。一本のそり残しもないようにひげを剃り、 分け目一つもないがしろにせず髪を撫で付け、服装は常に流行の最先端を追っていて、 旅の荷物にはワイシャツ60枚、靴20足、ネクタイ75本、パジャマ25着などなど。 人としかるべき距離感をとり、気取らないが品を失わない、完璧な出で立ちの男性であった。

 ラヴェルの代表作といえば何といっても『ボレロ』であるが、この曲の誕生のいきさつも面白い。 依頼されたバレエの曲の締め切りに迫られたラヴェルは、どうせダンスに合わせることが目的なのだから、 リズムとオーケストラさえあればよく、音楽はたいして重要じゃない、と開き直り、 ほとんどやっつけ仕事に近い形で仕上げたのである。

 ところが、作曲家自身が重くみていなかったこの曲が、想像以上の大成功を収めた。 収めてしまった、と言うべきか。ラヴェルの名はますます称揚される。いつもは物事から距離をとっていたラヴェルも、 このときばかりは自分を見失っていたのかもしれない。脆弱な肉体であったにもかかわらず、 仕事の量を増やし、世界中を回る大演奏旅行を企てたりする。しかしこの頃から、 自曲のピアノ演奏で途中の小節を飛ばすなど、次第に何かが上手くいかなくなりはじめ、 さらには交通事故に遭い、重傷を負ってしまう。

 ラヴェルはもともとあらゆることを忘れる人で、人と会う約束を、それが外国政府の高官とであっても忘れたり、 ポケットチーフを忘れた、エナメル靴を忘れた、と言っては演奏を拒否したこともあったのだが、 事故後は曲が書けず、日常的な動作にも支障をきたすようになる。自分の名前が書けない。 手紙を書くのに辞書で単語を引きながら一週間かかってしまう。ドアのノブが回せない。 ナイフの刃の方を握ってしまう。しかも、ラヴェルは自分の身に起こっていること、 自分が思うように動けなくなっていることをすべて理解しているのである。人や物事とつねに距離をとっていた 、ということはすなわち自分自身をも客観的に見ることのできたラヴェルにとって、 これは悲劇である。あなたの仕事は完成している、というなぐさめの言葉に対し、 「私は何も書かなかったし、何も残していない、言いたかったことを何も言っていないんだ」 と叫ぶラヴェルの絶望に、胸を塞がれる思いがする。

 そしてついに、コンサートで演奏されているのが自分の曲であることもわからなくなるほど症状が進み、 その後受けた脳の切開手術のかいもなく、ラヴェルは1937年、この世を去った。今年は没後70年である。

永井オススメ!

プラスチック・ワード

  • 11月10日 up
  • ウヴェ・ペルクゼン
  • 藤原書店
  • 2,940円(税込)

 地域経済発展のためのプロジェクトを推進するにあたって、最も必要とされるのは隣接自治体間の パートナーシップに基づく情報ネットワークであり、そのシステムの構築には、 情報交換の場としてのコミュニケーションセンターを設置することが不可欠である。

 上の文章、とくに意味はありません。なぜなら、これは本書で挙げられているプラスチック・ワードを いくつか用いて、私がテキトーに書いたからです。要するにでっち上げであります。 出鱈目であります。イカサマであります。

 プラスチック・ワードとは、「発展」「情報」「システム」「コミュニケーション」といった、 抽象的で科学的、もっともらしく聞こえ、それゆえ権威があるような感じがする単語のことであり、 これらを自由に組み合わせて、一見意味ありげな文章をいくらでも作れるが、具体的な意味を特定することはできません。 つまり中身がないのです。だから冒頭の文章は、「地域経済」を「地域の男女交際」に置き換えても成り立って しまうのであり、そうすると、少子高齢化・晩婚化・嫁不足に悩むある地域が打ち出した 計画案であるかのように読めないこともない、ということにもなるのでありまして、 これが「意味ねえ~」なんて冗談で済まされないのは、プラスチック・ワードが、 お役所や政治家やメディア、さらにはわれわれの日常会話にまで浸透しているからであります。

 そういえば、「情報」とか「コミュニケーション」などという言葉は自然と口をついて出てきてしまいます。 この「自然」というのがコワイ。でもよく考えてみると、こういう言葉って、 漠然としているんですよね。漠然としているから、容易に使えてしまうのですが。

 ならば、もっと具体的な、適切な言葉を探し求めて、言いよどみ、もがき苦しみ、 ときには沈黙を余儀なくされる……それも大事なことかもしれません、 空虚な言葉を弄してふんぞりかえっているよりは。

永井オススメ!

戦後腹ぺこ時代のシャッター音

  • 10月29日 up
  • 赤瀬川原平著
  • 岩波書店
  • 1,680円(税込)

 岩波写真文庫が創刊されたのは1950年。日本は終戦直後の混乱期を抜けて、 ようやく復興への道を歩みはじめた頃であった。以後1958年まで、計286冊を世に送り出したこのシリーズには、 日本の1950年代の空気が詰まっている。

 では岩波写真文庫が醸し出している50年代の空気とは、どのようなものであったのか。 赤瀬川さんはこう書いている。「いまから見ると何でもないような映像に、 真面目さと切実さがにじんでいる。そこにそのまま時代を感じる。あの時代の人々は写真を見ての批評など超えて、 そこに写っている光景を率直に吸い込んでいた。」

 真面目。切実。率直。写真とそれを見る人とが、「馬」なら馬、「一年生」なら一年生と、 じかに向き合っている。写真そのものもまた、真面目で切実で率直だったのではないだろうか。 50年代よりもずっと後になって生まれた者の眼――ありとあらゆる情報があらかじめ与えられ、 そのことに慣らされている眼――には、このシリーズに収められている、「馬」は馬であり、 「一年生」は一年生である、というような写真は、「何でもないような映像」ではなくて、その素直さ、 素朴さが、かえって新鮮に感じられる。

 仮にこれから同じようなシリーズを始めるとしたら、まず「情報」でひとくくりにされ、 個々のテーマもその「情報」のなかの一部でしかない、とういうふうになってしまうのではないか 。「情報」でなければ「芸術」。写真とそれを見る人とのあいだに「情報」とか「芸術」とかのフィルターがあって、 それを通してでないと写真を見られなくなっているのではないか。

 50年代は「腹ぺこ時代」だった。赤瀬川さん(1937年生まれ)は、中学高校を経て社会に出た。 この時代、みんな腹ぺこだったけど、いや腹ぺこだったから、写真に飢えていた。その飢えが、 岩波写真文庫を誕生させ、この好奇心旺盛な、多感な時代を育んだ。

 さて。いま、「情報」でも「芸術」でもない、「写真」が撮れるのだろうか。 「写真」を写真として見ることができるのだろうか。と、腹いっぱい食える時代に生まれ育った子は思うのであった。

永井オススメ!

日本人と英語―もうひとつの英語百年史

  • 10月24日 up
  • 斎藤兆史
  • 研究社
  • 2,100円(税込)

告白いたします。

 私は大学の英文科出身であるにもかかわらず、英語が話せないのです。 外国からのお客様が来店して、英語で質問されたときには、かろうじて単語。 単語。単語。あとは「アウー、アウー」と意味をなさないうめきを発するばかり。 まことにもって恥ずかしい。恥の多い生涯を送って来ました。あんまり恥ずかしいので、 いっそ学歴詐称しちゃおうか、なんて悩んだこともあるくらいであります。

 中学高校(そして大学)と、英語教育を受けても、英語を話せるようにはならない。 それはなぜなのか。結論から先に言うと、話せるようになるわけがないのです。 「並の日本語話者が、一日一時間程度の授業を六年間受けただけでいっぱしの英語の使い手になるのは、 そもそも無理なのである」という著者の指摘は至極もっともであって、 学校の授業だけで英語を話せるようになろうなど、こんな虫のいい話はない。 肝心なのは「自宅自修」、つまり自分で勉強することである、と百年前に言われているというのに 、このごく当たり前のことが、日本の教育界では理解されていないようです。

 明治以降、日本人と英語をめぐって、これまでさまざまな教育法、学習法が試みられ、 論じられ、現在でも中学高校(最近は小学校から)での英語教育を通じて、 英語を話せる日本人を育成しようとしているわけですが、それでも英語を話せないという事実をみれば、 ここに根本的な間違いがあるのは明らかです。

 まず認識しなければならないのは、実践的な英語は中学高校程度の学習では身につかない、 ということです。その認識に立った上で、学校教育においては、のちのち個々人が 必要な英語力をつけるための文法・読解を中心とした基礎力を与えるべきであり、 あとは各自で努力しましょう、というのが著者の考え方であり、これはまったくその通りであります。

 こういうまともな意見を、自分が十代の頃に知っていたら、 またこれが中学高校における英語教育の方針であったなら、英語を自分で勉強して、 いまではネイティブと対等に渡り合えるほどの使い手になっていたかもしれない。 というのは別の話…いや、別の話で終わらせないように、いまからでも 「自宅自修」だ、と一念発起しようかどうしようか。

永井オススメ!

岡本太郎の見た日本

  • 10月10日 up
  • 赤坂憲雄
  • 岩波書店
  • 2,415円(税込)

 岡本太郎とは何か、と問われたら、多くの人は「芸術家」と答えるでしょう。 戦前の「傷ましき腕」、大阪万博の「太陽の塔」、昨年復活した「明日の神話」。見る者に衝撃を与える強烈な 作品を数々のこしています。また、晩年さかんにテレビに出演し、「芸術は爆発だ!」 「なんだ、これは!?」「グラスの底に顔があったって、いいじゃないか」などなど、 その言動が話題を呼びました。

 しかし、太郎はただの「絵描き」だったのではありません。 「奇矯なおじさん」だったのでもありません。若き日に、パリの日本人画家として、 「何のために描くのかという疑惑」と正面から取り組み、ジョルジュ・バタイユとの出会いや、 マルセル・モースに民族学を学ぶことを通じて、「芸術とは全人間的に生きることだ」と確信する に至った人なのです。太郎は芸術家であると同時に、あるいは芸術家である以前に思想家でありました。

 思想家・岡本太郎にとっての日本とは何か。それは一般的に日本の伝統とか、 日本の美とか考えられているものとは、まったく異なるものでした。太郎は京都・奈良といった、 いかにも「日本的」な風景には心を打たれませんでした。「法隆寺など、焼けてけっこう」という 発言さえあるくらいです。

 岡本太郎の日本とは、「縄文土器」であり、「東北」であり、「沖縄」でありました。 それらは京都や奈良のようなもの、すなわち日本の歴史、文化の中心とされているものから見れば、 「辺境」「周縁」と呼ばれるものでしょう。しかし太郎はこれこそ日本であると断言しました

 太郎が「縄文」や「東北」や「沖縄」を通して得たのは、「この弧状をなす列島にはるかな時間をかけて、 複合的に、多層的に「いくつもの日本」が生成を遂げてきたという歴史認識」であり、太郎にとって、 京都や奈良を中心とする「ひとつの日本」などというのは幻想にすぎなかったのです。 太郎が縄文土器を“発見”したのは半世紀以上前のことですし、東北や沖縄を訪ねてからも数十年を経ています。 いま私たちがこれらの地を訪れても、太郎が見たのと同じ光景を見ることはできないかもしれません。 けれども太郎の言葉は、まったく古びることがないどころか、ますます新しく生きているのです。

 最近、わが国首相の突然の辞任とともに、「美しい国日本」という言葉も退場したようですが、 岡本太郎の見た日本は、そしてそれを語る太郎の言葉の力は、政権が交代したぐらいのことでただちに 消えてしまうような脆弱なものではありません。

なぜ「ひとつの日本」でなければならないのか。ひとつでなければならない、なんてことはない。

日本がいつくもあったって、いいじゃないか。

そのほうが面白い、と私などは思うのですが、どうでしょう?

吉江オススメ!

サクリファイス

  • 10月5日 up
  • 近藤史恵
  • 新潮社
  • 1,575円(税込)

 <自転車競技>といわれても競輪かツール・ド・フランスくらいしか思い浮かばない (しかもルールなどおよそわからず)ワタクシの脳にガツンときた1冊。自転車ロードレースとは こんなにも苛酷で奥深いものであったのかと驚嘆致しました。

 エース(表)を支え続け勝たせるために自分を犠牲にするアシスト(裏)である主人公の成長と ともに思いがけないことから発覚した過去の出来事。それを発端に続いていく新たな事件。 情緒的な心理描写とミステリが上手く絡み合いこれでもかと転がる終盤はページをめくるのももどかしいほど。 近藤作品の中でもトップクラスと言いきってしまおう。

 何が起ろうともそれでも続いていく厳しい勝負の世界を精いっぱい生きていくラストは悲しい事件を 吹き飛ばしむしろ爽やか。白石誓に身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれの言葉を贈ります。

今年のベストミステリにワタクシは是非推したい。