ハシムラ東郷
- 12月6日 up
- 宇沢美子
- 出版社:東京大学出版会
- 価格:2,940円(税込)
数年前に新聞の記事で読んだ記憶があるのだが、アメリカで、「あなたが知っている日本の有名人 を挙げてください」というアンケートが実施された。結果は、1位が「ゴジラ」、
2位が「忍者」であった。いずれも特定の人物ではない、というか、ゴジラにいたっては 人間でさえないのが、経済大国とはなってもしょせんは極東の小国。悲しい現実である。
しかし、時代を遡って20世紀初頭のアメリカで同じ質問をしたら、間違いなく1位を獲得したであろうと思われるのが、 「ハシムラ東郷」である。
ハシムラ東郷? 誰それ? と思われるのも無理からぬことであって、 デューク東郷なら知っている、という人はけっこういるかもしれないが、ハシムラ東郷と聞いても、
日本では当時も現在もほとんど知られていない存在であり、かつて有名人であったアメリカにおいても、 いまではすっかり忘れ去られている。
では、日本人が知らない日本人、ハシムラ東郷とは、いったい誰なのか。 その変な名前の日本人男性が初めて登場したのは1907年11月、『コリエーズ』という週刊紙に掲載された
、「日本人学僕の手紙」という書簡体のコラムである。「学僕」というのは、"schoolboy"の訳語で、 「苦学生兼家内使用人」、志は高いが金はない日本人留学生が、生活のためにやむを得ず就いた、
アメリカで言うところのメイド、日本でいうところの女中のような仕事である。
時は日露戦争直後、アメリカでは黄禍論や排日運動が高まりつつあった。そんな時期に現れた東郷は、 誤字脱字誤用だらけの日本人英語をあやつり、言葉や習慣、価値観の違いから、雇われて行った先々に
大騒動大破壊をもたらす「史上最悪の使用人」として、さまざまな失敗談を紙面に寄せた。この手紙と いう形式で書かれたコラムには、東郷のおかしな英語や、とんちんかんな行動を笑うという部分もあるのだが、
それと同時に、この破天荒な日本人学僕の言動を通して、アメリカ社会をチクリと刺す批判精神も持ちあわせて いたのであった。
だけど、こんな日本人が本当にいるのか? という疑問が連載当初からあったようで、 実際には、残念ながら東郷は実在の日本人ではなくて、ほどなくその正体が当時『コリエーズ
』の専属ライターであった、作家ウォラス・アーウィンであることが明らかになる。この一件は 大いに話題となり、マーク・トウェインがこのコラムを絶賛したこともあって、ハシムラ東郷と
いうキャラクターは、その後も活躍を続ける。
『コリエーズ』を皮切りに、ハシムラ東郷は数々の雑誌や新聞に連載され、 とりわけ1912年から1918年にかけて連載された『グッド・ハウスキーピング』という
婦人向け家庭雑誌において、アメリカの奥様方を相手に、学僕としての本領を発揮し 、また、日本人ハリウッドスター、早川雪洲主演の映画『ハシムラ・トーゴー』が上
映されるほどの人気ぶりで、1920年代には全国の顔となったのである。
顔といえば、外国人が描く日本人のステレオタイプとして真っ先に思い浮かべる、 あの「つり目・丸眼鏡・出っ歯」は、もともとハシムラ東郷の顔として描かれたものであった。
東郷のコラムは、書簡という体裁をとっていたため、自身の顔についての言及がなく、 挿絵を担当するイラストレーターたちは、こんな顔なんじゃないか、と想像して描き、
いくつかの変遷を経て、どこで見てきたのか、いつしかあの顔が統一したイメージとして 着したのである。日本人の立場からすると、あの顔には複雑な思いがしないでもないが
、逆に言えば、たとえそれがどんな顔であっても、一つの顔として確固たる存在感を示 すことができるほど、東郷がアメリカで親しまれていた、ということである。
だがやがて、大きな転機が訪れる。第二次世界大戦がはじまると、「敵」となった日 本人ハシムラ東郷は憎悪の対象となる。枢軸国の代表が描かれたイラストにも、ヒトラー
、ムッソリーニと並んで、東条ではなくて東郷の顔が描かれてしまうのである。
初登場以来、のべ35年近く、最も有名な日本人として多くのアメリカ人に愛され てきたハシムラ東郷は、戦争によって闇に葬り去られ、その名を誰も知らなくなった。
その代わり、あの「つり目・丸眼鏡・出っ歯」が、日本人の顔として後世にまで伝えられているのは、 悲しい現実である、と言うべきだろうか。といえばそうではなく、このたび、
この一筋縄ではいかない日本人学僕「ハシムラ東郷」の名と顔に、ふたたび光が当てられ、 名誉回復の機会が与えられたことを喜ぶべきであろう。