オススメ本紹介 2008

吉江オススメ!

年末年始に!

  • 12月29日 up

 数え上げればキリがありませんが、ご参考まで。

そして、年明けの強力新刊第一弾として、1月7日発売の『猫を抱いて象と泳ぐ』小川洋子(文藝春秋)をお知らせいたします! ほんとうにイイです!『博士が愛した数式』で<数>の美しさを見事に表現した小川洋子、 最新作ではチェスをモチーフとした不思議な世界へわたしたちを誘ってくれます。乞うご期待!!

    ☆こたつでのんびりと(ほろ酔い歓迎)
  • 『酒肴酒』吉田健一 光文社文庫
  • 『店じまい』石田千 白水社
  • 『むかし卓袱台があったころ』久世光彦 筑摩文庫
    ☆あのときの日本
  • 『甘粕正彦乱心の曠野』佐野眞一 新潮社
  • 『幕末史』半藤一利 新潮社
  • 『日本に古代はあったのか』角川選書 井上章一
  • 『出星前夜』飯嶋和一 小学館
    ☆さらりと、スゴイ生き方
  • 『死んだら何を書いてもいいわ』萩原朔美 中央公論新社
  • 『白洲次郎 占領を背負った男 ㊤㊦』北康利 講談社文庫
  • 『おかしな時代』津野海太郎 本の雑誌社
  • 『寡黙なる巨人』多田富雄 集英社
    ☆世界は広いよ、スゴイよ
  • 『旅する力 深夜特急ノート』沢木耕太郎 新潮社
  • 『ミケランジェロの暗号』ブルック&ドリナー 早川書房
  • 『ローマ亡き後の地中海世界 ㊤』塩野七生 新潮社
    ☆ミステリーでドキドキ・ハラハラ
  • 『チャイルド44 ㊤㊦』トム・ロブ・スミス 新潮文庫
  • 『黒衣の処刑人 ㊤㊦』トム・ケイン 新潮文庫
  • 『陰謀病棟』シュピールベルク 扶桑社文庫
    ☆ちょっとヘンな・・・?
  • 『変愛小説集』岸本佐知子篇訳 講談社
  • 『そこにシワがあるから』松澤等 早川書房
    ☆しみじみと・・・
  • 『帰郷者』ベルンハルト・シュリンク 新潮社
  • 『見知らぬ場所』ジュンパ・ラヒリ 新潮社
  • 『幸せな子』トーマス・バーゲンソル 朝日新聞社

永井オススメ!

〈貧乏道〉を往く

  • 12月17日 up
  • 川上卓也
  • 出版社:春秋社
  • 価格:1,680円(税込)

 豊かな生活を送りたいと思ったら、先立つものはお金である。と考えるのは至極当然のこととされている。 では、世間一般的に生活の豊かさとはどのようなものと考えられているかというと、高い家賃のマンションに住む。 一戸建ての家を買う。車を所有して乗る。高級ブランド品を身につける。三つ星レストランで飯を食う。 地デジ対応液晶大画面ハイビジョンテレビに買い換える。などなど、もろもろの欲望を満たすことができる暮らしである。

 こうした欲望を満たし、豊かな生活なるものを維持するためには、日々一定の時間、それも長い時間を労働に拘束され、 その対価として賃金を得なければならぬ。お金があれば、欲しいものが手に入る。しかし、 それは本当に欲しかったものなのだろうか。それ以外に何がある? というのであれば、それはそれでよいのだが、 ある日ある時、ふとこんなふうに思ったことはないだろうか。自分の好きなことだけをして生きていけたらなあ、と。 けれどもそう思ってみたところで、それをする時間があるだろうか。と考えたら、ない。私には夢がある、 本来はこれこそが自分の生きる道だと思うことがあっても、生活に追われて過ごすうちに、 いつしか夢は日々に埋没していく。お金もあって、時間もある。というわけにはいかないのである。

 もし、その夢が心の底からどうしてもやりたいことだったなら…貧乏になればよいではないか。と考え、実践しているのが、 本書の著者、自称・貧乏写真家の川上卓也氏である。なにしろ月収7万円なのだから、文句のつけようのない貧乏である。 貧乏というと、とかくつらく悲しくみじめで情けないと思われがちであるが、川上氏にはそんなネガティブな感情は 微塵もなく、むしろ貧乏だからこそ、豊かに楽しく暮らせるのだという。もちろん、無一文では生きていけないから、 アルバイトをするのであるが、それは月100時間にも満たない。その代わり、自分のために使える時間が月々 600時間以上もある、その時間を好きな写真に思う存分費やせる。これ以上贅沢なことはない。 という発想なのである。

 川上氏にとって、豊かさとは、「自分の歩むべき道を探せること、見つけた道を歩き出せること」であって、 貧乏は夢を実現するために選び取られた戦略なのである。写真というベクトルを定めたら、生活を邪魔するようなもろもろは すっぱり捨ててしまいましょう、というのである。ここまで思い切りよくできる人はなかなかいないだろう。 だから夢があったとしても思うようには生きられないでいるのであるが、時間がない代わりにお金はあって、 それで家やら車やらブランドやら三つ星やらテレビやらで満足しているのだとしたら、それは豊かさにはほど遠い生活なの ではないか。自分にとって本当に必要なものはなんだろうか、本当の豊かさとはなんだろうか。 と思ったら、この貧乏の達人から学ぶべきことは多い。

吉江オススメ!

眠れない夜になる!・・・『ミレニアム』を読もう!

  • 12月10日 up
  • スティーグ・ラーソン
  • 出版社:早川書房
  • 価格:上・下 各1,700円(税込)

 数ヶ国語に堪能な知人によると、「わからないなぁ~の繰り返しのなか、それでも辛抱強く学んでいると、 ある時突然共通点のないような複数の言語がピピッと繋がる瞬間がやってくる!」のだそうだ。 (ワタシにはわからない!一生ワカラナイ世界だ!)

 あちこちにわかれた枝が一つの運命に向かって集まってくる・・・この「ミレニアム」を読んでいて、 先の知人の言葉を思い出した。名誉毀損で有罪判決を受け再起不能状態のミカエル、そんな彼に 親類の娘の失踪事件の真相調査を依頼する大企業前社長、その間に介在する奇妙な女性調査員リスベット。 明るい材料が何もないままにストーリーは急速に展開する。ミステリーであり、ホラーであり、 企業犯罪小説であり、一族の歴史小説であり、とエンタテインメント性がたっぷり盛り込まれ、 第1部にしてすでに引き込まれずにはいられない。大胆な発想と緻密な設定、という最強タッグ、 おもしろくないわけがない!

 謎が謎を呼ぶ、予測不可能なワールドワイド小説は、この先どう転がっていくのだろうか。 壮大なストーリーはまるで長編ハリウッド映画を見ているような気分にさせられる。強烈な個性を 放つリスベットの素顔が気になって仕方がない。じりじりしながら2部を待つとしよう。

永井オススメ!

ハシムラ東郷

  • 12月6日 up
  • 宇沢美子
  • 出版社:東京大学出版会
  • 価格:2,940円(税込)

 数年前に新聞の記事で読んだ記憶があるのだが、アメリカで、「あなたが知っている日本の有名人 を挙げてください」というアンケートが実施された。結果は、1位が「ゴジラ」、 2位が「忍者」であった。いずれも特定の人物ではない、というか、ゴジラにいたっては 人間でさえないのが、経済大国とはなってもしょせんは極東の小国。悲しい現実である。 しかし、時代を遡って20世紀初頭のアメリカで同じ質問をしたら、間違いなく1位を獲得したであろうと思われるのが、 「ハシムラ東郷」である。

 ハシムラ東郷? 誰それ? と思われるのも無理からぬことであって、 デューク東郷なら知っている、という人はけっこういるかもしれないが、ハシムラ東郷と聞いても、 日本では当時も現在もほとんど知られていない存在であり、かつて有名人であったアメリカにおいても、 いまではすっかり忘れ去られている。

 では、日本人が知らない日本人、ハシムラ東郷とは、いったい誰なのか。 その変な名前の日本人男性が初めて登場したのは1907年11月、『コリエーズ』という週刊紙に掲載された 、「日本人学僕の手紙」という書簡体のコラムである。「学僕」というのは、"schoolboy"の訳語で、 「苦学生兼家内使用人」、志は高いが金はない日本人留学生が、生活のためにやむを得ず就いた、 アメリカで言うところのメイド、日本でいうところの女中のような仕事である。

 時は日露戦争直後、アメリカでは黄禍論や排日運動が高まりつつあった。そんな時期に現れた東郷は、 誤字脱字誤用だらけの日本人英語をあやつり、言葉や習慣、価値観の違いから、雇われて行った先々に 大騒動大破壊をもたらす「史上最悪の使用人」として、さまざまな失敗談を紙面に寄せた。この手紙と いう形式で書かれたコラムには、東郷のおかしな英語や、とんちんかんな行動を笑うという部分もあるのだが、 それと同時に、この破天荒な日本人学僕の言動を通して、アメリカ社会をチクリと刺す批判精神も持ちあわせて いたのであった。

 だけど、こんな日本人が本当にいるのか? という疑問が連載当初からあったようで、 実際には、残念ながら東郷は実在の日本人ではなくて、ほどなくその正体が当時『コリエーズ 』の専属ライターであった、作家ウォラス・アーウィンであることが明らかになる。この一件は 大いに話題となり、マーク・トウェインがこのコラムを絶賛したこともあって、ハシムラ東郷と いうキャラクターは、その後も活躍を続ける。

 『コリエーズ』を皮切りに、ハシムラ東郷は数々の雑誌や新聞に連載され、 とりわけ1912年から1918年にかけて連載された『グッド・ハウスキーピング』という 婦人向け家庭雑誌において、アメリカの奥様方を相手に、学僕としての本領を発揮し 、また、日本人ハリウッドスター、早川雪洲主演の映画『ハシムラ・トーゴー』が上 映されるほどの人気ぶりで、1920年代には全国の顔となったのである。

 顔といえば、外国人が描く日本人のステレオタイプとして真っ先に思い浮かべる、 あの「つり目・丸眼鏡・出っ歯」は、もともとハシムラ東郷の顔として描かれたものであった。 東郷のコラムは、書簡という体裁をとっていたため、自身の顔についての言及がなく、 挿絵を担当するイラストレーターたちは、こんな顔なんじゃないか、と想像して描き、 いくつかの変遷を経て、どこで見てきたのか、いつしかあの顔が統一したイメージとして 着したのである。日本人の立場からすると、あの顔には複雑な思いがしないでもないが 、逆に言えば、たとえそれがどんな顔であっても、一つの顔として確固たる存在感を示 すことができるほど、東郷がアメリカで親しまれていた、ということである。

 だがやがて、大きな転機が訪れる。第二次世界大戦がはじまると、「敵」となった日 本人ハシムラ東郷は憎悪の対象となる。枢軸国の代表が描かれたイラストにも、ヒトラー 、ムッソリーニと並んで、東条ではなくて東郷の顔が描かれてしまうのである。

 初登場以来、のべ35年近く、最も有名な日本人として多くのアメリカ人に愛され てきたハシムラ東郷は、戦争によって闇に葬り去られ、その名を誰も知らなくなった。 その代わり、あの「つり目・丸眼鏡・出っ歯」が、日本人の顔として後世にまで伝えられているのは、 悲しい現実である、と言うべきだろうか。といえばそうではなく、このたび、 この一筋縄ではいかない日本人学僕「ハシムラ東郷」の名と顔に、ふたたび光が当てられ、 名誉回復の機会が与えられたことを喜ぶべきであろう。

永井オススメ!

ピアニストになりたい!

  • 11月29日 up
  • 岡田暁生
  • 出版社:春秋社
  • 価格:2,100円(税込)

 19世紀は音楽史的にはロマン派の世紀である。世俗を超越した精神性、というのが その特徴とされるのであるが、この時代に「ピアニストになりたい!」と熱望した人々は、 過酷な練習に耐え、激しい競争を勝ち抜かなければならなかった。現代だってそうなのかもしれないが、 当時ピアノを弾こうと思ったら、それこそハンパじゃない訓練を要求されたのである。

 18世紀までは、音楽は貴族のものであったが、19世紀になると、新たに富を得て力を持った ブルジョワが聴衆となり、音楽が大衆化する。するとそのなかからピアノを習いたい人、ピアニストに なりたい人がぞろぞろ出てくるのは必然であって、そうした人々に対して、ハノン、ツェルニーなど といった教則本が次から次へと出版された。それらはもはや「曲」でさえなく、単純動作の反復によって それぞれの指を強化し、均質化するための体操ドリルであり、ピアノ・レッスンは軍隊式訓練の様相を呈してくる。

 その果てに、「鍵盤に触れる前にまず器具を用いて指を鍛えよ」というわけで、 手首を固定したり、指を拘束したり、薬指の腱を拡張したり、といった各種強化器具、 矯正器具が考案される。本書にはその図版がいくつか載っているが、それらを見るとはっきり言って 辛そうで痛そうでコワイ。そしてそうした人体改造の究極として、薬指の腱を切る手術までが 行われるようになる。こうなるとちょっとしたホラーである。しかもそれを真剣にやっていたのだと 思うとなおさらオソロシイ。

 周知のとおり、19世紀は産業革命の時代であり、工業化、 機械化、労働の分業化と効率化による大量生産、といった近代資本主義の論理が 確立された時代である。ロマン派の音楽が目指した精神性は、一見近代資本主義とは正反対のように思われるが、 じつは両者は密接に関係している。

 ピアノ人口の爆発的増加と、技術的難度の加速度的上昇、さらには鉄骨を用いることによって 生じたピアノの重量化に対応すべくなされた指体操ドリルや器具の使用、軍隊式のスパルタ教育といった方法は、 ピアノ練習をいかにして合理的に、効率よく行い、そこから最大限の利益(ピアノを習う者にとってはピアニスト になること。教える者にとっては商売繁盛)を引き出すか、という近代資本主義の理屈そのままであり、 ピアニストを養する音楽学校は、いわばその製造工場であった。もちろんそれが勝者だけが栄光をつかみ、 敗者は滅びるのみ、競争の原理にもとづく弱肉強食の世界であったことは言うまでもない。

 世俗からの精神の解放を願ったロマン派の世紀のピアニストたちは、自分の指を分解してひとしく均し、 同じ動作を反復し、強化することによって指を機械化し、自動化し、ついに新聞を読みながらピアノが弾ける くらいに己の身体から精神を解放することを可能にした。それはまるで機械文明が描く明るい未来の 予想図を見ているようであるが、絵空事ではなくて、本当にあったことなのである。

永井オススメ!

もうひとつの国へ

  • 11月24日 up
  • 森山大道
  • 出版社:朝日新聞出版
  • 価格:2,730円(税込)

 日常というものはこの世に生きていれば誰にでもあり、ことさら日常日常と意識しなくても 、時間は流れていくのであって否も応もない。森山大道氏が写真家であるからといって例外という ことはなくて、日常はあくまでも日常であり、その日常が特別であるということはない。

 森山氏自身が記すところによれば、その日常における三種の神器は、スーパー、 コンビニ、百円ショップであるという。食へのこだわりも極めてうすく、コンビニのおにぎりとカップ麺とレトルト 品で組むローテーションが日々の食事のほぼ大半であるという。主義も持たなければ、趣味も持たない。 生きてて何が愉しいの? と訊かれても、べつに何も愉しくない。と答えるし、人間なんていうのは、 何かイイことがないか、とうろつきまる存在にすぎない、人生の冷やヤッコ。とか、男も女も、キリなく 強欲で助平だから、一皮むけば皆ハイエナじゃ。なんてことを言うし、仕事らしい仕事もなさそうで、 海の底に寝っ転がっている、社会性ゼロの退嬰的なナマコになりたい、とも言う。

 というようなことを挙げていくと、失礼ながらいかにも冴えないオヤジのようであるが、 そんな森山氏が「日常の御託や屈託を引きずって路上に出ると、ぼくはぼくを包む外界の一切と 交感せざるを得ず、カメラを手にうろつくうちに、次第に自らがトランス状態に入っていること に気付く。そして錯綜する視界へとレンズを向け、とりあえずシャッターを押しつづける。 それはほとんど放電に似ていて、充足感とも達成感とも少し違う。しかし微かな快感をともなうのだ。 それがぼくの路上での在り様であり、また写真へのこだわり方である。」

 また、「とめどのない日々の煩瑣と、カメラを手に一歩出る外界のすさまじき氾濫とのさ中で”写す” という実際は、もはや作意や理由にもとづくのではなく、ふたたび動物的欲望と直感に拠る他ないというのが 率直な実感である。ぼくの内部のあらゆる欲望が、路上のさまざまな事物にリフレクトされ、ショートして ”写す”モメントが生じ、写すことによって、また更なる欲望へと連鎖するプロセスそのものが、 ぼくの撮影行為だといえる。」

 そして、「人ひとり生きつづけることは、年齢などと関係なく、いつだってシビアなはずで、 どうせいずれお迎えの日がくれば往くほかないのだし、そのときまでは歳なんぞ忘れて、 じたばたと生臭く生きていればいいのだし、生きる意味なんて、そんなところにしかあり得ない。 (中略)ひとまず、小さなカメラひとつと、なんとか使える足腰さえあれば、たとえ煩瑣な日常のなかで うろうろしていようと、あとはまあ、知ったことではない。」

 あとはもう、森山氏の写真を見ていただくばかりである。そこに、日常のなかから切り取られたもうひとつの日常、 「もうひとつの国」が、圧倒的なリアリティーをもって出現するのである。

吉江オススメ!

  • 11月22日 up
  • 三浦しをん
  • 出版社:集英社
  • 価格:1,575円(税込)

 三浦しをんという作家の、これから先も果てしなく伸び続けるであろう底力を見せつけられた秀作。 この重量感と奥行きの深さは何なのだ?!

 海辺の町ののどかな暮らしや美しい風景の裏にうごめく怪しげな人間関係を暗示させながらの 書き出しに続き、津波によって町が壊滅するまでの展開はその後の登場人物の人生のほんの入り口に過ぎない。

 災害の真っ只中で重大事件を犯した信之、美花、輔(たすく)に未来はなく、廃墟となった故郷がその 時点で彼らの<墓場>になり、永遠に償われることも報われることもないのだ。嘘と偽りで時が経過していく 中で繰り返される行為は背徳を越え、もはや哀しく虚しいものでしかなく、制御がきかなくなった心理を見事に描いている。

 懐かしい灯台の<光>、未来の<光>、平凡な日常の<光>・・・、あのときの過ちさえなければ普通に手に入るはず だった光明はするりと手から抜け落ちていく。

 光を捜し求めていたはずの彼らの行く手には混沌とした闇が広がるのみである。触れたくないもの、 見られたくないものは誰にでもあるが、そこから先の己の責任を間違った方向にしか動かせないという 自責の念にかられながらも引き返せないところまで来てしまった3人、そして信之の妻。

こころが死んだあの晩に、彼らのお墓はすでに建っていたのである。

吉江オススメ!

炎の営業日誌

  • 10月18日 up
  • 杉江由次
  • 出版社:無明舎
  • 価格:1,680円(税込)

 ああ、もうやんなっちゃったなぁ~・・・とがっくりした時(仕事でね)の解消法はいろいろあります。堂島ロールを恵方巻きのように食べる、お笑い番組を立て続けに見る。RCサクセションを大音量で聴く、カズオ・イシグロの写真を見る・・・など。 (←暗いよなあ)

 好きな本を読む、というのもそのひとつでありまして「見習い物語り」という本は、ワタクシにとって、よ~し、頑張るかぁ~という気持ちになれる1冊であります。(福武書店から出ていたものは絶版で今は岩波少年文庫になっています。舞台は18世紀のロンドン、あらゆる職業で見習いとして働く少年少女たちの姿が描かれています。)

 そして、「元気な人に会う」というのもかなり効き目があります。本の雑誌社のたった一人の営業マン、杉江くんが来店するとワタクシかなり元気がでます!きっと他のお店でもそういう書店員さんは多いのではないでしょうか。本屋大賞を立ち上げるきっかけとなった人物が彼。杉江くんは大げさなことも言いませんし、派手なことをぶちまけたりもしません。「いやぁ~、ボクなんか・・・・」を演じているのですが「本が好きなんだ!」というモノスゴイ熱意を隠しきれていません。(役者には向かないタイプ)

 いっそのこと「オレに触れるなよ、ヤケドするぜ・・・・」くらいのことを言ってもいいと思うほどです。右も左もわからずに、飛び込んだ書店営業という世界に青くなったり赤くなったり、時にはドス黒くなりながら歩き続ける毎日が泣きながら笑いながら綴られています。

 そんな彼の活力源は、本と人との出会いと、そしてなんといっても家族と浦和レッズ。きのうも、きょうもあしたもあさってもワタクシ、本屋なんだな~と疲れちゃったとき(本が大好きなのにね)杉江くんの頑張りに触れると「スギエさま、着いて参ります。」という気分に。「見習い物語り」ともう1冊、この「炎の営業日誌」がワタクシの”元気出せよBOOK”になりました!

杉江くん、これからも宜しくお願いします。

永井オススメ!

ロストジェネレーション

  • 10月3日 up
  • マルカム・カウリー
  • 出版社:みすず書房
  • 価格:5,040円(税込)

 「ロスト・ジェネレーション」とは、1900年前後に生まれたアメリカ人作家を指す名称である。 ヘミングウェイ、フィッツジェラルド、ドス・パソス、E・E・カミングス、ハート・クレイン、エドマンド・ウィルソン、 ケネス・バーク、そして本書の著者カウリーなど、アメリカ文学史上に燦然と輝く錚々たる面々が、この世代に属している。

 彼らは20歳前後のときに第一次世界大戦を経験した。その経験は人によってさまざまであり、実際に従軍した者もいれば、 戦場には赴かなかった者もいる。だが彼らは皆、戦争という出来事によって、精神的にも肉体的にも、 生まれた土地や出身階級や家柄といったものから切り離され、すでにこの時点で「移境者(イグザイル)」だったのである。

 戦後、自分のよりどころとなるものを失い、根なし草となった若者たちは、個人主義を標榜し、ビジネス中心主義、 金もうけ主義のアメリカ文明を嫌悪し、芸術の世界にのみ自分たちの本当の居場所があると信じ、 ニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジで、のちに国外脱出による救済を求めて、パリへ、あるいは南仏へと渡った。

 彼らアメリカ人亡命者たちは、人が純粋に芸術的動機から戦えることを証明するべく奮闘し、ヘミングウェイを中心として、 「ロスト・ジェネレーション」という国際的神話を創り出した。だがそのいっぽうで、異郷の地において、続々とやって来るアメリカ人に 出会うということは、自分が嫌悪し、反抗し、そこから逃れて来たはずのアメリカを見せつけられるということでもあった。 彼らはアメリカ人のいない土地を求めてヨーロッパを放浪したが、どこへ行こうとも、それは自分の居場所にはならなかった。 彼らはついに行き詰まり、皆アメリカに戻ってくる。

 本書の原題は、Exile's Return(移境者の帰還)である。しかしそれは勝利を得た者の凱旋帰国ではなかった。 彼らがいない間に故郷は変わってしまい、そこに暮らす人々も、そして自分自身も変わり果ててしまっていた。帰ってきたところで、 よそ者であることに変わりはなかった。どこにも居場所を見いだせない彼らは、自分が嫌悪しそこから脱け出した社会に屈服するか、 さもなければ走りつづけるよりほかなかったのである。

「ロスト・ジェネレーション」は、「失われた世代」であるとともに、「敗北の世代」でもあった。彼らはいわば「敗残者」である。 アメリカ文明という巨大な敵に反抗し、芸術を信仰することによって、個人としての生き方を貫こうと戦って敗れた。だが、 「敗残者」とは、戦いに敗れて生き残った者のことであり、生き残った者でなければ、何もできない。彼らはただ敗北感に 打ちひしがれていたのではなく、その敗北感こそが、偉大な文学作品を生み出す動機となったのである。 「ロスト・ジェネレーション」の作家たちは皆、敗北の苦い思いをその根底に持っていたにちがいない。 彼らは敗北をその存在の根として、走りつづけたのである。

吉江オススメ!

茗荷谷の猫

  • 9月20日 up
  • 木内昇(のぼり)
  • 出版社:平凡社
  • 価格:1,470円(税込)

 連作物語のおもしろさ、ここにあり!という秀作。

 ページをめくるたびに摩訶不思議な昇(のぼり)ワールドにどんどん引き込まれていきます。薄闇に迷い込んだような、 このなんとも表現し難い浮遊感はどこからくるのでしょうか。しかもそれらはただ単にふわふわとしているのではなく、 しっかりと根が張り、揺るぎないものが存在しています。

 シンプルなフォルムの木戸をくぐって、ふと後ろを振り返ったら(まるで歌舞伎の舞台で、黒子さんが ささっとそれを持ち去ってしまったかのように)もうそこには木戸はなく、引き返そうにも引き返せない、 もう戻れない・・・、そんな状況にぽつんと置かれてしまった・・・そんな感じなのです。泣きたいのか、 笑いたいのか、自分でもよくわからなくなってくる短篇は押し付けがましくない設定で、骨太に繋がってゆくのです。 木内さんという人は、何らかの手段で本当にこの時代にひらりと着地しその瞬間を見てきたのではないか、と疑いたくなるほど。

いい作家さんに、いい作品に巡り会えたヨロコビは何ものにも代え難い。

吉江オススメ!

運命の日

  • 9月5日 up
  • デニス・ルヘイン
  • 出版社:早川書房
  • 価格:1,890円(税込)

 「超大作!」、「待望の!」というコピーをつけても「デニス・ルヘインって誰よ?」と考えてしまう方も多いと思います。 クリント・イーストウッドが監督し、アカデミー賞を総ナメした映画「ミスティック・リバー」の原作者、とご説明すれば、 あ~、アレね!とお分かりいただけるでしょう。上下巻でしかも2段組、はっきり言って長いです!登場人物多過ぎです! (読み進めていくうちに自然と重要人物は絞られていきますので「ま~ったく、カタカナの名前はよォ~」と嘆く必要はありません、 ご安心を。流出、死滅していく一方のワタクシの脳細胞でも理解できました。)

 しかし!その長さも読み終わってみれば納得の長編。舞台は1910年代末のアメリカ、ボストン。 不況、物価の高騰、貧困、疫病、人種差別、劣悪な労働条件、テロ、ストライキ・・・と人々は生活に 明るい材料を見出せず不条理と忍耐の日々を強いられている。高名な警察官を父に持つダニーは自分も警官で ありそれに対して疑問もなくすごしていたが、あることをきっかけに彼の中に芽生えた矛盾への怒りから労組運動にのめり込んで行く。 ダニーの実家に雇われた黒人ルーサーは暗い過去(身から出た錆といわれればそれまでだが)から逃げ、 遠く離れた妻子に思いをはせながら生きている。家族愛、人間愛・・・、愛するがゆえに生じる憎しみや悲しみが 渦巻くなか、動き出した運命の歯車は容赦なく廻り続けていく。<White>と<Colored>の深い深い溝、 官僚やお役所仕事の腐敗、アメリカの暗黒が見事に描かれています。いつの時代でも弱い人々が虐げられ闇に葬られていく 、そんな哀しい事実はあるけれどやはり魂を売ってはいけない、信念をなくしてはいけない、正直でなければいけない、 そんな気持ちにさせてくれる作品です。暗い時代に、人々の希望であった野球選手、ベーブ・ルースも微妙な登場で絡んできます。 それにしてもなぜか今の日本を見るような世情にちょっとぞっとしますがね・・・。

吉江オススメ!

昔のミセス

  • 8月9日 up
  • 金井美恵子
  • 出版社:幻戯書房
  • 価格:1,995円(税込)

 この本を手に取って何気なくパッと開いたページ、どこかで見たことがある写真が眼に飛び込んで来ました。 榎本健一の顔写真です。そうだ、これは森茉莉の「私の美男子論」(筑摩書房・こんなにすてきな本なのに惜しく絶版。 若き日の深沢七郎とか仲代達矢なぞ、ひゃあ~~というくらいカッコイイのですよ、カメラは大倉舜二さん。筑摩さん、 復刊してください。)の1ページです。(もともとは『ミセス』に連載されていた。)

 さすがにワタクシ、いくらなんでも「エノケン」(というのだそうです)のジャストタイムは知らないのですが、 稀有の喜劇役者として一世を風靡、病魔におかされ足を切断、その後、義足でトンボを切ったというスゴイ人! 初代中村仲蔵みたい!(松井今朝子『夢の仲蔵』講談社文庫を読もう)

と、まあ、ここまでは余談です。

 いつもいつもスパッと鋭い切り口でスカッとさせてくれる金井美恵子さんの最新エッセイです。 ワタクシが子どもの頃、母が毎月定期購読していた婦人誌といえば「家庭画報」、「暮しの手帖」、そして「ミセス」等々 。それらの記事を頼りに母はオーブンでおしゃれなお菓子を作ってみたり、見よう見まねで流行の服を縫ってみたいり、 さまざまな新製品をチェックしたりしていました。子どもごころに「あ~ゆ~雑誌を真似るとナンダカお洒落なのだ!」と感じていたものです。 (しかし、洋風にアレンジされた花は<畳に座布団で冷奴を食べている我が家>にはやっぱりヘンだったなあ~。)

 そんな<昔のミセス>が金井さんの感性で軽妙に語られています。豊かになろうと日本中が一生懸命だった高度成長期、 今の日本はこんなに豊かになったけれど、なんだかこの本のなかに溢れる昭和30~40年代の「かわいい必死さ」を 感じることはないですよね。

 古きよき時代とやらにしがみつく気はないし、無理な懐古主義もガラじゃないけれど、「あの時代を、今、語る」ことは単なる ノスタルジーではないことがよくわかります。ライフスタイルなぞという言葉が存在しなかった頃の毎日をいかに<特別に> <素敵に>しようかと夢見て多少なりとも実行していたであろう当時のミセスに向ける金井さんの視点は優しく、ほろ苦い。

 「今のミス」、「今のミセス」にもちろんおすすめ、時代は変わっても人間って本来そんなに変わらないよ・・・。 挿入されている当時の「ミセス」の記事、写真も非常にセンス良し。70歳過ぎのお母さま、奥さまにプレゼント、なんていうのもアリです。

永井オススメ!

セルフビルド

  • 6月30日 up
  • 石山修武=文・中里和人=写真
  • 出版社:白揚社
  • 価格:2,520円(税込)

 自分の家、いわゆるマイホームを建てる、ということが人生における最大の夢である、という人は沢山いて、 それが実現した暁には、自他共に一人前の人間として認められて鼻が高い。頭が高い。というわけなのだが、 家を建てるといっても、じっさいには、たいていお金を出して、というよりもローンすなわち借金をして家を買うのであり、 実物を建てるのは大工さんであって、あなたではありません。

 なんて言うと、そんなことは当たり前だ。こいつは家を買うだけの経済力がないものだから、 悔しまぎれにそんな屁理屈をこいているのだ、あわれなものよ。と思われる方もいらっしゃるかもしれないが、 そういう気持ちが多少はあったとしても、そういうことではなくて、家を建てる、ということは字義どおり家を建てることである、 ということが言いたかったのであり、本書には自分で自分の家を建ててしまった人たちがつくり出した、愉快痛快な世界があるのである。

 トラックの荷台に建てられた二階建てになる家。コルゲートパイプ(本来は地下埋設の下水管・配水管)の住宅。 カンボジア・トンレサップ湖に浮かぶ家。町全体がセルフビルドでつくられたネパールの町。子供が家作りに参加できる家。 隅田川堤防の0円でできた家。著者石山氏の未完の自邸「世田谷村」…等々。

 どれもこれも超がつくほど個性的で型破り、他に二つとない、真似のできない家である。これらが出来上がるまでの過程は、 家を建てるイコール家を買うという世間一般の手続きとは著しく異なっていて、建てる人の個々の事情というのが大きく関わってくる。

 ここをこうしたいああしたいという希望願望熱望があって、ということもあるし、あるいはスペースが限られている、 土台がない、予算が極端に少ない、即解体即移動即組立可能でなければならない、などの不自由やら制約やらがあったりするのだけれども、 そういったもろもろがあるからこそ、知恵と工夫と心意気が発揮されるのであって、そうして建てられた家には、 みずからの手でものをつくり上げた人にしか得られない自由が表現されているのである。

吉江オススメ!

The Road (ザ・ロード)

  • 6月21日 up
  • コーマック・マッカーシー
  • 出版社:早川書房
  • 価格:1,890円(税込)

 前作「血と暴力の国」がコーエン兄弟により映画化され(No Country For Old Man) アカデミー賞に輝いた現代アメリカ文学を代表するマッカーシーの新作、ピューリッツアー賞受賞作が遂に登場。

 いつ、どこで、何が起こってこうなってしまったのか・・・という説明はなされてはいないが核戦争後の合衆国であることが 読み取れる。

 僅かな人間しか生き延びてはいない中で、食人族の襲撃を避けながら地獄(が地上に存在するのであれば、まさにここが 地獄というほかは、ない)の旅を続ける父と息子の様子は読者の諸々の感情を打ち砕くがごとくの強烈な週末世界そのものの連続である。 動物はもちろんのこと植物さえも生息していない灰色の世界の道(Road)を進むしか選択肢のない彼らの壮絶なありさまは、 1分いや1秒先の<生存と戦う>という瞬間をかろうじて いでゆく、ただそれのみである。

 読み進めるうち、彼らと同じように絶望の中を何としてでも生き残らなければならない、 信じるものを守り抜くという光を見つける旅を共に続ける気持ちになっていくのは、 そのあまりの過酷さを実に細かく淡々とリアルに描いているからこそである。

 父と子の、短い細々とした会話の切実さ、脆さ、哀しさは、例えば雄弁に語られる教訓めいた言葉が あってもあまりに陳腐で寄せ付けもしないだろう。

 「自分がも同じ状況に陥ったら」という仮説を立てる気にさえもならないモノクロームのストーリーだが、 それでも「善」と「悪」は存在し、(そもそも善と悪の違いとは何なのか?)人は「神」を口にする。 そこの「思いが強ければ実現する」意思と希望を見出せることがせめてもの救いであろうか。

 少年は「火」を運ぶ救世主(Load)となり得るのか。暗く、残酷で悲惨極まりない状況をまったく躊躇なく、 ここまで描き切るマッカーシーの凄さがここにある。

 ただただ圧倒され、押しつぶされそうになるこの小説に読者はこころして立ち向かわなければならない。

ちなみに「血と暴力の国」は扶桑社文庫・税込み900円です。

吉江オススメ!

アンのゆりかご 村岡花子の生涯

  • 6月16日 up
  • 村岡恵理
  • 出版社:マガジンハウス
  • 価格:1,995円(税込)

 昔々のことです。「この本だけは勝手に私の本棚から持ち出さないでよ!」と姉からキビシク言い 渡されていたのがモンゴメリのアン・シリーズでした。小B6版のハードカバーのそれらは、 棚に並ぶ数多くの本たちのなかでも<特別扱い>され、大事に綺麗なカバーをかけられ、 姉の手描きの凝ったイラスト入りの栞がはさまれていました。

 きっと世の中の少女のほとんどが同じ想いでアンに没頭した時期があったはずです。 それは今の時代でも同じこと。ワタクシもこの小B6版を姉のご機嫌を伺いながら夢中になって読みました。 しかし、翻訳者の村岡花子さんの人生やアン誕生の背景などはまったく知らずにいたことを恥じ入りました 。村岡さんが編集・翻訳者として教文館で働いていらっしゃったことさえ知らなかったのです・・・。 今まで先輩たちからその話を聞いたこともなかったし(大正~昭和のことですから無理もないか? というのは言い訳ですが)母の「村岡さんって確かクリスチャンよ。」ということばもへぇ~、そぉ~、 くらいにしか思っていませんでした。

 そして<こんな素敵な日本語に訳すなんて村岡さんという人はきっと東洋英和の深窓の令嬢で優雅に のんびり暮らして苦労しらずなのだろうなあ~。>なんて、勝手にトンデモナイ想像をしていました。 あの時代を鑑みてもむしろ人よりずっと辛い立場で苦労し、努力し、それらを乗り越えてきたからこそ の優しさと温かさ、聡明さゆえのアンなのだと。空襲の戦火の下で訳され奇跡的に生き延びた原稿が、 後に少女たちを夢と憧れの世界に導いたアンなのだと。

 この本を読んでワタクシははじめてちゃんとアンに向かい合ったように感じています。村岡さん自身と、 そして周辺の女性達のなんと志高く、気高く、意思が強く、まっすぐに生きていたことか!アンの翻訳=村岡さんで あることは事実ですが、村岡さんの生き方は児童文学の礎(いしずえ)のみならず、女性の権利や平和の提唱、 信仰、恋愛のありかたにまで多大な影響を与えました。教文館にこんなすばらしい大先輩がいらしたことを誇りに思います。

 村岡さんとは東洋英和時代に出会い(途中の音信不通を経て)生涯の友となった柳原白蓮に興味を持たれた方は 「白蓮れんれん」(林真理子・集英社文庫)をぜひどうぞ。

永井オススメ!

異郷日記

  • 6月13日 up
  • 西江雅之
  • 出版社:青土社
  • 価格:2,310円(税込)

 「わたしにとって、自分の皮膚の外側はすべて異郷だ」と著者の西江雅之さんは言う。 ニューギニア、キューバ、中国、バリ、ソマリアなど、本書には13篇の「異郷」が収められているのだが、 それは単なるツアー的な異郷体験ではない。西江さんは文化人類学者であるから、それぞれの土地について 相当の知識を持っているのだが、その知識で身を固めて乗り込んでいくという感じは全然しない。 現地の人々と言葉を交わし、いろいろと見たり聞いたりして歩いていくうちに、その地の歴史や文化や 習慣がさりげなく挿入されているから、その場所の空間だけでなく時間までもが浮かびあがってきて、 いつでもそれぞれの土地の明るい空の下にいるのだというような開放感をおぼえさせてくれる。

 この開放感がどこから来るのか、といえば、もちろん西江さんから来るのである。みずからを 「開放性・自閉症」と呼ぶように、西江さんは誰とでも気軽に付き合える人であるという。そのいっぽうで 自分の内側にあるものは崩さない。しかしそれは自分自身にしか意味を持たないし、他人にその正当性を主張しない。 だから、自分がどこにいても異郷の人だ、と言うのである。

 考えてみれば、というよりも、ほんとうは考えるまでもなく、誰もが自分とは違う人間なのだ。 いわゆる異郷の地にあれば、自分と言語や習慣が明らかに違う人間がいるから比較的わかりやすいが、 それは自分が住んでいる町であっても変わらないはずである。三鷹で出会った人たちもまた、 とうぜん自分とは違う人間であるし、人それぞれに他からは窺い知れない物語があるのであり、 その窺い知れなさが自他の違いであり、異郷なのである。そしてそれはそのままでよいのである。

吉江オススメ!

人類が消えた世界

  • 5月27日 up
  • アラン・ワイズマン
  • 出版社:早川書房
  • 価格:2,100円(税込)

 世界中のあちこちで起こっている自然災害のニュースを目にしない日はありません。 ワタクシに出来ることはせいぜい<ドラえもん募金>に電話をすることくらいです。

 数年前までは温暖化やなにやらなんて遠い未来のように思えていましたが、こうもいろいろな事柄が激変してくる と日頃ボケボケしているワタクシでさえさすがにこれはマズイことになっている、とまじめに考えます。 レイチェル・カーソンが危惧したとおりになっているではありませんか!このままだと日本だって <亜熱帯地域>に属すことになるかもしれませんよね・・・?今頃、エコだなんだって慌てても 遅いんじゃないかぁ?と思いつつも日常範囲で出来ることはやっているつもりです。

 地球がどうかなっちゃうんなんて想像したくもないのですが、この本を読むと <あり得る!あり得るんだよ~!>という気持ちにならざるを得ないのです、まったく 。地球がどうのこうのの前に<地球上から人間がひとっこひとりいなくなったら> というところから始まるこの本。全部仮説じゃないか、と言われればそれまでですが 細部にわたる綿密な検証事例をふまえて書かれた世界は仮想とは思えません。崩れゆくもの、 持ちこたえるもの、人類が消えた街は、工業地帯は、農地はどうなっていくのか・・・。 具体的な場所を特定しているのでリアルさが増します。人類が地球上から消えて数日後から なんと50億年後までを想定しています。

 そしてほとんどのものが崩れ、消失し、変化しても「プラスティックは自然に死を迎えない」そうで・・・。 せめてエコバッグを使おうね~!(しかし、ワタクシはどれだけたくさんエコバッグを持っているのか・・・、 それがすでにエコじゃないような気がしますが?)

早川書房のHPで <あなたが消えた後のあなたの家はこうなる>画像を見ることができます。(you tube提供)

永井オススメ!

日本のステンドグラス 小川三知の世界

  • 5月19日 up
  • 増田彰久/写真・田辺千代/文
  • 出版社:白揚社
  • 価格:3,150円(税込)

 日本におけるステンドグラスの先駆者のひとりであり、その普及と発展に多大な貢献をしたのが、 小川三知である。

 慶応三年(1867)、静岡に生まれた三知は、東京美術学校日本画科に入学し、橋本雅邦のもとで日本画を学んだ。 卒業後、山梨や神戸で教職に就いていたが、新しい絵画の道を求めて渡ったアメリカでステンドグラスに出会う。 11年にも及ぶ留学生活から帰国した三知は、その後、亡くなるまでの約十五年間を、ステンドグラス製作のために休む間もなく奔走した。

 千年以上の歴史がある西欧諸国のステンドグラスに比べれば、はるかに歴史の浅い日本のステンドグラスが、 明治中期から昭和初期にかけての短い期間で、西洋の稚拙な模倣にとどまらない、非常に質の高い作品を生み出すに至ったのは、 日本が障子という文化を持っていたことが大きく寄与している。そこに日本画のモチーフと構図、そしてステンドグラスの技術が、 小川三知という人物を通じてみごとに融合され、まさに「日本のステンドグラス」と呼ぶにふさわしい、 世界でも通用する独自の美を築いたのである。

 三知の作品は、洋風和風を問わず、教会堂はもちろんのこと、個人の邸宅、学校、図書館、病院、商店、客船、客車、家具、 ランプ傘など、膨大な数にのぼる。惜しいことに現存しないものも多いが、それだけに本書に収録された作品の数々は、 日本の近代化の貴重な遺産である。

吉江オススメ!

世界文学全集『ハワーズ・エンド』

  • 5月13日 up
  • E.M.フォースター
  • 出版社:河出書房新社
  • 価格:2,730円(税込)

 フォースター作品の核は『社会の壁』(階級・・・英国でいうところのクラ~ス・・・や価値観の違い)を越えて お互いに理解しあおうとする主人公たちの姿を描く点にあります。特に『インドへの道』とこの『ハワーズ・エンド』 ではそういった部分を深く読み取れることでしょう。

 詩を諳んじることが日常であるような知的で自由主義の考えを持つシュレーゲル家の姉妹と、ハワーズ・エンド邸に住む (どちらかというと教養に欠ける)実業家のウィルコックス家の関係を通して、人と人との結びつき(題辞にもあるconnect)、 感情の推移が非常にきめ細やかに表現されています。

 人を深く理解しようというのは所詮無理な行為と百も知りつつ、それでもなんとか少しでもわかり合いたい、 愛したい、結びつきたいと努力することが、意味のある人生を築く要素になるのだということをこの作品は教えてくれます。 姉のマーガレットと妹へレン、ウィルコックス家の家長ヘンリーを中心とした、それぞれの心情の変化、様様な出来事、 そこに介在するユーモアや皮肉たっぷりの会話の妙に英国文学ならではのおもしろさを堪能できます。

そして!以前と同じ(92年・集英社刊)吉田健一さんの訳のままというスバラシサに感涙!! 吉田氏の名訳あってのこの1冊だと断言してしまおう!この作品が世界文学全集シリーズに入ったことは ワタクシにとって大きなヨロコビです。

 この作品はアンソニー・ホプキンスとエマ・トンプソン主演で(この2人しょっちゅう共演してますね~、 「日の名残り」とか。)映画にもなりましたがこちらもおすすめです。

『ハワーズ・エンド』がお気に召したら

  • 『天使も踏むを恐れるところ』(白水社・本体970円)
  • 眺めのいい部屋』(筑摩文庫・本体1000円)
も是非お読みくださいね。

永井オススメ!

神経内科医の文学診断

  • 5月12日 up
  • 岩田誠
  • 出版社:白水社
  • 価格:1,995円(税込)

 日本におけるステンドグラスの先駆者のひとりであり、その普及と発展に多大な貢献をしたのが、 小川三知である。

神経内科医である著者は、古典的名作から現代小説まで、三十の文学作品に書かれた病気や症状を診断している。 著者は「自分の専門領域の病気や症状に出会うたび、その作品に特別な親しみを感じたり、作家の観察眼にすっかり感心 したり、あるいはその作品をそれまでとは全く違った観点から理解するようになってしまう」という。

 本書に収められたエッセイは、もともと医学雑誌に連載されたものである。したがって、「レヴィ小体病」「閃輝暗点」 「内頸動脈解離」などといった、耳慣れない、というよりも聞いたこともないような専門用語が出てくるのであるが、 そんな何のことやらわからない難しい病名を付けられたのでは文学がつまらなくなってしまうのではないか、 という心配は無用であって、むしろさらに面白くなるのである。

 たとえば、ホーソーンの『七破風の屋敷』に書かれた登場人物の病気を、「ランデュ=オスラー=ウェーバー症候群」 である可能性が高いと診断し、さらにその症状から、この一族のルーツがオランダにあることまでも推理してしまう、 あざやかな手際を見せるかと思えば、プルーストの『失われた時を求めて』における瞳の描写をとり上げ、実際の瞳孔反応の時間と、 瞳孔反応の記述を音読するために要する時間との違いから、著者は「文学が時間を伸ばし得る力を持つという不思議さに驚かされ」、 この小説が、「文学における、要約するためにそぎ落とされ失われた時間を取り戻すための試みであったことが、 はっきりと理解できるようになった」というのである。

 まさに瞠目すべきことの連続であって、なるほどこういう読み方があったのか! と本当に感心してしまう。 せっかくひとつ新たな視点を得たのだから、この本で紹介された作品のうち、読んだことのあるものはもう一度読みたくなるし、 未読のものはぜひ読んでみたくなる。

さて、どれから取りかかろうか。

永井オススメ!

ネッシーに学ぶ生態系

  • 4月25日 up
  • 花里孝幸
  • 出版社:岩波書店
  • 価格:2,100円(税込)

 ネッシーはいるのか。という議論は、最近では滅多にきかれなくなってしまったが、人々の関心が薄れたからといって、 ネッシーはいない、ということにはならない。すでに絶滅した恐竜が現代にいるはずがない、と鼻で笑っても それで存在の可能性をあとかたもなく吹き飛ばせるわけでもないし、ネッシーの姿をとらえたとされる有名な写真が捏造 であることが判明しているからといって、それが完全にその存在を否定することにはならない。

 以前の「いる」「いない」という論争は、写真がその存在証明にされたことからもわかるように、 ネッシーを見たかどうかということばかりが云々されていたようである。そこで視点を変えて、ネッシーがいるとされるネス湖に、 その正体と考えられるプレシオサウルスが棲めるのかどうか、ネス湖の生態系を調べることによって、 マジメに考察したのが本書の著者である。はたしてその結論は…それは読んでいただくことにしよう。

 ネッシーと生態系、というのは私自身、いままで考えてもみなかった結びつきであったが、生物であれば、 人間を含めてどんなものでも生態系のなかにあるのであって、ネッシーだって、存在するのだとすればその 棲息地の生態系に組み込まれているはずである。そんな当然といえば当然のことにあらためて気付かされる。

 われわれは当然のことが当然であるがゆえに見えなくなっているのと、ふだん当然のごとく見ているものごとが、 じつは非常識であった、ということがあって、生物とその生態系についてもそれが言える。たとえば、澄んだ水の中 を泳ぐ魚の映像を見れば、いかにも魚が快適な環境で生きているようであるが、本当は餌を得るということからも、 外敵から身を守るということからも、水が濁っていたほうが棲みやすいのだという。また、シベリアから日本の湖に 飛来してくる白鳥に餌付けをするという光景を、何の気なしに見ているけれども、それがシベリアの生態系に深刻な 影響を及ぼすかもしれない、とこれは今のところ著者の「妄想」であるが、そうした危惧もあるのである。

 人間が「よかれ」と思ってしていることが、ほかの生物にとっては余計なお世話、大迷惑なのかもしれない。 人間が「良い」「美しい」と考えることが動物にとってもそうであるとは限らない。それはただのエゴにすぎないのではないか。 ということをわれわれは肝に銘じておくべきであろう。

吉江オススメ!

郵便屋さんの話

  • 4月24日 up
  • カレル・チャペック
  • 出版社:フェリシモ出版
  • 価格:1,400円(税込)

 小さい頃から郵便局というのはとても魅力を感じる場所のひとつです。窓口でばんばん判子を押していたり、 何かの用紙のミシン目のところをピリリと破いていたり、ものすごく細かい数字まできちっと測れる量りで0.何グラムまで ピシッと測っていたりという作業。順番待ちのカードの番号を呼ばれたときには居住まい正して窓口へ・・・ってなもんです。 壁にはいろいろなサイズのゆうパックの箱の見本、季節の切手のサンプル、お取り寄せのカタログや旧型ポストの形の 貯金箱がずらりとディスプレイされていたり、大変良い眺めです。

 さてさて、ここでチャペックの登場!「園芸家12か月」や「ダーシェンカ」でお馴染みの、 言わずと知れたチェコの作家です。

郵便屋って退屈な仕事だなあ。」と日頃嘆いているゴルババさんはうっかり仕事場で居眠りをしてしまい そのまま夜になってしまいます。何かの気配に夜中に目を覚ますと、なんと妖精小人8人が郵便屋さんの制服姿で 働いている場面を目撃します。昼間の自分たちの仕事のミスを小人郵便屋たちが一生懸命フォローしているのです。 そして彼らは手紙を額にあてただけで開封しなくても内容がわかってしまうという不思議な能力を備えていました。 真心のこもっていない手紙は冷たく、愛情にあふれたものは暖かいのです。そしてゴルババさんは、宛て先が書いて いないために不達となっている1通の手紙を届けるべく小人郵便屋のアドバイスを受け、孤軍奮闘を開始する・・・ というストーリー。優しい表現や設定で世の中の矛盾や不条理をチクリと描くチャペックの世界は絵本でも健在です。 こんな素敵なお話にぴったりの絵を描いたのはイラストレーターの藤本将さん。色使い、タッチ、とにかくお洒落でかわいい。

 メールやインターネットのおかげで、私自身、以前に比べて手紙を書く回数は確実に減ってしまいました。この絵本を読み終えてからすぐにお友達に「こんなすてきな絵本を見つけたよ。」とペンを取りました。

 本をプレゼントする、という行為はとても難しいですよね、でも、この本なら喜んでくれる人が多いのではないかしらん?今、まさに春の読書週間の真っ最中!レターセットと一緒にこの本を贈ったらどうでしょう。

 う~ん、それにしても本屋にも妖精小人書店員がいないかな。(いや、案外いるかもしれない!わたしのミスを夜中に修正してくれてるのかも?)最後に、この本のカバーには<たのしい秘密の仕掛け>があることも付け加えておきます。

永井オススメ!

鉄腕ゲッツ行状記

  • 4月18日 up
  • ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン
  • 出版社:白水社
  • 価格:2,625円(税込)

 本の題名って大事だなあ、と思うのは、こういう本に出会った時である。「鉄腕」「ゲッツ」「行状記」と並べられたら、 その中身を知らないうちから、いかにも何かやらかしてくれそうではないか。そのうえ副題が「ある盗賊騎士の回想録」とくれば、いやが うえにも期待が高まるというものである。そしてじっさいにゲッツはやらかしてくれたのである。

ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン(1480?-1563)は、ドイツ(神聖ローマ帝国)の騎士である。彼が生きたのは、 マルティン・ルターやアルブレヒト・デューラーとほぼ同時代、すなわち宗教改革やルネサンスの時代であり、 中世から近世へと移行する大転換期であった。

戦場で砲撃によって失った右手に精巧な鉄製の義手を付け、ゲッツは「鉄腕騎士」として武勇の限りを尽くした。 しかしこの武勇、いささか差し引いて考えなければならないようである。騎士というと、とうぜん騎士道精神というのが あって、「我こそは・・・」と名乗りあい、「いざ尋常に勝負いたせ」かなんか言って、正々堂々と戦う、 というイメージを抱いてしまうが、実状はそうでもなかったらしい。

 中世の貴族には「フェーデ」という自力救済権が認められていた。フェーデというのは本来、 豪族のあいだで持ち上がった紛争を、皇帝に訴え出ることをしなくても、たがいが力で解決することを 認めた権利であった。だが、ゲッツの頃になると、この権利を勝手に拡大解釈し、都市や大貴族、諸侯など、 狙った相手に対して、自分の権利を侵されたとか何とか、イチャモンつけて襲撃し、賠償金やら和解金をせしめる、 という悪辣な行為に変わってしまっていた。ときにはとりあえず襲撃しておいて、口実はあとから考える、 なんてこともあったらしい。要するに恐喝、強盗、追い剥ぎである。これが「盗賊騎士」とよばれるゆえんである。

 いくらなんでもそんなことがいつまでも許されるはずもなく、時の帝国議会において、フェーデは禁止される。 すなわちフェーデは犯罪となり、ゲッツは犯罪者として教会を破門される。にもかかわらずゲッツは、 それがどうしたと言わんばかりに暴れ回り、襲撃を繰り返した。ここに盗賊騎士としての面目が躍如としている。 もちろん犯罪だからとうてい褒められた話ではないのだが、読むほうとしては、不謹慎ながらすこぶる痛快なのである。

 ゲッツが生きたのは、先に述べたように宗教改革の時代であり、当時は教会の権威が弱体化していたという事情がある。 ゲッツは、神は信じるが、教会は無用、と考えていた。やがてごく早い時期にルター派に改宗している。 そんなところからも、ゲッツはまさにこの大転換期を体現した人物であった、と言うことができるであろう。

永井オススメ!

猫の絵画館

  • 4月11日 up
  • 出版社:平凡社(コロナブックス)
  • 価格:1,680円(税込)

 猫はかわいい。どれくらいかわいいかというと、猫はかわいい、ということが万人の真理であると思い込むほどかわいい。もうたまらなくかわいい。猫好きの人間にとって、猫はただただかわいいのであり、それはたいへんけっこうなことである。

 が、それだけではまだ足りない、という贅沢がわれわれには許されている。絵画である。このかわいい猫ちゃんが、絵の題材として描かれると、ただただかわいい、というだけにとどまらず、ある部分を強調したり、デフォルメしたり、擬人化したりすることによって、よりいっそう強い印象、濃い印象を見る者に与え、一味も二味も加わった「かわいい」になるのである。目鼻立ちのキリリとした男前あるいは美女猫の「かわいい」。これはちょっと…という御面相のブサイク猫の「かわいい」。恐ろしい形相で迫ってくる化け猫の「かわいい」。役者絵になったり、大道芸人になったりする猫の「かわいい」。等々。

 なんだ、結局「かわいい」としか言ってないじゃないか。とおっしゃる? そのとおり。ごもっとも。だって、かわいいんだもん。 ともかく、猫が好きで絵が好き、という方であれば必見。どうぞお気に入りの猫を見つけてください。

永井オススメ!

芸術家とデザイナー

  • 4月4日 up
  • ブルーノ・ムナーリ/萱野有美
  • みすず書房
  • 価格:2,520円(税込)

 「芸術家」と「デザイナー」は、ともに視覚的な創造活動に従事する者であるがゆえに、混同されがちであるけれども、本書においてムナーリは、この両者のちがいを明らかにしている。

 「芸術家の夢は、平たく言えば美術館にたどり着くことであるが、デザイナーの夢は市内のスーパーにたどり着くことである」 芸術家とは、一点ものの作品を、自分の手で作る者であり、自分自身のために、そしてそれを解するある種のエリートのために 仕事をする。芸術家は独自の様式を持ち、主観的な方法で作業する。作品は唯一無二のものであるから、それを所有する者は特定される。「誰かが」所有することができる。

 デザイナーとは、審美の眼を備えた企画設計者であり、共同体のために仕事をする。それは集団によってなされる。デザイナーは全共同体のために、実用と美観という観点で、世間によく知られ、広く消費される製品を作ろうと、グループで作業する。製品は量産されるから、不特定多数の人々が所有する。「誰もが」所有することができる。この本において、ムナーリは芸術とデザインとのあいだを、 何度も行ったり来たりして、芸術とは何か、デザインとは何かを考察しているが、実際の仕事においても両者を横断するような 作品を残している。

 たとえば「ムナーリのフォーク」。われわれが普段使っているフォークの形状、それは誰とも知れない誰かが産み出し、 現在に至るまで使われつづけているデザインであるが、これをさまざまに折り曲げ、いろいろな感情の身振りを表現する ことによって、フォークがフォークであることから離れ、芸術性を帯びてくる。

 それから、「旅行用の彫刻」という作品がある。これは、とかく重くてごつごつした塊というイメージがある彫刻を、かんたんに持ち運びできるようにするにはどうしたらよいか、という発想から生まれた。それは切れ目と折り目を入れた一枚の紙であり、旅先のホテルの部屋で組み立てればすぐに彫刻になる、というものである。これならば量産が可能であり、誰もが所有することができる。それは芸術がデザインにひらかれていくということである。

 こうした遊び心に富んだ作品を作ったムナーリは、芸術家でもあり、デザイナーでもあった。どちらでもあるということは、どちらでもない、ということでもある。しかし、どちらでもない、ということは、どちらでもよい、ということではない。だからこそ、芸術家とデザイナーを分析し、それぞれを明確に定義づけなければならない。それはモラルである。そのモラルに立脚してはじめて、芸術とデザインとを、自由に行き来することが可能になるのである。

永井オススメ!

福井利佐切り絵作品集

  • 2月13日 up
  • 福井利佐
  • 出版社:情報センター出版局
  • 価格:3,045円(税込)

この作品集の印象をひとことで言うと、「黒」である。黒であるから画面は暗い。暗い絵である。たしかに暗いかもしれないが、不思議と暗さがもたらすような陰気さはない。それはほかの色彩とのコントラストというのももちろんあるが、やはり彼女の描く線によるところが大きい。その生き生きとした躍動感のある黒は、むしろ明るいとさえ言える。

 黒が明るい、なんていうと変に聞こえるけれども、明るいといっても黒だから、脳天気な明るさではない。 その黒い線から浮かびあがってくるのは、生きているからこそ感じられるふるえやおののき、 あるいは不安や恐怖――その根源をたどれば「死」ということになるが、生きているということはいずれ死ぬ ということである――といった感情を、それが暗い感情であることをもひっくるめたうえでの生の肯定であり、 生の肯定であるならばそれは…という意味での明るさであるように思われる。

 彼女の世界では、黒は生命の色なのである。

吉江オススメ!

土曜日

  • 1月24日 up
  • イアン・マキューアン
  • 出版社:新潮社
  • 価格:2,310円(税込)

「愛の続き」、「アムステルダム」、「贖罪」などで読者の心をワシヅカミにし続けているマキュアンです。これらの作品イコール(=)マキューアンの作風・・・のイメージで今回も読み始めたら、あらら~・・・、違ったわ! いや、がっかりしたわけではありません、むしろ、更に好きになりました。「こうなるだろう」、「こうなって欲しい」という読み手の願いを次々と裏切ってくれます。やっぱり、スゴイわ、この人。

 今までは、自分の意思とは裏腹に行きがかり上、事故を起こした気球にぶら下がっちゃったり、 死んだ元恋人の葬儀で三角関係だった相手に出会っちゃったり、お姉ちゃんとその恋人を陥れたり・・・というような 『なにかトンデモナイ不幸に突入!』する人々を描いてきた間キューアンが設定を一転させ、優秀な男性医師を主人公 にしています。美しい妻はバリバリのキャリアウーマン、若いうちから名の知れたミュージシャンとなった息子、 一流出版社から本を出せるような詩人の娘。いつもと変わらぬ週末となるはずの土曜日の早朝、大事には至らなかった とはいえ飛行機事故を主人公が目撃するシーンから始まるのですが、この一件が先の展開のメタファー。 (ネタバレなので内容はこれでおしまい)人間の心の奥深い病みをあらゆる角度から見つめ様々な表現でそれを再現するマキューアンの力の大きさをひしひしと感じます。

 ニューヨーク・タイムズ紙で散々な言われようだったらしい本作品(しあわせな人間を題材にするのは反感を買う?)ですが、わたしは支持します、大好きです!

永井オススメ!

綺想迷画大全

  • 1月22日 up
  • 中野美代子
  • 出版社:飛鳥新社
  • 価格:3,800円(税込)

「頭隠して尻隠さず」ということわざがありますが、広い世の中を見渡せば、隠す頭のない人や、隠そうにも頭が多すぎる人や、隠さない尻に顔がある人がいたりして、そんなのは人ではないと言われるならばその通り、妖怪だとか魔物だとか呼ばれておりますけれども、これらはなにを隠そう、人間の想像力が産み出したものどもであります。

 昔々のそのまた昔より、未知のものにたいする興味関心好奇心によって、想像力をいたく刺激された人々は、 これを絵に描いてあらわし、そこで命を与えられた異形のものどもは、それを見た人々の心のなかにとどまりつづけ、 現代まで生き延びてわれわれの目の前にいるのです。だから、そんなものが存在することなどあり得ない、 と切って捨ててしまうわけにはいかないのであって、それどころか、すでに絵のなかに存在しちゃってるのだから 否定のしようがないとも言えるのでして、もはや隠そうとしても隠せないのであります。 これら未知の存在は、幻想空想妄想の世界、すなわちわれわれの頭のなかに、確固たる位置を占めているのであります。

 どんなに異様な姿をしていても、それらは人目も憚らず、逃げも隠れもせず、時空を超えて、おのれを堂々とさらけ出しているのだから、こちらもしばらく時間を忘れ場所を忘れ、じっくり見て楽しみましょう。遊びましょう。

永井オススメ!

モノからモノが生まれる

  • 1月10日 up
  • ブルーノ・ムナーリ
  • 出版社:みすず書房
  • 価格:3,780円(税込)

 今日はみなさまに緑色のリゾットのつくり方をお教えいたします。といっても、お料理の本ではないのです。 表紙にフォークが並んでいるけれども、どう見てもものを食べるのには不向きな、へんなフォークでしょ?  これらは「ムナーリのフォーク」というもので、考案したのはイタリアのデザイナー、ブルーノ・ムナーリ。本書はそのムナーリが書いた、企画設計の本である。

 企画設計、なんていうと、なんだかこむずかしいもののように思われるけれども、要するに料理である。ふさわしい食材や器具を選び、適切に調理すれば、おいしい緑色のリゾットができあがる。ムナーリ曰く、

 「企画するのは、そのやり方を知っていれば簡単なことである」 というわけで、料理、家具、子どものためのおもちゃや本、建築など、さまざまな種類のモノについて、その企画の方法論を、具体的かつ明確に説き明かしてくれる。

 それはムナーリ自身の作品やほかのデザイナーの作品だけでなく、わたしたちが家庭や仕事場で使う日用品にまで及んでいる。オーケストラ用三つ脚譜面台、シャッター用南京錠、平行六面体の牛乳パック、日本のノコギリ、といった、デザインという用語がもちいられる以前から製造され、現在も使われつづけているモノを、ムナーリは「本質的なモノ」と呼び、こうした無名品こそ真のデザインである、としている。

 ブルーノ・ムナーリは世界でもっとも有名なデザイナーの一人に数えられる、巨匠と言ってもいい人だけれども、彼の、たとえば「役に立たない機械」「読めない本」「本の前の本」といった作品を見ていると、いつしか、ムナーリの、ということを忘れてしまって、その作品そのものを楽しめるようになってくる。それはやはり、ムナーリが「無名」ということをデザインの本質と考えているからで、巨匠なのに巨匠らしさを微塵も感じさせないところが真の巨匠だなあ、ステキだなあ、愉快だなあ、と思うのである。

 なお、芸術新潮1月号が、ブルーノ・ムナーリの特集を組んでいるので、あわせておすすめいたします。