オススメ本紹介 2009

永井オススメ!

中勘助せんせ

  • 12月20日 up
  • 出版社:岩波書店
  • 鈴木範久
  • 価格:2,310円(本体2,200円+税)

 小説『銀の匙』で知られる中勘助は、文壇との付き合いもほとんどせず、 講演やラジオなどの出演依頼も滅多に受けない作家であった。それゆえ人と 交わることを好まない孤高の作家と思われがちであるけれど、勘助には、 戦前から戦後にかけての二十数年間にわたり、親子ほど年の離れた青年たちとの心の交流があった。

 勘助は仏教的影響の強い作家とされているが、勘助をかこんだ青年たちは、 なんらかのキリスト教と関係の深い人々であった。本書はその青年たちのリーダー格であった、 無教会系のキリスト教伝道者、塩田章の記録をもとに、中勘助という作家の素顔に迫った一冊である。

 読書会で勘助の作品を採り上げたことをきっかけとして、塩田ら青年たちは、 勘助の家を訪ねるようになった。作者と読者の関係というと、ふつうは読者が作者を訪ねるばかりであるが、 中勘助の場合は、作者が読者を訪ねることもあった。

 勘助と青年たちとのあいだには、互いを思い遣るこまやかな心情が通っていた。 塩田が戦争への召集を受け、出征する前に別れの挨拶をするために勘助の家に赴いたとき、 勘助もまた塩田を訪ねようとして行きちがいになったりする。 それはたんなる作者とその読者たちという関係にとどまらない、深い絆である。

 塩田は中勘助のことを、「中せんせ」と呼びたい、と手帳に記している。 「先生」ではなくて「せんせ」である。それは小さな生徒がその教師の人柄を素直に慕い、 親しみを込めて呼びかけるような言葉である。その素直な生徒たちは、 「中せんせ」のどこに魅かれたのか。それもまた、塩田が手帳に残した一文から引いてみよう。

 「この作者は世におもねることはしない。読者の気嫌を損じまいとする弱気を持合さず、 流行に便乗する器用さもなければ一般によまれる作風ではない。 それだけに流行ならぬ不易なものを求めんとする真実な人生探求者には、 必ずや魂の内壁にカーンとひびくものがある」

 勘助の周辺に周辺に集まった青年たちは、勘助の作品とその人柄から多大な影響を受けた。 勘助もまた、塩田をはじめとする青年たちから影響を受けた。それは勘助が真摯な人生探求者だからであり、 また、宗派や教派にとらわれない、勘助の「無仏教」と塩田の「無教会」という、 たがいの仏教とキリスト教に対する包容の精神を持っていたからである。そして、 勘助と彼をかこんだ青年たちとの関係には、「無宗教的宗教」と言うべきものの、 一つのあり方が示されているのである。

永井オススメ!

永井荷風の生活革命

  • 12月20日 up
  • 出版社:岩波書店
  • 持田叙子
  • 価格:2,310円(本体2,200円+税)

 今から130年前に生まれ、50年前に没した永井荷風は、いずれも短期間に終わった二度の結婚生活を除けば、 その生涯を独身で通した。しかし、荷風はいわゆる独身貴族ではなくて、現代風に言いかえれば、 シングル・シンプルライフを実践した人である。

 百年近く前の日本の社会で、自ら独身を選び取ることじたい稀であったし、 まして一人暮らし用の一戸建て「偏奇館」を作り、男子は家事全般ができなければならない、 と言って、簡単な自炊や掃除、洋服のボタン付けなどをこなし、庭で手ずから花木を植え育てる、 というところまでいくと、当時としては世間の目から見れば、その家の名のごとく、 奇人変人であったのかもしれないが、まさに革命的な生活スタイルであった。

 荷風が生きたのは、明治大正昭和の激動の時代である。国家を挙げて進歩発展競争を推し進め、 軍事的拡大路線を突き進んだ時代にあって、荷風が実践した独身生活は、個人が個人であり続ける ためのたたかい、権力が踏み込めない、誰にも侵すことのできない私生活の尊さを守るためのたたかいであった。

 荷風は平凡な人間の平凡な生活を愛し、日常のささやかな楽しみを積極的に肯定し 発見することを大切にした。花や樹木の美しさ、夕暮れの空の美しさ、小鳥の鳴き声、 魚売りの声を聞いて今日のおかずは鯵にしようかな……それは静かで穏やかな生活である。 この生活を脅かす者があれば、そのような強権に対し、荷風はどんなことがあっても日常生活を 楽しむ心の自由を武器として、断固たる抵抗を示した。そこに荷風の「革命」の核心があるのである。

永井オススメ!

作家の酒

  • 12月6日 up
  • 出版社:平凡社(コロナ・ブックス)
  • 価格:各1,680円(本体1,600円+税)

 平凡社コロナ・ブックスの「作家の○○」シリーズは、「犬」「猫」「食卓」「おやつ」ときて、 今回新たに加わったのは、作家といったらやっぱりこれ。これ、といったらもうおわかりでしょう、せーの…「酒!」

作家と酒。これは切っても切れない組み合わせである。横綱級の井伏鱒二を先頭に、池波正太郎、 山口瞳、田中小実昌などなど、揃いも揃った26人の作家たちの酒宴が繰り広げられるのだ。 作家本人が酒について綴った文章とともに、家族や友人など、身近にいた人々が披露する、 酒にまつわるエピソードの数々は、作家の素の部分を垣間見せてくれる。

そしてなんといっても、作家たちの酒を飲む姿。一人飲む酒、仲間と飲む酒、どれもこれも、 まさに至福の時といった、実にイイ顔をしているのである。なかには飲まないうちからもう飲んでいるような 顔をしている作家もいたり、そうかと思うと「文壇悪酔い三変人」なる者どももいる。さて、それは誰でしょう? 答えは、中を見てからのお楽しみ。

永井オススメ!

お日さま お月さま お星さま

  • 12月4日 up
  • 出版社:国書刊行会
  • カート・ヴォネガット、アイヴァン・チャマイエフ
  • 価格:各2,310円(本体2,200円+税)

 カート・ヴォネガットの絵本が出た。ヴォネガットが絵本を書いていたなんて知らなかったなあ、 と思ったら、これは彼の唯一の絵本なのだそうである。(ちなみに原書は1980年刊行で、すでに絶版らしい。)

 いま、ヴォネガットの絵本、と書いたけれど、ヴォネガットよりも、イラストを描いた、 アメリカを代表するグラフィックデザイナー、アイヴァン・チャマイエフの名前をはじめに 出すべきだったかもしれない。というのもこの絵本、絵のほうが先に出来ていたからである。 制作にあたって、まずチャマイエフが何の説明もなしにイラストを描き、それにふさわしい物語 をヴォネガットが書く、という方式が採られたのである。

 チャマイエフが描いたシンプルな色と形のかわいらしいすてきなイラストに、 ヴォネガットが寄せたのは、造物主生誕の物語である。しかしそこはヴォネガット。 ただの生誕物語ではなくて、ひとひねりもふたひねりもひねりを効かせている。 ほんのちょっとシニカルなのだが、そこに人間的なあたたかみのあるユーモアが感じられるのが、 やっぱりヴォネガット流である。

 今年は、ヴォネガット&チャマイエフのお日さまお月さまお星さまをながめつつ、 ほのぼのとしたクリスマスを迎えてみてはいかがでしょう?

永井オススメ!

こどもたちは知っている

  • 12月1日 up
  • 出版社:春秋社
  • 野崎歓
  • 価格:各1,785円(本体1,700円+税)

 大人の目線は頭が高い位置にあるためか、つい遠くを見てしまいがちであるが、 遠くまで見えるからといって、そこに何があるのかがはっきりとよく見えるというわけでもない。 大人だけで寄り集まって、いわゆる大人の論理に凝り固まり、こどもの言動を、まだ小さいから、 まだ幼いから、といってこれをまったく顧みなくなってしまったら、それは未来や希望が見えなくなるのと同じである。 と言っては大げさかもしれないけれども、小さくて幼いこどもたちの姿を通して、大人が忘れていたこと、 見落としていたことに気付かされるということは大いにある。

 本書は、詩や小説に描かれたこどもたちを紹介する、大人のための文学案内である。 ユゴーの、手放しでこどもを賛美する詩。同じくユゴー『レ・ミゼラブル』の、 虐待に耐える少女コゼット。ディケンズ『オリバー・ツイスト』『デイヴィッド・コパフィールド』における、 過酷な境遇におかれたこどもたちの姿。ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』にも、 忘れがたい強烈な印象を残すこどもたちがいる。『秘密の花園』や『トム・ソーヤーの冒険』 などといったこどもを主人公とした小説ももちろんあり、日本文学からは、中勘助『銀の匙』 の繊細な少年、谷崎潤一郎の母を恋うる子、大江健三郎『芽むしり 仔撃ち』の兄弟が採り上げられている。

われわれは大きくなったら否が応でも大人にならなければならないのであるが、 大人になったからこどもの気持がまったくわからなくなるのかといったらそうでもないだろう。 というのは、世の中に生きる大人のうち、誰ひとりとして、かつてこどもでなかった人はいないからである。 小さく幼いこどもがつらい目に遭っていれば、たとえそれがフィクションであっても平気で見過ごしては いられないし、また、たとえば『トム・ソーヤーの冒険』を読めば、読者がたとえ30代後半のおっさん (私)であっても、トムやハックになってみることもできるのである。

 文学の中の少年少女たちは、かつてこどもであった大人たちを、いつでも待っている。 こどもたちを迎え入れるには、ただ本を開きさえすればよいのだ。ふだんの頭の高さを離れて、 小さき者幼き者と同じ目線に立ってみたら、そこには大人のものとは違う世界が広がっているはずである。 それは童心に還るということでもあるけれど、われわれの、とりわけこどもたちの未来を見たり考えたり することでもあるのだ。

吉江オススメ!

荷風と左団次

  • 11月16日 up
  • 近藤富枝
  • 出版社:河出書房新社
  • 価格:1,890円(本体1,800円+税)

 当代の左團次さん(四代目)の大ファンであるワタクシとしては食いつかないわけにはいかない、 高島屋の風雲児、二代目左団次と永井荷風の交流が描かれている1冊です。

 客席から舞台に向かって「大統領!」と声をかけるあの風景。 珍しくはないけれどいったいなぜ大統領なんだろう、と不思議に思ったことはありませんか? 二代目左団次は歌舞伎座、明治座の客入り不振のなか、明治37年パリへ渡り演劇学校へ通い多くの舞台を観劇、 俳優の生活まで研究したという。スイス、イタリア、ドイツ、イギリス、そしてアメリカまで足を伸ばし更に 見識を深め、帰国後最初の舞台に立ったとき、『アメリカ帰りだから』という理由で大向こうが即興で 「大統領!」と声をかけたのがその始まり。(おもしろいでしょう~!)松緑に「紀尾井町!」、 芝翫に「神谷町!」とかかるように本来「大統領!」は二代目左団次だけにかかるものだったのです。

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 作家として不遇時代にあった荷風は幕内の人間になろうとまでしたほどの歌舞伎好き。 脚本や企画に行き詰って悩んでいた左団次を支えたのが荷風であり、そこには作家と役者を越えた交情があった。 荷風は<ケチで冷たい人>というイメージで見られがちである。大立者の役者でありながら趣味は豊かで古書、 雑俳を愛し骨董にも通じ、役者特有の遊びもせず・・・という左団次をどれだけ温かいこころで見つめ 褒め称えていたか、ちょっと意外に感じるほど。真面目で義理堅い左団次は荷風の温情を心底大切にし 「水も漏らさぬ仲」だったようだ。左団次とともに自由劇場を創設した小山内薫との問題、 当時の芝居小屋(市村座など)との関係、震災までが影響し、荷風と左団次のなかも交情蜜のごとし、 とはいかなくなり始める、その経過が興味深い。いままで語られてきたものとはちょっと違う荷風の横顔、 当時の梨園の事情なども楽しく読める1冊。

吉江オススメ!

ファミリーツリー

  • 11月10日 up
  • 小川糸
  • 出版社:ポプラ社
  • 価格:1,575円(本体1,500円+税)

 「食堂かたつむり」、「蝶々喃々」と好調続きの小川糸さんの新刊。 (「食堂かたつむり」は柴咲コウ主演で2010年2月映画公開) ファミリーツリーとは家系図のこと。少しばかり複雑な親戚関係にある リュウとリリーのゆっくりと育つ恋のおはなし。 2つの前作を含め、小川作品は「家族」と「食べもの」に重きを置き、緩やかに流れていく。

 優しさや温かさだけではない、家族であるがゆえの残酷さや憤りが素直に描かれる。 毎日の小さな諍いや喜びの積み重ねが人生であり、人と人のつながりであることが本当に大切なことなんだョ、 という声が遠くからひっそりと聞こえてくるような気がしてならない。 安曇野の大自然、その生活に密着した日常の風景が鮮やかに目の前に広がっていく。 肉親だけではなく地球上すべてのものに感謝して生きるキクさん(リリーの祖母)の 作るコロッケやオムライスはどこの名店より美味しいに決まっているし、借金に 行き詰まり行方不明になったスバルおじちゃんだって、自分の子供(リリー)を 虐待した翠さんだって、みんなみんな同じファミリーツリーにぶら下がっているひとりなのだ。 「いろいろあるけど家族だからねえ」、「ご先祖さまがいなければ自分はここにいないのだからねえ」と、 何でも許しちゃる!気分になってくる。

 特に奇をてらったことばを使うこともなく下手すれば素っ気にないように感じてしまうかもしれない 透明なあっさりした小川糸の文はなぜこんなにも沁みるのだろうか。ゆっくりの展開がすこしも間延びしない上手さ、 意識しないで聴いていた歌の歌詞がなぜか記憶に残るような心地よさが小川糸ワールドなのかもしれない。

「帰る場所がある」ことのありがたさ、しみじみ。

吉江オススメ!

喋る馬

  • 10月9日 up
  • バーナード・マラマッド(柴田元幸訳)
  • 出版社:スイッチ・パブリッシング
  • 価格:2,205円(本体2,100円+税)

 この本の著者のマラマッドはユダヤ系ロシア移民の子としてブルックリンに生まれ、 教鞭をとりながら小説を書き続けデビューという経歴を持つ。(1914生~1984没) 映画化された「ザ・ナチュラル」(ロバート・レッドフォード主演1984年)の原作者といえば おわかりになる方が多いかもしれない。

11の短編からなる本書、正直に言うと読後感スッキリ!というわけにはいきません。 「もう笑うしかない」ような悲惨な状況に追い込まれながらもそこに漂うユーモアとやるせなさはなぜか 優しい気持ちにさせてくれます。人間ってこういう非情さを持ち合わせているんだな、という妙に リアルな部分に絡む寓話的な要素がこの不思議な感覚を生むのでしょうか。

つい先日2009年のノーベル文学賞を受賞したヘルタ・ミュラーもルーマニアからドイツに 亡命した経歴を持つ作家ですが、同じくアゴタ・クリストフや、ジュンパ・ラヒリ、カーレド・ホッセイニ・・・、 移民作家といわれる人たちの作品に共通する翳には、テーマの重さを深く追求しつつ、 そこはかとないコミカルな味をも見出すことが出来ます。作品に漂う泣き笑いのような空気、やるせなさ。 ぽん、と放り出されてしまったような虚無感。
自分のためではなく人のために自らを追い込み翻弄されてしまう、という設定に、カズオ・イシグロ 「充たされざる者」の主人公ライダーを思い出しました。現実を越え幻想的な、 という意味では似ているところがあるかもしれません。

ユダヤ性を通した人間像が描かれた作品たちですがお説教くさくないので抵抗なく読みすすめることが出来ますよ、是非!

永井オススメ!

「世界の歴史」編集委員会編『もういちど読む山川世界史』(山川出版社)

五味文彦・鳥海靖編『もういちど読む山川日本史』(山川出版社)

  • 10月6日 up
  • 出版社:山川出版社
  • 価格:各1,575円(本体1,500円+税)

 「山川世界史」「山川日本史」ときいて、ああ懐かしいな。と思う方も多いであろう。 高校歴史教科書の定番である。しかしその中身を覚えているかときかれるとどうも怪しい。という方も多いであろう。

 と言っては失礼かもしれないが、だいたいにおいて高校時代の勉強などというのは、 させられるものなのだから身に付くわけがない。ということにしておいて、いま振り返ってみると、 あのときやっておけばよかったと後悔したところで、ふたたび教科書で勉強しようと考えただけでも 当時を思い出して気が重くなるよりもまえに、捨てた記憶もないのにどこへいったのか、 教科書そのものが手元にないのだから、どうしようもないやね……

 そんなふうに嘆いていらっしゃった方のために、高校の教科書を一般読者向けに書き改め、 書名のとおり「もういちど」歴史を勉強するきっかけを与えてくれるのが、これら『世界史』『日本史』である。

 教科書にもとづいてつくられたとはいえ、教科書そのものではない気軽さで読めるのがなんとも良いし、 通史であるから、細かいところは気にせずに、過去から現代へと至る歴史の流れを大づかみにつかめるのが心地良い。

 「もういちど読む」となってはいるけれども、もちろんはじめて歴史を勉強するという大人の 方にも最適である。私自身、高校では歴史の授業を受けなかったので(サボっていたわけではありません。 地理を履修したのです。念のため。)、はじめて勉強するようなものだが、私のような歴史にとても 疎い者にでもわかりやすく書かれていて、するすると読めてしまうのである。

永井オススメ!

すゞしろ日記

  • 9月25日 up
  • 山口晃
  • 出版社:羽鳥書店
  • 価格:2,625円(本体2,500円+税)

 山口晃氏の絵は、楽しい仕掛けに満ちていて、ひとつの画面に時空を超えた一大エンタテインメントが展開する。 しかも絵が上手い。ものすごく上手い。超絶技巧である。この超絶技巧があるからこそ、あの(どの? と思われた方は、 『山口晃作品集』東京大学出版会刊。等をご覧ください。)細部にいたるまで手抜かりのない描写が可能なのである。

 絵がものすごく上手い超絶技巧の山口氏が漫画を描いたならばどうなるか。といえば、 もちろんものすごく上手い。そのうえ、己自身を戯画化して見る者を楽しませてくれて、すこぶる面白いのである。

 日記と名の付くとおり、画家の日常をコミカルに描いた漫画であるから、いかにもささっ、 と描いているように見えて、じっさいささっ、と描いているのだが、けっして片手間の余技ではなくて、 そのささっ、という線が、ものすごく上手い人でないとできない芸当なのであり、こうした漫画の軽さにおいて 発揮される筆力こそ、じつは技量の頂点であるといってもよい。

 その、技量の頂点で描かれた漫画のヤマグチさんは、チョビひげのオジサンである。これがカワイイ。 何度か登場する少年時代のヤマグチくんも、子供なのにチョビひげである。これもまたカワイイ。 奥様(もちろんカワイイ。)との夫婦漫才的掛け合いあり、グルメありお酒あり(奥様大活躍。むはは。)、 ときどき妄想全開の、山口漫画をご堪能あれ。

永井オススメ!

食品偽装の歴史

  • 9月14日 up
  • ビー・ウィルソン
  • 出版社:白水社
  • 価格:3,150円(本体3,000円+税)

 食品偽装とは、食品に混ぜ物をして人を騙し、不当な利益を上げようとする行為である。 かつては食品の色や味をそれらしくするために、銅や鉛や硫酸などといった危険な混ぜ物が使われた。 ここでいう混ぜ物とは、人体に有害で、場合によっては死に至らしめるもの、すなわち毒である。

 金儲けのためならば、人々の健康などどうなってもかまわないという人(や組織)は、欧米はもとより、 近年の日本や中国でも大きく取り上げられたように、現在に至るまで、いつの時代にもいるのであるが、 それがとくに顕著になったのは19世紀、産業革命による工業化が推し進められ、それにともなって化学が進歩した時代である。

 それまで食品の不正行為は、もっぱら目と鼻と口によって判断されていたのであるが、 この時代にはじめて、化学的な分析によって不正を告発することが可能となった。しかしその同じ化学がいっぽうでは、 偽装の技術を進歩させることにもなった。

 食べたら死ぬ、というような極端な例はなくなったとしても、人々が口にする食べ物には、 そのときどきの最新の化学技術によってつくり出された保存料や着色料や人工調味料などの添加物が含まれている。 それをまた最新の化学技術がその発癌性や内臓疾患の危険性を指摘し、告発する。最近では遺伝子操作による 食品偽装もあり、良くも悪くも化学万能、化学対化学の攻防が現在も続いている。

 本書は、欧米を中心に豊富な実例を挙げて食品偽装の歴史をたどっている。あまりに実例が豊富で、 かつ詳細なので、読み終えた後、さてこれからいったい何を食べたらよいのだろうかとふと思ってしまうが、 われわれ消費者ひとりひとりが、食べる物の品質や成分について、正しい知識を持ち、正しく選ぶことの 重要さを教えてくれる一冊である。とくに、恥ずかしながらほぼ毎食をコンビニ弁当やファストフードで 済ませてしまっている私のような不精者には、大きな警告である。

吉江オススメ!

ザ・ストレイン

  • 9月14日 up
  • ギレルモ・デル・トロ&チャック・ホーガン(大森望・訳)
  • 出版社:早川書房)
  • 価格:2,000円(本体1,905円+税)

 映画「ミミック」や「ブレイド2」、「パンズ・ラビリンス」の監督としてその名が知られている デル・トロが書いた!っていう、それだけでページをめくってみたくなりません??しかも タイトルがストレイン・・・菌の株!

 昔々、早川書房さんから出ていたロビン・クックの医療ミステリー、「アウトブレイク」や 「フィーバー」など夢中になって読みましたが当時はパンデミックミックなどということばは一般には 知られておらず、感染パニック小説なんていっていましたね。日本のみならず世界中で新型インフルエンザに びくびくしている今日この頃ですが(従業員からお客様にうつしては大変!ゆえに和書部でも手の消毒液や ウエットティッシュ、使い捨てペーパータオルなどで予防しとります)この小説の感染経路 (結果的には感染じゃないな)ときたらトンデモナイんですよ、全く。

 ボーイング777が着陸直前に管制塔と連絡を絶ち、そして滑走路にその姿を現す。機内からは何の応答もなく 乗客が降りてくる様子もない・・・。静まり返った機内に突入したレスキュー隊はそこにありえない事態を 目の当たりにする。すべてが謎に包まれたまま更に不可解な出来事があちこちに広がっていく、 その恐怖。究明に乗り出した疫学者イーフは信じがたい事実を徐々に突き止め果敢に立ち向かうが・・・。 (ここから先はちょっと言えない・・・、読んでいただくしかありません。)

 さすがのデル・トロ、まるでスクリーンを見ているように文章から鮮やかな場面が溢れ出し、 映像となって頭の中にリプレイされていきます。一体何がどうしてこうなった?と読み進める快感はSF 要素満載でスピード感もばっちり。しかし、謎が明らかにされていくうちに、これじゃもう人間の能力じゃ 限界っ、無理っ、どうしようもないっ、展開に突入しちゃうんですネ、SFホラードロドロパンデミック テロパニックストーリー(どんだけカタカナ?)へと突っ走ります。恐ろしいのじゃ、コワイのじゃ、気味悪いのじゃ。 (お食事の前後、寝る前、周囲に人がいっぱいいるところ、あるいは全くいないところで読まないで・・・って、 じゃあ、いつどこで読めばい~んだ?って話ですね。)

デル・トロさん、この作品は映画化しないでね!だからやっぱり本で読みましょう!

永井オススメ!

印象派はこうして世界を征服した

  • 8月3日 up
  • フィリップ・フック
  • 出版社:白水社
  • 価格:2,310円(本体2,200円+税)

 ご存知の方も多いと思うが、19世紀後半、1870年代のフランスに登場した印象派の絵画は、 当初、一般大衆の理解をまったくといっていいほど得られなかった。展覧会の観客は、彼らの作品を 見てもわけがわからず、困惑し、激怒した。そんなわけのわからない絵が売れるはずもなく、売れたとしても、 嘘のような安い値段でようやく買い手がつく、というありさまであった。現在では、印象派は超がつくほどの高額で 取引され、また、展覧会が開かれれば、まちがいなく多くの観客を動員できる、世界で最も親しまれている絵画で あると言っていいだろう。本書は、「嘲笑から称賛へ」と至る印象派絵画受容の変遷をたどっている。

 フランスでは、官展(サロン)からの猛烈な反発のなかで、熱心な画商やコレクターによって、 ときに画家たちの生活を援助しつつ、 その作品を画家本人とともに押し上げ、徐々にその価値を 認められるようになっていく。これにたいして当時の新興国であったアメリカは、はじめから肯定的な反応を示し、 産業によって成功をおさめた富裕層のコレクターたちによって、フランス本国をしのぐほどのコレクションを築いた。 ドイツでは、時の皇帝ヴィルヘルム二世と保守派によって否定されたが、美術館や批評家は、印象派の収集を 「文化的に正しい行為」としてその普及に努めた。しかしその後、ナチスによってそれは未完に終わる運命にあった。 イギリスでは、伝統的なフランスとの仲の悪さも手伝って他の国に比べて受容が遅れ、印象派のコレクションは、 地方人、アイルランド人、女性にしてウェールズ人、非国教会派といった、ロンドンを中心とする社会の主流に 属していない人たちによって担われた。こうした、それぞれの国の事情による受容のしかたの違いは、 印象派絵画の歴史を知る上でとても興味深い。

 そして1950年代以降、印象派絵画の市場は一気にグローバリズムに突入する。その最大の要因と なったのはサザビーズやクリティーズといったオークション会社である。著者はその両方で働いた経験を もつ画商であり、競売人たちの奔走ぶりを含めて、その内情が詳細に書かれている。このオークション という方式がもたらした「競争」によって、印象派絵画の価格は高騰し、競りに勝った者は、おのれの文化的な ステイタスの高さと、自身が大金持ちであることを、世界中に誇示できるというトロフィー (本書の原題は、"The Ultimate Trophy")を手に入れた。印象派絵画そのものも、誰もが称賛する最高の美術品となり、 国際的に通用する通貨ともなったのでる。日本もまた、バブル期に印象派絵画を次々と買い、勝者として その受容の歴史に名を刻んだのは、良くも悪くも動かしがたい事実である。

 題名にあるとおり、印象派はこうして世界を征服したのであるが、その勝利の栄冠は、 著者が本書の結びで書いているとおり、「印象派絵画はただ持ち主の富を証明するためのものでも、 またただ眼を誘惑するためのものでもない。それは、観る人を心地よくさせ、自信をもたせてくれる絵画でもある。 それこそが、印象派絵画の連勝の秘訣なのだ。」と。それは言葉の上だけでなく、印象派絵画を見れば、 いまのわれわれにはたやすく実感できることである。もちろん、それを買って所有するなど、 夢にも見られないことであるけれど。

永井オススメ!

隠者はめぐる

  • 7月23日 up
  • 富岡多恵子
  • 出版社:岩波書店
  • 価格:1,890円(本体1,800円+税)

 誰もが、というわけではないかもしれないが、俗世を離れ、自分の好きなことだけをして、 自由気ままに生きていきたい、と本気で思わないまでも、ちら、とでも頭を掠めた経験はあるだろう。 私はしょっちゅうある、なんて言うと、仕事に不満があると誤解されかねないので、ごくごくたまにある、としておこう。

 「世捨て人」「遁世」「隠遁」そして「隠者」といった言葉からは、人里離れた山奥に小さな庵を結び、 心静かに書物をひもとき、文を綴るというような暮らしが連想される。そうしたいわゆる隠者ぶりにばかり 考えがいきがちであるが、俗世を離れたとはいえ、すぐ死ぬつもりでもないかぎり、たとえ隠者であっても 生きていかなければならぬ。生きていくためにはメシを食わなければならぬ。さてそこには、隠者たちが どうやってメシを食っていたのか。すなわちどうやって収入を得ていたのか。という下世話な、しかし 看過できない大きなモンダイがあるのである。

 本書にとり上げられている、西行、鴨長明から契沖、橘曙覧、淡島寒月にいたる「隠者」たちは、 だいたい二つに分けられる。働く必要がないほどの大金持ちか、その才能(主に文才)に対して好意ある 人から経済的援助受けるか、である。考えてみれば、どんな人でも無一文では生きていけないのだから、 あたりまえといえばあたりまえ、「隠者」だとか「隠士」だとかいいながら、じつはなかなかしたたかに 生活している感もある。

 だからといって、理想を裏切られたとがっかりすることもないし、それで彼らの遺した学問文芸の 価値が減ずるということもないだろう。彼ら隠者は、己の才能を濫りに用いて、あくせくと、ガツガツと 世渡りしたりしなかったし、またそうするつもりもなかった。ある者はそうしなくても済む境遇にあり、 またある者はみずから求めなくとも手を差し伸べてくれる人があったのである。これは幸運でもあり、 幸福でもあるだろう。うらやむことはあっても、うらむことではない。

 しかし、俗世を離れて人知れず生きるのが「隠者」であるとしたら、ここに登場した隠者たちは ほんものの隠者ではないのかもしれない。彼らはものを書き、書いたものを残しているわけで、 だから今日まで「隠者」としてその名も残っているのであるが、それは隠者であることとは矛盾する。 ほんとうは、人すなわち俗世に知られてはならないのだ。どこかに人に知られぬ隠者がいたのかもしれないし、 いまもいるのかもしれないが、「隠者」と呼ばれるには人に知られていなければならないのであるから、 「隠者」になるのはほとんど不可能と言ってもいいくらいムズカシイのである。

吉江オススメ!

素数たちの孤独

  • 7月18日 up
  • パウロ・ジョルダーノ
  • 出版社:早川書房(epiブックプラネット)
  • 価格:各1,890円(本体1,800円+税)

 ボリス・ヴィアンやアゴタ・クリストフが好きなアナタならきっとお気に入りの1冊になる!と是非オススメします!

 本作品でイタリアのストレーガ賞(過去にギンズブルグも受賞)を受賞した、本業は物理学者という経歴の作家。

 マッティアは双子の妹ミケーラのことで拭い去ることのできない過去があり、 それ以来「感情を捨てて」「人との係わり合いを持たぬよう」ただひたすら勉学のみの生活を送り非常に成績 優秀な人間となる。でもそれは人間的な成長には程遠く、マッティアの時間は事件が起こったそのときから止まったまま。 子供のときのスキー事故が原因でやはり心を閉ざし続けるアリーチェとマッティアが巡り会ったのもそんな過去を 背負った2人にとって必然だったかもしれない。気持ちは同じでも距離は縮まらずお互いを気にかけたまま月日は流れ、 別々の道を歩みながらも呪縛を解き放てない日々。ジレンマと苦悩に満ちた毎日がやっと変わりそうになるかと 思われたが・・・。(この続きはぜひ本をお読み下さい!)

 1と自分自身以外に約数を持たない数、それが素数。絶対に打ち明けられない自分自身のことを明かせる 相手をようやく見つけたかと思ったのはただの錯覚だった、というのでは悲しすぎる。ぎりぎりのところまで 寄り添ったのもつかの間、交わることのない平行線の関係であったとしても素数が自分を知り、生きていくための 再生の手段だったのだと、その先には光があるのだと思いたい。再びの命を見つけるために出会ったマッティアと アリーチェの各々の行く末を信じたい。

 物理学者だから、という見方はしたくないけれど、ドクトクである。なにがドクトクかと言うと なにやら醒めているのである。理数系のヒトビト=醒めている、という図式は成り立たないので、 低い温度で沸騰しているとでも言おうか。低温火傷小説なのである。気がついたときには骨まで達しているので 大変キケンなのである・・・。非常に気高く穢れないラブ・ストーリーの誕生!

吉江オススメ!

学問

  • 7月18日 up
  • 山田詠美
  • 出版社:新潮社
  • 価格:各1,575円(本体1,500円+税)

 この小説によくぞ「学問」というタイトルをつけたなぁ!と感心しまくりました。文字と言葉に よって継承&発展が可能であることのみを学問と思っているのならソレは大間違いだからです。 体系的な知識(あまりに漠然としていますが)なくしては「学問」は成り立ちませんよね。 「人間、一生勉強だ」とはよくいったものです。

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 4人の子供たちは日々の生活の中で「欲」を知り、人生の「問い」に直面しながら成長していく。 東京からの転校生のフトミー、いつも眠りこけているチーホ、リーダー格のテンちゃん、食いしん坊のムリョ。 ただ単にウマがあうとか気があうということではなく何か共通する強い力で引き寄せられた4人、 お互いを大切にしながらもそれぞれの思いは男同士、女同士、男と女などの立場で微妙にすれ違い交錯している。

 お互いをよく知っていると思っていたのに全く知らない友達の横顔を見てしまったときの驚き、 それらを自分の中でどう解決していくか、あるいは解決できずに通過していく・・・、 こういった出来事が山田詠美の筆にかかるとこうも鮮やかな場面になるのかとあきれてしまうほどだ。 各章の巻頭に「蓋棺録」なる死亡記事があるので4人の人生の最期はわかってしまうのだが途中(高校卒業後)は 見事なまでに抜けているので<書かれていないことを読者がそれぞれ想像する>しかない。 でもそれはとても気持ちのいい作業だ。「私ねえ、欲望の愛弟子なの」などという台詞を登場人物にいわせるなんて、 山田詠美以外の誰が思いつく?美流間という海辺の町に対する「欲」も愛しく描かれる。 いくつもの恥を知って人生をまっとうし死んでいく、人間たち。

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 余談ですが出身校の校訓が「恥を知れ」いうものでした。「何を恥だと思うか、 それを考え学び知るのです!」と学長がいつも言っていたのを突然思い出しました。 「アニマルロジック」や「風味絶佳」より好きになれる詠美作品ってあるのかな、 と思いながら新刊のページをめくるのですが、まだどんどん、あるじゃない!と嬉しいけれど 困ってしまうのです、嬉しくって困ってしまうのです。

永井オススメ!

宮澤賢治、ジャズに出会う

  • 7月18日 up
  • 奥成達
  • 出版社:白水社
  • 価格:2,520円(本体2,400円+税)

 宮澤賢治とジャズ。この意外な結び付きは、小学校の教科書に載っていた童話と、 「雨ニモマケズ…」くらいしか知らない、フマジメな読者(私)にとっては、想像すら できなかったのであるが、賢治は「岩手軽便鉄道 七月(ジャズ)」という詩を遺している。

 この詩が発表された1925年(大正14)の日本では、ジャズは世間一般的にはほとんど 知られていない音楽であった。賢治は大の音楽好きであり、レコードのコレクターでもあったが、 1925年の日本に、ジャズのレコードはまだまったくといっていいほどなかった。それはすなわち、 賢治はジャズを生の演奏で聴いた、ということである。

 花巻にいた賢治は、何度か上京している。その折にどこかでジャズを聴き、この詩を書いている。 それは当然1925年以前でなければならず、いつでもどこでも聴くことができたわけでもなかったはずであるが、 当時の日本でまだ最先端の音楽になる前の、いわば黎明期のジャズを、ただ耳にしたというだけでなく、 そこからインスピレーションを受け、ジャズそのものであるかのようなスウィング感あふれる詩を書いた賢治は、 このときすでに最先端の、さらにその先まで行ってしまっていたのである。

 昭和に入ってから巷で流行したジャズは、「不良の音楽」などと呼ばれた。 その「不良の音楽」を、不良のものになる前からいち早く体内に取り込み、自分のものにしてしまったのが、 極度に禁欲主義的で真面目な宮澤賢治であった。写真でよく見るあの賢治のアタマの中をジャズが 駆けめぐっていた、と想像すると、そこらへんの不良なんてものじゃない、禁欲と真面目という 強靭この上ない筋金の入った不良であったのではないかと思われてきて、なんだか愉快痛快である。

永井オススメ!

TOKYO一坪遺産

  • 7月4日 up
  • 坂口恭平
  • 出版社:春秋社
  • 価格:1,680円(本体1,600円+税)

 本書において紹介されている物件は、既成の「建築」という概念からすれば、 およそ「建築」とは思われないものばかりである。いわゆるホームレスの人が建てた総工費ゼロの 「0円ハウス」や、街角の「オートクチュール宝くじ売り場」といった建造物と言えば言えるものから、 ピアノや自動車の精巧すぎるミニチュアや芸術的豆本、ひいては東京駅の靴磨き屋、高架下の画家仙人 といった人物までもが採り上げられる。

 題名に示されているとおり、どれもこれも一坪以内におさまってしまうものばかりであるが、 一坪というからには、それはれっきとした空間であり、そこに建つもの(立つもの)は「建築」なのである。 これら「一坪遺産」は、いかにも人ひとりが居る場所そのものというほど極小の空間ではある。しかし、 極小だからといって、狭く窮屈なのではない。むしろ無限に広がる可能性をもつ空間なのである。

 なぜなら、それはすべて「私」から発信しているからである。この「建築」主たちは、 あらかじめあった「ハコ」や「枠」に自分を合わせるのではなく、「私」に合う空間を自分でつくり 出してしまうのである。それに、つねに「私」発信なので、「私」の考え一つで、いかようにも形を変えられるし、 ほとんど身ひとつなのだから、移動もまた容易である。

 この極小の「私」空間にこそ、従来の建築の殻を打ち破って人間を解き放つ「自由」が あるのではないだろうか。だとしたら、「一坪遺産」とは、「遺産」とはいっても、たんなる 過去の遺物でないのはもちろん、現在最先端の、あるいは現時点でそう見えなければ、未来の 建築であると言ってもよいだろう。これからの建築には、ときにその人自身でもあるような空間を、 自らつくり出す能力が求められるのである。

永井オススメ!

FOLK TOYS NIPPON にっぽんの郷土玩具

  • 6月26日 up
  • 木戸昌史編著
  • 出版社:ビー・エヌ・エヌ新社
  • 価格:2,100円(本体2,000円+税)

 「郷土玩具」というと、その字面からして、あくまでもイメージであるが、 田舎臭い、時代遅れの、過去の遺物であるかのように思われがちである。 しかし、これをひとたび「フォークトイ」と言い換えると、そのシンプルかつ素朴 な意匠や色づかいが、たちまちポップでキュートな、現代アートの作品のようにも見えてくるから不思議である。

 正直なところ、うまくないのである。ものによっては拙いとさえ言える。 だが、むかしから同じものを作りつづけて、うまくならない、うまくなってしまわない、 という絶妙な寸止め感が、なんともいえずイイのである。そこにこそ作り手たちの「手」が 感じられるのであり、それは「手」でなければできないことだからである。

 もう、「フォークトイ」と呼んだからには、田舎臭いだのなんだの言わせない。 ここで紹介されているものを見れば、それらがたんに地方の良さを知ろう、というような町おこし村 おこし的なところでとどまっていられるものではないことがおわかりであろう。とはいえ、 それらがその地方地方の無名の人びとの手によって作られている、ローカルなものだからこそ、 こんなに「かわいい」のだ、ということもまた、「フォークトイ」の魅力なのである。

 ローカルな「フォークトイ」はポップでキュートであり、ポップでキュートなものは ローカルにあるのである。これが、これからの時代の真理である(と言ったら大げさか)。 さあ皆さん、本を開いて、あなたのお気に入りの「フォークトイ」を見つけましょう。 ちなみに私のお気に入りは、「ざるかぶり犬」。これ、タマラナイ! 欲しい!

吉江オススメ!

静かなる天使の叫び㊤㊦

  • 6月26日 up
  • R・J・エロリー(佐々田雅子訳)
  • 出版社:集英社(文庫)
  • 価格:各740円(本体705円+税)

 主人公の聡明な少年ジョゼフは自分の住む土地で連続して起こった連続少女殺人事件に必要 以上の苦悩を抱える。というのもナイーブな性格に加えて父親を早くに亡くした経験から「死」に 対する感情が人一倍敏感だからだ。常日頃<神>や<天使>と人間のつながりをなにかしら思わずには いられない、文才溢れる多感な少年。理知的な母も、ある事件がもとで精神を病み、 ジョゼフの文学的才能を早くから見抜いた女教師とも悲しい別れをし、そして恋人とも・・・。 身の覚えのない証拠をでっちあげられ、そこからジョゼフの長い長い暗闇の生活が始まる。 後に作家になったジョゼフの描いた文章がところどころに挿入され先々の道しるべの役割を果たしている。

 母の言葉、教師の言葉、父親代わりともいえるライリーの言葉、ジョセフ自身の言葉・・・、 そのひとつひとつはあまりに奥深い。そこだけを何度も読み返し考えてしまうシーンが多くページを めくる指先がとまってしまうがそれは決して不愉快なことではなくストーリーをさらに濃厚に追う 手助けになるようだ。ミステリでありながらも犯人探しのみで終わらず、人間の尊厳、生命、 精神、善悪、許しなどに深く繋がっていく。それらすべては狂気的な真犯人が判明する結末で 決着がついたと読者は思えるのだろうか、ジョゼフの長い辛苦は救われ、終わりを告げたのだろうか。 上下巻に渡る重厚な仕上がり、圧巻の読み応え!

日本でもつい最近ひとりの男性が冤罪による17年半にも及ぶ拘留生活から解放されたばかり、 考えさせられずにはいられない。

永井オススメ!

壊れても仏像――文化財修復のはなし

  • 6月18日 up
  • 飯泉太子宗
  • 出版社:白水社
  • 価格:1,785円(本体1,700円+税)

 われわれが仏像を目にする機会は、そんなにあるものではなくて、京都奈良の有名なお寺だとか、 あるいは博物館美術館だとかを訪れて鑑賞するのがほとんどである。そういう場所で見る仏像は、 五体満足というのか、ほぼ完全な形で残っていて、だからこそ歴史的芸術的価値が高いのであるが、 それはいっぽうで、そうしたかたちで残っている仏像のほうがまれ、ということでもある。

 日本の仏像は、つねにさまざまな崩壊の危険に晒されている。というのも、 その大半が木像だからである。ネズミや虫の棲みかとなる。湿気や雨漏りで腐る。 乾燥して割れる。火事で焼ける。接着剤の膠が劣化して部材が外れる…これだけ列挙すれば、 壊れない仏像はない。と断言してもよさそうなものである。しかし、題名のとおり、 「壊れても仏像」である。今に残っている仏像は、何度にもわたる修理修復によって代々 受け継がれてきたのである。そしてそれよりもなによりも、国宝級重要文化財級であれ、 名も無きものであれ、仏像を大切にし、残そうとする人々の思いの連鎖こそが古い仏像の価値である、 と著者飯泉さんは言う。

 飯泉さんは若手(といっていいのだろう。1974年生まれ)の古仏修復師である。関東を中心に各地の寺を回り、 仏像の修復を手がけている。仏師、というと眉間に皺を寄せて一心不乱に仕事に打ち込む。などという 勝手なイメージをいだいてしまうが、飯泉さんにはまったくそんな感じはなくて、その道の専門家ではあるが、 イマドキの人というのか、自分の仕事を、自身で描いたかわいらしいイラストや写真をまじえて、わかりやすく 解説してくれるので、仏像の素人にはありがたいことである。しかも、修理修復の面から見る、 という新たな仏像の見方を示してくれたので、今後、仏像を見る目が変わりそうである。

吉江オススメ!

贖罪

  • 6月12日 up
  • 湊かなえ
  • 出版社:東京創元社
  • 価格:1,470円(本体1,400円+税)

 昨年「告白」でデビューしベストセラー、本屋大賞受賞と、一躍ミステリ界に躍り出た湊かなえの新作。 湊かなえという作家は一体本当はどんな人なのだ?といつも考える。

 一人の女性の(自分でさえ記憶の外にあるような)行動が根深く陰鬱に広がり周囲の人々を巻きこみ 破滅へと向かう。(こんなところでワタクシなんぞがストーリーをばらしてしまったら台無しなので 内容はふせます)こんなにも暗く救いのない題材でここまで読者を酔わせるのはなぜだろう。人間の 善悪、深層心理、真の姿、心の闇・・・などの他に湊かなえ作品にふさわしい言葉はないのだろうか、 どんな表現をもってしてもなにか陳腐に感じてしまうもどかしさがある。「おもしろかった?」と 訊かれれば「おもしろかった」としか言いようがない。ただし、めでたし、めでたし、とは終わらない。 悲劇的な結末でであっても<こころはこれで満たされたのである>とか<ひとつ成長した>などという 一筋の光さえないのだから、後味が悪いのは当然である。自分の中でも整理がつかない。

 その一方で、「人間ってこんなものじゃないのかな」という安心感も生まれるのは確かだ。 言ってほしくないこと、見て見ぬふりをしたいことは自分に直接降りかかってこないのであれば 垣間見たいのだ。そしてやじ馬根性で覗いてしまった自分に後味悪く感じるのかもしれない。 ああ、もっともっとヒドイコトになっていくのだ、と思いながらも睡眠時間を減らしてまで ページをめくってしまうこの矛盾。

 「コワイんだよ、コレ。ほんっとにコワイんだョ・・・、やだ~。」と読んでいたら 「じゃあ、読まなきゃいいじゃないか。」と呆れられましたがはい、まさにその通りなのです、 読まなきゃいい。でも、読まずにはいられない!!今年もまだ半年残っていますが、 今年のベストミステリにもうランクインしちゃっていいですよね・・・。

吉江オススメ!

夜想曲集 音楽と夕暮れをめぐる五つの物語

  • 6月10日 up
  • カズオ・イシグロ (訳者 土屋政雄)
  • 出版社:早川書房
  • 価格:1,575円(本体1,500円+税)

 4年、あるいは5年に1冊のペースで新作を発表してきたカズオ・イシグロ、 前作の「わたしを離さないで」から3年というのは異例の速さ。 (英・ガーディアン紙のインタビューで「死ぬまでにあと何冊書けるか計算したらたった4冊!」 とユーモアたっぷりに答えている。それでペースアップしたとも思えないけれど?)

 「日の名残り」でブッカー賞を受賞し映画化もされある程度の知名度はあったとしてもそれはある 一部の熱烈な読者(そう、たとえばワタクシ・・・)のみ。 「わたしを・・・」はミステリやSFの枠でも支持され外国文学として初めてキノべス1位に 輝くなどいっきにイシグロの名前は浸透した。

 初の短編集ということだがあちこちに書いたものをまとめた、というものではなく自身は 「ストーリー・ブック」と呼びたいらしい。作家になる前は本気でミュージシャンを目指したこともあり (当時の写真をテレビの対談で公開されたときに「あんまり見たくない写真ですネ」と 苦笑いしていましたね。)現在も家の中にギターがあちこちにあったり、 ジャズシンガーのステイシー・ケントに詩を提供したりと (「Breakfast on the Morning Tram」に4曲収録)音に浸った生活をしていることが想像できる、 イシグロらしいタイトルだ。

 これまでの作品すべてがそれぞれびっくりするほど異なった設定ではあるが、 世の中の速さに追いつけずに挫折していく、夢が夢のまま終わっていく、掴みかけた栄光を逃がす、 成功したけれど虚無感に苛まれる、自分が思っているよりも人生はずっと短い・・・ というテーマは一貫している。そして「なかったことをまるであったことのように」 描く高い技術に読者は騙され魅了されていくのだ。

 5つ全てが独立した短編ではあるが、それこそメロディが流れるような運びで1枚の 五線譜に記されたかのように思える。それは余計な音符が省かれた控えめな美しさや哀愁に 満ちた文体であり、本来であればもっと説明したくなる部分をあえてばさっと斬ってしまう、 勇気がいる行為をイシグロが飄々とやってのけるのは繊細な部分をより一層引き出すためなのか。 ピークをとっくに過ぎた自分を自覚しながらも再度スポットライトを夢見る、年老いた歌手、 幸せだった頃には戻れない中年夫婦、チェロを持たないチェロリスト・・・、 成功できなかったものに対する限りない想いを、イシグロがどう描いているのか、 (土屋政雄さんでなければ成立しなかったであろうこの名訳で)是非お読み下さい!

吉江オススメ!

匿名投稿

  • 6月6日 up
  • デブラ・ギンズバーグ(中井京子訳)
  • 出版社:扶桑社(ミステリ文庫)
  • 価格:1,000円(本体952円+税)

 流行の最先端をいくファッション誌の鬼編集長の部下として雇われた、冴えない女の子がしごきにしごかれ、 それでもくらいついていくうちにみるみるお洒落になり仕事も覚え、いつのまにか鬼編集長の 片腕的存在にまでなり・・・、そう、ピンとくるかたが多いと思います、これは「プラダを来た悪魔」。

 さて本書「匿名投稿」も出版物のオハナシ、といっても出版エージェントといって、 作品を出版社に売り込む会社が舞台です。山と送られてくる原稿(作家になりたい、自分はものすごい ヒットメーカーの作家になれると信じている人々が地球上にはどれくらい存在するのか!?)を吟味し、 あるいは無視し、育て、売り込み・・・。気が遠くなるような作業と労力、アメとムチの編集作業、 売り込み先へのはったりとダメ出し、いつ終わるともしれない地獄の忙しさ。勤め先の書店閉店に伴い、 ボーイフレンドのすすめでそんな会社に飛び込んだエンジェルは業界を牛耳っているルーシーの下で働き始めます。

 一癖も二癖もある自称作家たちの原稿の中に身を置く日々、決して本名を名乗らない原稿が メールで届き始めますが、その原稿内容はまるでルーシーの生活そのもの。果たしてこの匿名投稿の 作者の正体は?!とストーリーが展開していくのですが、エンジェルの実力が徐々に発揮され 才能が開花していくプロセスはスピード感に溢れ、ルーシーに負けるンじゃね~ぞ~と いつのまにやらかなり肩入れしてしまいますね。ダメダメなボーイフレンド、いまいち理解に苦しむ性格の同僚たち、 エンジェル自身が発掘した将来有望な作家になるであろうイタリア人にこころが揺れ・・・。

 劇中劇ならぬ、作中作の原稿と交差するエンジェルのオンとオフ。匿名作家は誰なのか、 という謎解きのミステリ的要素は少し弱い部分が否めませんが全体の構成がおもしろいので ミステリはどうもなあ~というかたにも抵抗なくお読みいただけるはず。「プラダを着た悪魔」を読んだかた、 映画でご覧になったかた、次は出版エージェントの悪魔の実態を是非。 翻訳モノを多く出版している出版社さんとお話しているとき頻繁に耳にする「エージェント」なるものの 壮絶な業務内容に圧倒されつつ、今後は「ちぇっ、コレ、つまんない・・・。」などと 間違っても口にしないようにしまス・・・。

永井オススメ!

ムナーリの機械

  • 6月6日 up
  • ブルーノ・ムナーリ
  • 出版社:河出書房新社
  • 価格:3,045円(本体2,900円+税)

待ちに待った待望の、と同じことを重ねて言いたくなるほど待ち望んだ復刊である。

 いま復刊、と書いたけれども、最初の日本語訳は1979年、筑摩書房から刊行され、 判型も装丁も原書とは異なり、題名も『ナンセンスの機械』であった。今回の河出書房新社版は、 題名も原題の”LE MACCHINE DI MUNARI”にしたがって『ムナーリの機械』とし、判型も装丁も イタリア語原書コライーニ社版と同じものとし、さらには印刷・製本までをもイタリアでしたというから、 これが日本における決定版と言ってよいであろう。

 さて、その内容はというと、題名どおり、ブルーノ・ムナーリ考案になる機械の、 図解取扱説明書である。とはいっても、あの手この手で人々を魅了するムナーリのことで あるから、ただの機械ではない。じっさいに「役に立たない機械」という立体作品を残して いることからも察しられるように、実用新案特許とはいかないどころか、実用からはもっとも 遠いものばかりなのである。

 「目覚まし時計をおとなしくさせる機械」「疲れたカメのためのトカゲ・モーター」 「蚊を死ぬほど辱める機械」「留守中でも笛を吹くための機械」などなど、「機械」と 名は付いても、人をも動物をも動員するし、説明は脱線するし、注記はどこに対応するのか わからないしで、「ムナーリの」とくれば、その上に「役に立たない」とルビを振ってもいいくらいのものである。

 であるから、皆さまの暮らしに役立つものをお求めであるならば、この本はちっとも 役に立たないのであるが、たまには「役に立たない」ということを楽しむのも、 大いに推奨されていいことである。

永井オススメ!

恥の美学

  • 5月28日 up
  • 秋山祐徳太子
  • 出版社:芸術新聞社
  • 価格:1,470円(本体1,400円+税)

 「恥の多い生涯を送って来ました。」といえば、太宰治『人間失格』「第一の手記」の 冒頭であるが、秋山祐徳太子は、まさに恥の多い生涯を送って来た人である。『人間失格』は そのあと「自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです。」とつづくのだけれども、 秋山祐徳太子にとっては、恥こそ生活、恥こそ人生なのである。

 秋山祐徳太子は、公衆の面前で自らを「作品」として発表してきた―― 学生服を着て、リュックサックを背負い、なぜかマルクスの本を読みながら文部省の前に立つ 「教育ハプニング・二宮金次郎」。ランニングシャツに短パン姿で日の丸を背負い、 銀座通りを走った「グリコ・ハプニング」。「選挙を芸術にする」と標榜し、1975年と 79年の二回にわたって立候補した東京都知事選。等々。

 こんな突拍子もないパフォーマンスを、公衆の面前でやってのけてしまうのだから、 さぞかし度胸が据わっていて、平気で恥をかける人なのだろうと思ったらそうではなく、 いかにも平然としてやっているように見えて、そのじつ、いつでも「恥ずかしい」と感じているのである。

 そもそも恥をかくことが平気ならば、恥でもなんでもなくて、 それはただの恥知らずである。「恥ずかしながら…」と思いつつ、 それでも恥をかくような行為をするのは、本書に収録されている南伸坊氏との 対談において発言しているとおり、それがやむにやまれぬ恥だからであり、 恥をかきたいわけじゃないのだが、恥をかきたくないということ自体が恥なのだ、 という。私は対談のこのくだりには胸を打たれまくった。

 ここまで恥を知り尽くした人は他にいないのではないだろうか。 なにしろ恥がつねに行為と思索とともにあって、それが生きるということになって いるのだから。頭では恥について考えられても、なかなか恥を実行できるものではない。 そこでわれわれは今後、誰よりも「恥を知る」男・秋山祐徳太子にならい、 自らの言動の規範として、また、21世紀の倫理として、本書冒頭に掲げられた、 祐徳太子制定の「恥の十七条憲法」を熟読し、そして大いに恥をかき、 恥を恐れる現代人からの脱却を図ろうではないか。恥ずかしいけど。

永井オススメ!

ザナドゥーへの道

  • 5月26日 up
  • 中野美代子
  • 出版社:青土社
  • 価格:1,995円(本体1,900円+税)

 「ザナドゥー(Xanadu)」は地名である。もとは元の皇帝フビライ・ハーンが夏の避暑地として 建設した都市・上都のことを指す。その読みがヨーロッパ人によって転訛され、その後、 19世紀英国の詩人コールリッジの詩「クーブラ・カン」において「ザナドゥー」が定着した 。辞書を引くと、「桃源郷」という訳語が当てられるとおり、それは特定の地名を超えた一種の 理想郷であり、本書においても、「西から見た東」を象徴するものとして、さらには 「手がとどかぬ」あるいは「到達不可能な場所」という意味合いをもって用いられている。

 かつて、数多くのヨーロッパ人が東をめざした。その目的は、キリスト教の布教、 博物学や考古学などの学術的調査、未知の地域や海域や島の探検など、さまざまであるが、 彼らに共通するのは「夢」であった。夢――理想、野心、野望、あるいは好奇心でもあこがれでもよい。 それは彼ら個人の夢であるばかりでなく、その背後にはヨーロッパの巨大な夢がある。彼らはいわば その代表者として、「東」におのれの夢を投影し、「自分のもの」にしようとしたのである。

 その試みの成否は、時代によって、人によってさまざまである。現地の現実と出会って、 そのまま同じ夢を見つづけるわけにはいかなくなることもあれば、じっさいには行ったことのない者が、 文学や絵画の想像力の中で夢を見つづけられる、ということもある。いずれにしても、ヨーロッパは 何世紀ものあいだ、東にたいする夢を保ち、「ザナドゥー」を探し求めていたのであるが、 夢はどこまでも夢なのであるから、誰ひとりとして「ザナドゥー」にたどり着いた者はいないのである。

 ただ、たった一人、本書の中で例外的にとり上げられている石工のジューリオだけは、 「ザナドゥー」にたどり着いたかもしれない。彼は積極的な意志を持っていたのではなく、 そのときどきの状況によって、いわば流れるままに、東へ東へと行く。石工として教会を建て、 モスクを建て、そしてチンギス・ハーンの宮殿の建造を依頼される…ほんとうにモンゴルの 地へ向かったのかどうかはわからない。だが、彼は夢とか理想とか、そういったものを 先に立てていたのではなく、どこへ行こうと、自分の身につけた石工の技術でもって 生きていたのであり、本人はそのつもりもないのに、地域を超え、宗教を超え、国家を超え、 「ザナドゥー」へと近づいていたのである。

 きっと、「ザナドゥー」とは、夢を見ていてはたどり着けない場所なのであろう。 けれども、石工のジューリオが遂に「ザナドゥー」に到達する、という夢を見ることは、 ささやかなたのしみとして、われわれに許されてもよいと思う。

永井オススメ!

Light & Shadow 光と影

  • 5月16日 up
  • 森山大道
  • 出版社:講談社
  • 価格:1,890円(本体1,800円+税)

 本書は写真集としてはめずらしく、ほぼ新書判のペーパーバックで、紙もアート紙ではなくて、 ザラ紙というのか粗い紙質である。もともと『光と影』として、1982年に出版されたのであるが、 そのときは大きな判型で、紙もアート紙であったらしい。 らしい、というのは現物を見たことがないからで、仮に手に入れたいと思っても、 すでに絶版であり、古書市場ではものすごいプレミアムが付いていて、とうてい手も足も出ない……私の場合は。

 今回、新装版として刊行するにあたって、装丁も判型も改め、しかもかなりの廉価版となったのは、 己の懐具合のみを考えればうれしいことであるが、廉価になったことだけが良いというのではなくて、 廉価ということを含めたこの刊行形態が良いのである。

 ふつう、写真集というのは、大きくて重いから、持ち歩いたりしないものであるが、 この写真集はなにしろ小さくて軽い。まずどこへでも持ち歩けるのである。べつに持ち歩かなくてもよいのだが、 ものの考え方としての「持ち歩ける」ということが、意外と重要なのではないかなと思う。 なぜなら、森山氏の写真はいつも路上を歩き回って撮られたものだからである。

 写真集ならば、大きい判型で紙質も高級なほうがいいに決まっている。 とは言い切れないのであって、森山氏の写真のごとく、街を歩き回るようにして見る、 という感覚を可能にするのが、このペーパーバックという形態であり、 ツルリとしたアート紙よりも、それこそペーパーバックの小説を読んでいるような、 ザラザラとした紙のほうが、よりリアルだと感じるのは、少数意見であろうか。

 結局好みの問題になってしまうのかもしれないが、写真集をこの形態で キメてしまえるのは森山大道しかいないと思う。もちろん、 大判高級紙の写真集だっていいに決まっているのだが、 私はこっちのほうも、というよりも、こっちのほうが好きである。

永井オススメ!

やんごとなき読者

  • 5月11日 up
  • アラン・ベネット
  • 出版社:白水社
  • 価格:1,995円(本体1,900円+税)

 やんごとなき読者というのが、どのくらいやんごとないのかというと、 いとやんごとなきお方なのであって、それは現英国女王、エリザベス二世のことである。

 ある日、ふとしたことから宮殿の外に停まっていた移動図書館の車に足を踏み入れ、 本を一冊借りた女王は、次第に読書に目覚め、夢中になっていく。一冊の本から別の本へと、 女王の前には新しい扉が次々に開かれてゆく。この、みずからを「晩学の徒」と呼ぶ、 遅れてきた読書家は、齢八十にして、別の人生を知り、別の世界を知り、 自分の人生が思いがけず豊かなものになったことを心から喜ぶのである。

 「読みたいだけ本を読むには時間が足りない」と言うほど本を読まずにはいられない女王は、 われわれ一般人とちがって、多忙なんてものじゃない、分刻みの超多忙なスケジュールを こなさなければならないのであるが、本に熱中するあまり、公務はうわの空になり、 周囲の者たちをはらはらさせる。訪問先での市民への質問も、それまでは 、どこから来たのか、というようなことだったのが、「何を読んでいますか?」になったり 、ヴァージニア・ウルフやディケンズの話で盛り上がり、予定の時間を遅れてしまう、なんていうことも。

 なかでも、議会の開会を宣言するために乗った馬車に置いてあった本を処分されてしまい、 爆発物だと思ったのかもしれません、と言う従僕に、「そうね。そのとおりよ。本は想像力の 起爆装置ですもの」と答える場面は、皮肉なユーモアが効いていて、ニヤリとさせられると同時に、 読書の楽しみの本質を言い当ててもいる。その「本」という起爆装置によって 想像力を刺激された女王は、やがて読むことよりも書くことに喜びを見出し、 「本を書くなかで人生を見つけるのだ」と考えるようになる。それも周囲 が世界的ベストセラーまちがいなし、と言う回顧録の類ではなくて、 プルーストのようなものが書きたい、というのである。楽しみではないか。

 となると、ぜひ続編を。と期待するところだが(題名は『やんごとなき作者』か?)、 そのためには、この小説の結末にほのめかされているように、女王はある重大な決断を してしまわねばならぬので、想像して楽しむにとどめておいたほうがよさそうである。

永井オススメ!

高架下建築

  • 5月4日 up
  • 大山顕
  • 出版社:洋泉社
  • 価格:1,785円(本体1,700円+税)

 鉄道の高架下には呑み屋があったりして、仕事帰りにそういう場所に立ち寄って一杯ひっかける、 なんていうのがわれわれの日常的なたのしみ、人によっては生きるよろこびであるが、 こうした高架下の呑み屋もまた「建築」であるということを、いままであまり、というよりもまったく 考えたことがなかったのは、たいてい呑み屋に行くときは頭の中が呑むことでいっぱいだからということもあるし、 たとえ酔っていなくとも、それがおよそ「建築」らしくない外見だからということもある。

 なにしろ高架は鉄道のためにあるのだから、鉄道の都合が優先されるのがあたりまえで、 その下にある建造物は、線路や柱によって、高さも幅も奥行も、はじめからその枠が決められていて、 われわれが目にすることができるのは、建物の正面だけなのである。ということはすなわち、 われわれが「建物」と聞いて思い浮かべる立体性を欠いた、平面的な、ぺらっとしたものとしてしか 見えていなかった、ということになる。

 しかし、それこそ平面的なものの見方というものであって、あらためて「高架下建築」の名のもとに見てみると、 ここに紹介されている物件のどれひとつとして、枠の中におとなしくおさまっているようなものはない。 壁の質感、窓の位置、扉の塗装、ベランダの洗濯物、庇や看板の文字、テレビのアンテナ、 煙突…正面だけに真っ向勝負のみ、上からの横からの制約に決して屈しないどころか、 逆に主人の高架を食ってやろう、ぐらいの、ふてぶてしいというか、したたかというか、 そんな面構えをもったこれら「高架下建築」に、こちらは「よっ、高架下!」と拍手喝采を送りたくなってしまう。

 さて、そうしたらこんどは実地に見学を。というわけで、 今夜は仕事帰りに有楽町の高架下建築で呑み…いやいや、高架下建築を、見に、行こうか。

永井オススメ!

33個目の石

  • 4月27日 up
  • 森岡正博
  • 出版社:春秋社
  • 価格:1,575円(本体1,500円+税)

 よく「人の痛みがわかる人間になりなさい」ということが言われるが、他人が感じる 痛みそのものを自分が共有することはできない。まして心の痛みともなるとなおさらである。 痛みとは自分自身が感じるものであって、自分の痛みを知ればこそ、他人の痛みを想像し、 それを理解しようと努められる。

 「人の痛みがわからない」とは、自分が痛みを感じないということで、 それは自分が「そうではない」、「当事者ではない」、ということである。 そこには深刻な差別の感情が潜んでいる。なぜなら、自分が当の本人ではないということが、 自分と違う者を排除してもよいという論理にたやすく転じるからである。しかし、 世の中に痛みを感じたことがまったくないという人はいないはずで、自分自身の痛みを思い出し、 その痛みの感覚を起点としてものごとを考えるならば、自分の痛みから自分自身を排除することは できないのだから、それは差別の芽を摘み取る力になり得る。

 表題の「33個めの石」は、2007年に米国・バージニア工科大学で起きた銃乱射事件の際の エピソードからとられている。事件の後、キャンパスには犠牲者を悼む32個の石が置かれたが、 そこにもう一つの石が加わった。33個めの石は、自殺した犯人の追悼であった。 それは誰かが持ち去った。ふたたび石が置かれ、また持ち去られたが、誰かが新たな石を置いた ――この石を置く/置かない、という行為のうちには、目に見えない、しかし自分を棚上げしない意志と、 相互の静かな対話があり、それぞれの立場の違いを超えた痛みの感覚が共有されている。

 33個めの石を置くか置かないかは、われわれひとりひとりにゆだねられている。 それはほかならぬ自分自身が選び取らなければならないことであり、どちらの立場を取るにしても、 その傍らにはつねにもう一方の立場の人、すなわち「他者」が存在していることを想像できるならば、 その「他者」への想像力をはたらかせることにこそ、われわれがこの世界を生きていくうえでの希望があるのである。

永井オススメ!

在日音楽の100年

  • 4月22日 up
  • 宋安鍾
  • 出版社:青土社
  • 価格:2,730円(本体2,600円+税)

  来年(2010年)は、1910年の韓国併合から100年という節目の年を迎える。植民地支配によって生じた「在日」も100年、 そして本書の題名にあるとおり、「在日音楽」もまた100年の歴史をもつことになる。

 日本が韓国を植民地としていたのは1910年から1945年の35年間であり、その時間と比べると、 戦後/解放後から現在までの時間のほうがはるかに長い。しかし、だからといって、過去のことはもういいではないか、 ということにはもちろんなるはずがなくて、「在日」の問題は、そもそも「在日」という言葉それ自体がそうであるように、 戦前の植民地支配の時代よりもむしろ、日本が戦争に敗れ、朝鮮半島が解放された戦後に顕在化したのであり、 その淵源が韓国併合にあるならば、とうぜんこの百年という時間の長さをもって考えられなければならず、 彼らが歌い、演奏してきた音楽もまた、それだけの重みある時を刻んでいるということである。

 ここでとり上げられた人々は、日本と韓国/朝鮮、二つの、あるいは三つの国あいだにあって、 音楽を通じて差別や偏見と向き合い、それぞれの時代を生き抜いてきた。初代朝鮮統監伊藤博文の秘書という、 対日協力者中の協力者を伯母に持ち、戦前の日本の芸能界において、「アリラン」などの伝統音楽と新しい時代の 音楽を融合した舞台で人気を博し、内鮮融和の国策に利用されながらも、あえて朝鮮人としてのアイデンティティーを 前面に出し、日本型植民地主義に抵抗した、「在日音楽」の先駆者とも言うべき裴龜子(ペグジャ)。

 植民地時代の北朝鮮に生まれ、朝鮮半島と日本の解放後/戦後の起点である1945年にその芸歴をスタートし、 南北分断の直前に日本に密航、ジャズの演奏家・歌手として活動し、帰国後、韓国大衆歌謡界を代表する作詞作曲家として 活躍し、晩年は、北の故郷を去り南へ移った「越南失郷民」として、南北統一を願う曲を作った 吉屋潤(キロギュン/よしやじゅん)。

 戦後の日本に生まれ育ち、国籍の問題に直面し、就学や就労や居住などの不当な差別と闘う環境の中で、 音楽に活路を見出し、ジャズにロックにR&Bにポップスに演歌に、その才能を発揮し、現在も現役として「在日音楽」を 更新しつづける、都はるみ、にしきのあきら、和田アキ子ら、ほぼ48年から57年生まれの在日「二世」の世代と、 「二世」のミュージシャンたちの活動と並行しながら、ラップ、ヒップホップ、レゲエ、ミュージカルへと、 その幅をさらに広げている、ソニン、ケイコ・リー、クリスタル・ケイら、「三世」以降の新しい世代。

 「在日音楽」には、世代から世代へと受け継がれる伝統音楽、民族音楽という意味での音楽的な直接の 繋がりがあるというわけではない。その音楽の多様性はむしろ、伝統や歴史を超え、つねに新しい局面を切り開くもので あったし、いまもなお切り開きつづけている。この100年の音楽を担ってきた人々は、日本への抵抗者であり、 「越南失郷者」であり、「二世」「三世」であり、「コリアンジャパニーズ」であり、 「日本人でもなく、韓国人でもなく」である。時代による考え方の変遷もあり、 同じ世代でも考え方の違いがあるが、彼らは「在日」という根によって繋がっているのであり、 なによりも「音楽」で繋がっているのである。そして彼らがいま歌い、演奏する「在日音楽」は、 「在日」としてのたたかいであり、挑戦であるとともに、「在日」という枠をを超えて、いま「在日する」 多種多様な音楽へと、意図的に読み違えることをも指向する、戦略的な言葉として、新しい局面を切り開きつつあるのである。

吉江オススメ!

おもしろさ全開!『ミレニアム2』

  • 4月2日 up
  • スティーグ・ラーソン
  • 出版社:早川書房
  • 価格:㊤㊦各1,700円(本体1,619円+税)

 長らくお待たせいたしました。(ワタクシが待たせたわけじゃないんですケド) 昨年末大きな話題となった「ミレニアム1」の続きが出ました~!(装丁のイメージがだいぶ変わりましたネ?)

 「1」はなにせ登場人物が膨大で巻頭の家系図を見ていきなり、はぁ?となりつつ (池上永一「テンペスト」でも登場人物表を手放せなかったワタクシ)そこを脱したら グイグイひき込まれ・・・という読者も多かったのではないでしょうか?そんなアナタに朗報です! 「2」は更におもしろさが加速して物語は熱く激しく展開します。(K-1並みです!)

 音信不通となったミカエルとリスベットはお互いの知らないところで複雑に絡み合うある事件に巻き込まれていきます。 2人の行く先々、死体がごろごろと横たわり、事件は思わぬ方向に広がりながら「1」では謎のままだったリスベットの 過去が徐々に解き明かされていきます。そのあまりに辛い幼少時代は、舞台となっているスウエーデンの抱える (世界中にもあふれている)社会問題とリンクしてエンターテイメント性の高いこの小説に違和感なくうまく 盛り込まれています。ジャーナリストでもあった著者ラーソンの鋭い視点がさすがによく生かされていますね。

 そして「1」と同じように今回初めて登場する脇役たちのキャラクター設定の巧みさと善悪の潔さが小気味よく、 読者を裏切りつつ(いい意味でネ)もがっがりさせません。 特に刑事の面々と元・格闘家の(見た目とは違い、とっても優しい)パオロ、リスベットの 親友ミミの個性豊かな書き方は皮肉やユーモアたっぷり。勧善懲悪がスカッとさせてくれます。 最初は理解不能、破天荒なリスベットの行動に、なんだョ、コイツ・・・と思われた方も多いはずですが、 そんなリスベット、今回から<女子度>がアップしていきます。 ふむふむ、これもミカエルの力か・・・?これからまたひと波乱起こることは容易に想像出来るし、 お人よしで正直で正義感溢れる常識人ミカエル、彼の唯一の弱点<適当な恋愛感>は彼も気づかないうちに リスベットによって変わるかもしれない「3」(今夏発売)を今から期待しています。 「甘いだけ」で終わらないのは容易に想像つきますし。

吉江オススメ!

川は静かに流れ

  • 3月24日 up
  • ジョン・ハート
  • 出版社:早川書房(文庫)
  • 価格:1,029円(本体980円+税)

 「キングの死」(ハヤカワ文庫・税込987円)で華々しくデビューを飾ったジョン・ハートの待望の第2作。

 今回もまたなにやら謎めいた殺人事件が家族をめぐる物語として展開される。 著者独特の乾いた、ザラザラした手触りとでもいうような描写につくづく感心する。

 事件の動機、過程、結末のすべてに家族にしかわからない微妙な関係や感情のもつれがふんだんに織り込まれ、 ストーリーは更に複雑になる。 親と子、夫婦、親友、恋人、とお互いが愛するがゆえの(そしてその表現のしかたはさまざまである) 誤解や猜疑心が渦巻くなかで本当の姿を見出すという行為は、身近であればあるほど難しいのではないかということを 思い知らされる。偽りのうえに築かれたものの儚さと愚かさは人間である以上誰もが持ちうる哀しい性(さが)なのであろう。

 行き着くところ、結局は世間虚仮ではないか・・・というむなしさを打ち消すのはやはり家族 (と自己犠牲をも厭わない無償の愛で結ばれた他人)の情愛と信頼。 ハートの描く家族たちは実に人間臭く、殺伐とした土地や風土を表すのにもその味を増している。 こころに沁みるミステリとはこのことだ。

永井オススメ!

小島一郎写真集成

  • 3月14日 up
  • 青森県立美術館監修
  • 出版社:インスクリプト
  • 価格:3,990円(本体3,800円+税)

 昭和30年代の東北を撮り続け、39歳の若さで急逝した小島一郎。 その写真家としての活動はわずか10年ほどであったが、彼がとらえた北の大地は、 見る者に強い印象を残さずにはおかない。この写真集に収められている作品も、 ほとんどが彼の故郷である津軽および「津軽」という地名が喚起する風景である。

 四季のうちでも、とりわけ冬。一面の雪に覆われた厳寒の地に、幾度となく足を運んだ小島は、 その度重なる真冬の撮影行が死期を早めたともいわれるのだが、彼は命を縮めることになろうとも、 どうしてもそうせずにはいられなかったのではないだろうか。そこまで彼を駆り立てたものは何であったのかといえば、 津軽の厳しい自然の中に暮らす人々の生きようとする執念であり、それは小島自身の執念でもあった。

 師にあたる名取洋之助は、小島の写真を見て、「この作者は異常性格だ」と言ったという。名取は「異常」という言葉に、 死をも恐れぬこの写真家の姿をみてとっていたのではないだろうか。その意味で、この発言は小島への最大級の称賛と考えられてよい。 死と背中合わせにシャッターを切りつづけること。それこそ彼自身が生きているということの証しであった。

 小島がレンズの先に見ていたものは、光であった。彼の作品には、下から上を仰ぎ見るような構図が多くみられる。 頭上には太陽がある。その光は、燦々とふりそそぐのではなくて、冬の厚い雲の間からわずかに垣間見える光である。それは、暗く閉ざされているばかりであるような人のいとなみを照らす、小さな、しかし消えることのない希望であり、沈黙のうちに燃えつづける不屈の精神である。

 小島一郎は、その撮影地や撮影対象のローカリティゆえに、これまでは一地方作家とされてきたようであるが、 その作品を見れば、そんな枠の中ではとうていおさまりきらない写真家である。 このたびの本書の刊行は、埋もれていた地方作家に光を当てた、というよりもむしろ、 小島一郎が放ちつづけていた光を、およそ半世紀を経たいまになってようやく感知することができた、 ということなのではないだろうか。

吉江オススメ!

やまねこくん、ありがとう『くまとやまねこ』

  • 2月28日 up
  • 湯本香樹実・文 / 酒井駒子・絵
  • 出版社:河出書房
  • 価格:1,365円(本体1,300円+税)

 ちょっと前、体調がすぐれない状態に加えてなんだかんだと思うところあり (ノーテンキのようにみえますがワタクシこれでもいろいろ考えている・・・。)ガクガクッとなっていました。 そんな自分の様子を単語数個で連ねただけの短いメールを古い友人に送ったところ、特に励ますような返事ではなく 「ふぅ~ん、次の休み、いつ?」とだけ。

 1年以上も会っていなかったのに急に会うことになり、その人は結構な時間をかけてトコトコと ワタクシの住む街まで雨の中をやってきました。熱いお茶を飲んで、本の話や作家のこと、 取るに足りない日常のことなどを話しているうちに外は暗くなり「ふぅ~ん、じゃあ、また。」と またトコトコと帰って行きました。さっきまでのガクガクッはどこかに消えていました。

 たいせつな友達のことりが亡くなってしまってからのくまの生活はモノクロームの世界、 森の仲間たちを自分から拒絶してしまいます。孤独と悲しみが永遠に続くように思われたある日、 窓をあけたところ、くまに明るい陽射しが注ぎます、そして・・・。(この続きは本で読もう!)

 いろいろなシチュエーションで哀しいとき、辛いとき、自分だけがひとりぼっちだと感じているとき。 「頑張って」「元気を出して」を言うのも言われるのもキビシイとき。この「くまとやまねこ」を開けば、 白黒のページのなかにちょこんと現れるピンクのさし色と同じように、こころの温度が少し上がるかもしれません。

 <絵本大賞を獲ったから売れている>のではなく、 すばらしい本だから<絵本大賞を獲った>のです。

永井オススメ!

日清戦争異聞 萩原朔太郎が描いた戦争

  • 2月23日 up
  • 樋口覚
  • 出版社:青土社
  • 価格:1,890円(本体1,800円+税)

 日清戦争に出征した一兵卒、原田重吉は、難攻不落といわれた平壌玄武門の城壁を乗り越え、戦友のために 門を開いて自軍を勝利に導いた。彼は金鵄勲章第一号の受賞者となり、その活躍は錦絵に描かれ、幾度となく劇化され、 戦争の英雄としてまつり上げられた。

 しかしその後、彼は放蕩に身を持ち崩し、あろうことか壮士芝居の一座に入り、みずから本人役を演じた。 しばらくは喝采を浴びたが、しだいに飽きられ、芝居小屋から放り出された。さらに金鵄勲章を剥奪され、 末は最下層のルンペンにまでおちぶれた。

 それからちょうど40年を経た1935年、萩原朔太郎は「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」を発表する。 この作品で朔太郎がねらいとしたのは、戦争の英雄として栄誉の絶頂を極めた原田重吉の急転直下の転落ぶりと、 それによるアイロニカルな人生を描くことにあった。戦争の英雄から浅草のドヤ街をうろつくルンペンにまで転落した 原田重吉に、朔太郎は彼自身あてどなく街をうろつくよりほかない生活無能力者として、深い共感を寄せた。 朔太郎が描く原田重吉は、おのれの悲運や転落を嘆かない。

 彼にとって、ルンペンであることは必ずしも嫌なことではなかった。浮浪者や日雇い労働者で一杯の浅草公園は、 最も気楽に過ごせる場所なのである。そのベンチに座る彼に、かつての敵であった支那人の兵隊と賭博をする夢を 見させるとき、朔太郎はこの人間失格者に全面的な共感を抱いている。その共感の思いは同時に、 善良な一庶民の人生を激変させてしまう戦争と、勝った負けたにかかわらず必ずおとずれる、 「戦後」に対する鋭い意識であった。朔太郎は、日中戦争が拡大の途をたどりつつあったこの時期すでに、 原田重吉という人物の人生を通じて、国家や国民の熱狂にだけでなく、その後の急速な忘却にたいしてまでも、 痛烈に批判している。そして最後には自分が戦争で手柄を立てたことさえ忘れさせる。 それは転落しきった最底辺の無為から突きつける、戦争と戦後へのラディカルな抵抗なのである。

吉江オススメ!

清水俊二さんのこと

  • 2月21日 up
  • いずれもレイモンド・チャンドラー著 清水俊二訳
  • 出版社:早川書房(文庫)

 現在開催中の<とことん本の雑誌フェア>のコーナーに本の雑誌社の浜田さんが直筆で書いてくださったとても 素敵なPOPがあります。

 「本の雑誌」がなければ、「本の雑誌風雲録」に出会わなかったら わたしの人生はもっと味気ないものなっていたに違いない。

 熱烈!と言うには程遠いのですが、ミステリ、好きです。そして浜田さんの真似をするなら、 清水俊二さんに出会わなかったら、わたしの読書ジャンルにミステリは入っていなかったに違いない。

 清水さんはミステリファンだったら(ファンじゃなくても)誰もがその名を知っているという名翻訳家。 (映画字幕でもおなじみ) 清水さんは教文館でよく本を買ってくださるお客様のひとりでした。とってもダンディで ユーモアがあり、気さくで、粋で。それまでチャンドラーなんて読んだことがなかったのですが、 こんなかっこいいオジサマが訳しているなら、きっと面白いに違いない!と読み始めました。 クリステイやエラリー・クイーンとは違うミステリ。(清水さんはクリステイも訳してはいますが) フィリップ・マーロウってきっとこんな顔でこんな感じで・・・などと想像はどんどん膨らみます。

 「今、<湖中の女>を読んでマス!」なんて報告すると「アナタじゃまだわからないんじゃないの~。」と 笑われたりしました。チャンドラーも、マーロウも、清水さんも同じくらいかっこいいですネ、と 言ったとき、「僕があんなにかっこいいわけないよ!」と苦笑された表情は忘れられません。 わたしのミステリ読書はまず翻訳家の清水さん、というところからはじまりました。 もっといろいろなお話をうかがっておけばよかったなあ、と今になって残念に思いますが、 早川文庫を時々取り出しては、そこにある『清水俊二訳』という表記を懐かしく眺め、読み返したりしています。

清水俊二訳のレイモンド・チャンドラー作品(早川文庫)
「長いお別れ」、「さらば愛しき女よ」、「プレイバック」、「湖中の女」、「高い窓」

永井オススメ!

背番号10

  • 2月1日 up
  • アンドレ・リベイロ,ヴラジール・レモス
  • 出版社:白水社
  • 価格:2,415円(本体2,300円+税)

 サッカー界のスーパースターといえば誰か? という質問があったら、その答は世代によって、 あるいは国や地域によって異なるであろうが、スーパースターが付ける背番号は? ときかれたら、 「10番」という答が圧倒的に多いのではないだろうか。「10番」は、誰もが付けられる番号ではない。 それはそのチームの中心であることが認められた者にのみ与えられる番号であり、「10番」を背負うということは、 他の番号にはない特別な力、絶対的存在であることの証なのである。

 なぜ「10番」なのか。それはいまから約半世紀前、1958年のワールドカップ・スウェーデン大会に現われた、 17歳のブラジル代表選手が付けていた番号だからである。ペレ。20世紀でもっとも偉大なサッカー選手、 「サッカーの王様」である。この年に見せたペレの華麗なプレーによって、それまでただの番号であった「10番」は、 名選手、スーパースターの番号となったのである。

 ボビー・チャールトン、ジーコ、プラティニ、マラドーナ、ロベルト・バッジョ、ジダン、ロナウジーニョ、メッシ。 それから「10番」ではないが実質的に「10番」の名選手、ベッケンバウアー(5番)、クライフ(14番)……ペレから始まった 「10番」の栄光の歴史は、現在もなお続いている。

 さて、本書には残念ながらまだ日本の「10番」は入っていない。だが、巻末にあなたの「10番」の写真を貼り、 その伝記を書くスペースが確保されているので、そこに日本人の「10番」を入れたいところである。「大空翼」 という手もあるが、やはり実在の選手のほうがよいでしょう。

永井オススメ!

サンパウロへのサウダージ

  • 1月26日 up
  • クロード・レヴィ=ストロース 今福龍太
  • 出版社:みすず書房
  • 価格:4,200円(本体4,000円+税)

 1996年に本書の原著がブラジルで刊行された際、レヴィ=ストロースはその序文において、 題名の「サウダージ」とは、「ある特定の場所を回想したり再訪したりしたときに、この世に永続的なもの などなにひとつなく、頼ることのできる不変の拠り所も存在しないのだ、という明白な事実によって私たちの 意識が貫かれたときに感じる、あの締めつけられるような心の痛みを喚起」させるために用いられた言葉であり、 あくまでも「いまこの瞬間を表象している」ものである、と言っている。

 1935年、サンパウロ大学に招かれ、ブラジルに渡ったレヴィ=ストロースは、社会学の教授として教鞭をとり、 奥地の先住民社会を訪れるかたわら、このころ普及しはじめたライカを手に、サンパウロの町を撮り歩いていた。 この小型カメラの登場により、スナップショットという手法が生まれ、「いまこの瞬間」の視線をそのまま映像として 定着することが可能となった。

 1930年代のサンパウロは、急速な発展の途上にあった。当時唯一の摩天楼であったマルティネッリ・ビルを中心に、 近代的な建築が立ち並ぶかと思うとそのすぐそばには地方の村のような風景があり、街路には市電と牛車が同居し、 豊かな住宅地には貧民街がじかに接している。レヴィ=ストロースの町歩きは、この都市が見せるコントラストや 多様性に惹きつけられてのものであったが、ライカによるスナップショットでとらえられたサンパウロの「いま」は、 近代化の熱気に包まれているはずの新興都市のいたるところに、どこか寂しげな空気が漂っていることを感じさせるのである。

 レヴィ=ストロースはサンパウロを、「移ろいやすい若さ」と形容し、「時間というものに無頓着な町」と呼んだ。 19世紀末にはじまった近代化からわずか50年にして、この都市には最新文化の輝きとともに、すでに「過去」や「追憶」、 そして「荒廃」が表面にあらわれてしまっている。それは時間の蓄積としての歴史が絶対的な優越性をもつヨーロッパ (旧世界)にたいして、「反転し逆流し停止する不思議な時の回廊」であり、そこには「たえず『いま』という時の 瞬間的な充満と喪失に配慮する特異なブラジル的悲嘆」があるのであり、その感情こそが、「サウダージ」 の核心なのである。

吉江オススメ!

少女

  • 1月19日 up
  • 湊かなえ
  • 出版社:早川書房
  • 価格:1,470円(本体1,400円+税)

 命ある全てのものが逃れることの出来ない運命、それが<死>。 それを直視したい、あるいは関わりたいとは思う人間はどれくらいいるのだろう・・・。 読み進めていくうちに避けたいはずの<死>を身近に感じ、むしろ かなり興味を持っている自分に気づく。

 登場する少女たち、そして周囲の人々は何かしら違う形で<死>を 見つめ、その想いを常に心に留めている、という設定。 部活でのアクシデントか希望を断ち切られた敦子、打ち明けられない 家庭の事情で自分の殻を壊せない由紀、2人の視点で語られる展開と 登場人物たちの入り組んだ関係は湊さんの真骨頂。プロセスは限りなく複雑で、 そこに存在する感情はひとごとではない気持ちにさせられる。 自分の意識しないところで、あるいは身に覚えのないところで 自らが加害者になる可能性は決してゼロではない。 そして、自分の隣でなにくわぬ顔をしている人物が犯罪者ではないと 100パーセント言い切れないのだ。

 高校生の少女たちは大人が想像しているほどの<子供>レベルではなく 無邪気さと残酷さのあっけらかんとした混在に余計に恐ろしさを感じるのである。

 衝撃のラストは、物語の最初にまた引き戻されるようで この先の敦子は?由紀は?という、新たなもどかしさが 果てしなく続くが、その答えは読者それぞれの判断なのだろう。 作中で重要な糸口となる、由紀が書いた小説「ヨルの綱渡り」はこれ一作として読んでみたいとさえ、思わせる。

ジャンルはミステリだが、それ以上の力量を見せつけたられた秀作。 《「告白」の湊かなえ》が《「少女」の湊かなえ》になった、と言ってもいいかもしれない!!

吉江オススメ!

江戸の痛快!『浮世女房洒落日記』

  • 1月7日 up
  • 木内昇
  • 出版社:ソニーマガジンズ
  • 価格:1,365円(本体1,300円+税)

 『茗荷谷の猫』で<通>な話題を振りまいた木内昇(のぼり)さんの最新作。

 椋梨順三郎なる人物の但し書きが添えられている冊子を屋根裏部屋で見つけたところから始まる導入部分が 良いではありませんか!江戸の文化文政(あるいは天保)の時代、神田の小間物屋の女将さんであるお葛(かつ) さんの日記なのです。27歳ちょい年増、といわれた日にゃあ、今のワタクシ、いったいど~したらよいのだ!?と 消え入りたくもなりますが、(十六夜清心じゃありませんが<人生どう生きても50年・・・>の江戸時代ですから そう考えれば27歳はやっぱり中年ですね)このお葛さんのまあ、生きのいいこと!

 亭主の身勝手さにブチ切れては喧嘩(でも時々惚れ直す)、商いに悩み、ご近所付き合いにイラっとし、 子どもたちをひっぱたき(そのあとは、思いっきり可愛がる)、火消しのイケメン鳶にポ~っとなり、 若いものの恋を仲立ちし、食べすぎを後悔し、家計のやりくりに唸り続ける。そんな日々にも楽しみがたくさんあり、 正月だ節句だ花見だ初鰹だ花火だ芝居だお盆だお祭りだ月見だと季節の行事を楽しみ、ご近所の人情に感謝し、 世話を焼き、持ちつ持たれつ暮らしている。シチュエーションこそ違えど現代のワタクシたちとまったく 変わらない日々が明るく元気に語られる。日常の普通の出来事に対して記されるぼそっとしたお葛さんの一言が深い!

「案外世の中、いいことと悪いことが帳尻合うようになっている、と信じてみよう。なんの案も浮かばないけど 『信じるが勝ち』と信じよう。」

「もののありがたみがわからない大人になってからじゃ遅いんだ、今日あんたがしたことはお天道様がちゃーんと 見ているんだからね!」

「心の衝立を取っ払って素に戻っちまう性格が世の中を明朗でたいらかなものにしちゃってるんだ、 これなら他人と諍うことはなかろうし、腹の探りあいなんて厄介なもんもぽーんと飛び越えられる。」

「なにごとも、身の丈、身の丈。」

 江戸検定も好評だと聞きます。多少の不便を伴ったとしても今の時代が失ってしまったたくさんの 大切なものを取り戻したいと人々が切実に思い始めたからでしょうか。 当時の風俗、歳時、習慣、流行、衣食住・・・・え~、こんなんだったの?と新鮮で興味深い要素がぎっしり。 吉原に八朔を見に行く、きらず汁を作る、久松るす、削懸などなど・・・・・、親切な註がついているので大丈夫、 ちゃんとわかりますよ。

 「笑うのは<大事>とかそういうことじゃないんだ。価値だの貴重だのといって雛壇にあげるもんじゃなくて、なんていうかこう、つい笑っちまうってことなのよ。そういう芸や黄表紙がいいんだよ。」 これもお葛さんの一言。 2009年の黄表紙がまさにこの「浮世女房洒落日記」だと言い切ってしまおう!思い切り笑って 憂鬱なんて吹っ飛ばしたい!木内さん、大好きです!

吉江オススメ!

猫を抱いて象と泳ぐ

  • 1月2日 up
  • 小川洋子
  • 出版社:文藝春秋
  • 価格:1,780円(本体1,695円+税)

 小学生にして<算数><数学>に対する知能がひとさまよりかなり欠如しているのだ、ワタクシ・・・! という人間になっていました。たす、ひく、かける・・・・・くらいはまだいいとしても (それもかなりアヤシイのですが)「時速○キロで歩いたとして×時間後には・・・」なんていう問題が 出ようものならすでにその時点で<問題の意味がわからないんですケド?>状態という酷さ。 今思い起こしてもアレでよく受験を乗り切ったものだとヘンな感動が沸き起こるほどです。 (正確には、乗り切った、のではなく、やり過ごした。)高校時代は当然のように物理や数学Ⅱを 無視できるような科目選択をしていました。

 そんなワタクシですから、書名に「数式」なぞという文字を見つけただけでも「ハイ、もうダメです」 ってなものですが「博士の愛した数式」には、ありがとうと言いました。 小川洋子の手にかかると数字も数式も四角四面(としかワタクシには思えない)の理論も、 それらは美しくももの哀しいリズムとなり、切ないメロディとなるのです。

 この最新作はのちに伝説のチェス名人となるリトル・アリョーヒンのお話。厳密なルールの下で 動かされる駒たちは決して冷たく無機質な存在ではなく、限られた盤のなかを感情豊かに動き回り、 アリョーヒンの想いをのせて静かに流れる旋律に変わる。少年にチェスを教えた マスター、マスターの猫、デパートの屋上から降りることなく生涯を終えた象、肩に鳩をのせた少女ミイラ、 そしてチェス人形・・・・。不思議な存在が違和感なく自然に繋がっていくのはなぜだろう。 はしゃがない、騒がない、それなのにドキドキする、キラキラしている。 喜びと悲しみ、優しさと残酷さの符号が、ぱちっと合わさっていく。

 ♪永遠なんてわからないけどやさしい人になろう♪ ジュディ&マリーの「ラッキープール」の一節です。 2009年のはじまりに相応しい心清らかなストーリー、新年いちばんによんでほしい作品です。