本を持って山へ行こう
- 伊藤の日記
- 10月25日 up
空が高い秋、ちょいと山でも登って遠い空を眺めたい気分になりますね。日本でも戦前は娯楽がないから若者は山に登ったものです。
たとえば小林秀雄なんぞでも深田久弥と登ったりしています。
後年、読売文学賞の選考委員だった秀雄は、久弥の「日本百名山」を選んでますが、その作品の価値も優れているのですが、山に一緒に登った
旧友の作品を選んでるよこいつ、という感じもなくも無い。
さて、日本の作家はどんな山に登った作品を残しているのか、江戸時亜大の松尾芭蕉「おくのほそ道」の(16)月山や、鈴木牧之「北越雪譜」の(32)苗場山
は別にして。
三浦綾子なら(7)十勝岳,新潮文庫「続泥流地帯」に「今、十勝岳に雪はない。五月二十四日の爆発の時には、十勝岳は何メートルもの積雪に閉ざされていた。 その積雪が、灼熱の溶岩に一時に溶けて、泥流になったと聞いていた。」1926年の事。山は畏怖から恐怖に変わります。
太宰治なら(10)岩木山、岩波文庫「津軽」で「『や!富士。いいなあ。』と私は叫んだ。富士ではなかった。」決め付けながら、一転否定する太宰らしい表現。 今は8合目位までバスで行け、9合目までリフトがあるので楽すぎ登山。
新田次郎なら(11)八甲田山、新潮文庫「八甲田山死の彷徨」に「白地山の頂上には雪はなかった。風に吹き飛ばされたのだ。」とありますが、この山風が 強くて、いっぺん飛んでみて後ろに落ちて面白いと最初思ったのですが、それから1時間這って頂上に登ったことを覚えています。八甲田山死の這行。
宮沢賢治といえば(13)岩手山、新潮文庫「宮沢賢治詩集」中「岩手山」に、「薬師火口の外輪山をあるくとき/わたくしは地球の華族である/蛋白石 の雲は遥かにたたへ/オリオン 金牛 もろもろの星座」鉱物や星座が出てくるのはいかにも賢治らしい。この山は富士山のように砂礫で歩きにくくて飽きちゃいます。 頂上に蜻蛉が多数いました。蜻蛉も避暑するんでしょうか。
斉藤茂吉なら(18)蔵王、「陸奥をふたわけざまに聳えたまふ蔵王の山野雲の中に立つ」ふたわけざまがきいてますね。ロープウェイで便利になったので、誰でも登れてありがたみがなくなりました。
高村光太郎なら(21)安達太良山、新潮文庫「高村光太郎詩集」中、「あどけない話」で、「智恵子は東京に空がないといふ」「阿多多羅山の山の上に/毎日出ている青い空が」本当の空があるという。 ふるさとの山の空が一番すがすがしいのでしょう。
田山花袋なら(41)草津白根山、岩波文庫「温泉めぐり」で、湯釜から黄・白・灰色の噴煙が巻き上がる様子を描いていますが、気味悪くて降りるのは躊躇しています。 実生活も登山もためらう人なんですね。あっけないくらい簡単に登れますが、ぼおっとしてると火山ガスにやられます。注意!
池澤夏樹なら(43)浅間山、「真夏のプリニウス」では、「この下でマグマが動いているのか。こちらに向かって今ゆっくりと岩盤の隙間を満たし、岩塊を押しのけながら、登ってくるのだろうか。」 と書いていますが、やたらと噴火するこの山、登山禁止の時に登って火口の中を見たことがあります。 不思議に煙はわずかで底が見えました。でもすぐ降りました。噴火は怖し。
芥川龍之介は(54)槍ヶ岳、岩波文庫「山の旅 明治・大正篇」明治42年に登ってます。龍之介が3000峰に上ってるとは意外。
島崎藤村なら(60)御嶽、「隠れたところにあるその孤立。その静寂。人はそこに、常なく定めなきる点の力に対抗する偉大な山嶽の相貌を仰ぎ見ることが出来る。」 主人公が幕末の人だから山岳信仰になるんですね。六根清浄。
堀辰雄といえば、(64)八ヶ岳、新潮文庫「風立ちぬ」に「八ヶ岳の大きなのびのびとした代赭色の裾野が漸くその勾配を弛めようとするところに、サナトリウムは」とあります。 堀辰雄はなんでも軽井沢周辺を考えて島しますが、こおは富士見高原。八ヶ岳は山すそが広いので、そこに町や村があればみな村ごと町ごと坂町・坂村になります。 清里も坂の上を上っていけば八ヶ岳のどこかの頂上にたどりつくということになる訳です。きっと途中でバテます。
(79)鳳凰山なら作家じゃないかでウェストンの出番 平凡社ライブラリー「日本アルプス再訪」(「極東の遊歩道」が原題に近い)では、「この岩柱が、 日本人のいう《合掌立ち》、すなわち、祈るときに両手を合わせる格好にもたれ合っている。」といい、巨大なにんじんを立ててもたれ合わせたと表現しています。 この尖塔(オベリスク)に初めて登ったのがウェンストンです。登頂の様子はこの本に描かれています。
高村薫なら南アルプスの(80)北岳、講談社文庫「マークスの山」に、「雪雲に煙るバットレスの黒い垂壁と、その先にそそり立つ頂上の姿が 何度も浮かんでは消え」とあります。バットレスは高さ600メートルの岩壁で、北岳の特徴。朝北岳山荘から間ノ岳、農鳥岳を経由して夜奈良輪まで 降りたことがありますが、ふらふらで、その夜はようし酒飲むぞとビールを14本飲みました。翌日朝は二日酔いでふらふら。
番外で、南アルプスといえば飯田蛇笏の句「芋の露連山影を正しうす」この連山は南アルプスですよね。小さい芋の露、そのきららな 朝露によく見ればアルプスがそのまま映っている。格が大きいですね。中央線で甲府盆地に入ると南アルプスの連山を眺めましょう。
志賀直哉ときたら(92)大山、岩波・新潮文庫「暗夜行路」、「米子の灯も見え、遠く夜見ヶ浜の突先にある境港の灯も見えた。或る時間を置いて、時々強く光るのは美保の関の燈台に違いなかった。湖のような中の海は この山の陰になっている為まだ暗かったが、外海の方はもう海面に鼠色の光を持っていた。」あくまで簡潔に日本海の方角を眺めています。
天童荒太なら(94)石鎚山、幻冬舎文庫「永遠の仔」に、「山小屋の屋根越しに、岩の壁がそそり立っているのが見える。岩の壁の上方は、白いもやがかかっていて、見通せなかった。」 とあり、この岩に鎖がついています。四国の霊場の厳かな雰囲気がこの小説の背景になっているのですが、霧がかかりやすいのか、私が登ったときは山頂は晴れでしたが谷は曇っていました。その雲に 人がいるので驚くと、太陽が自分の体を斜め100~200メートル下の雲に映しているんです。面白くて手を上げたり輪にして楽しみました。たぶん一生に一度のブロッケン現象。
夏目漱石は(97)阿蘇山、新潮文庫「二百十日・野分」 「非常に黒いものが降ってくる。君あたまが大変だ。」火山灰が降ってきたんでしょう。 私も登山禁止の時熊本出身の早大生と登って全身灰だらけになりました。ロープウェイが落っこちてぐしゃりと潰れていました。登っているのはその二人だけでした。怖(こわ)
林芙美子は(100)宮之浦岳 新潮文庫「浮雲」では明るい南国仏印から雨の屋久島へ向かいます。「この八重岳の山容は、仏印のアンコールトムのバイヨンに似ている」と、 アンコール遺跡に樹木が覆う様子が繁盛する屋久杉のようと表現しています。陽光=快活、雨=消沈は「風琴と魚の町」同様芙美子得意のパターン。 私の登ったことがありますが、同行が怪我して早く登ったので記憶があまりないのです。頂上では昭文社の山と高原地図「屋久島」を持っている人がざっと150人いたのが驚きでした。
数字は深田久弥「日本百名山」の掲載順の番号です。書いてるときりがないし、新書を棚に入れなければならないので、今日はここまで。








