【 新渡戸稲造って、だれ? 】

―新渡戸稲造の全貌を明らかにする『全集』―

 財布からお札を取り出すと、三人の肖像画にお目にかかることになる。言うまでもなく、1万円札の福澤諭吉、5千円札の新渡戸稲造、千円札の夏目漱石である。

福澤諭吉といえば、『学問のすすめ』や、慶應義塾大学を思い浮かべる人は多いだろう。夏目漱石といえば、読んだことはなくても、『我輩は猫である』という小説の名前くらい知らない人も珍しい。

ところが、新渡戸稲造ってだれ?と聞かれて、即座に答えられる人はどれだけいるだろうか。では、どうして、みんなが知らないこの人がお札の肖像画になったのか?

 実際、新渡戸稲造ってだれ?と聞かれて、政治家でしょ?とか、学者でしょ?とか、一言で答えるのは、そもそも難しい。 その働きが多岐にわたっていて、それぞれに大きな足跡を残した。そして、何よりもこの人の与えた人格の影響力がどんなに大きく、深いものであったか、 知れば知るほど感銘深い、そんな人物なのである。

 新渡戸は、まず農業学・農業経済学者として出発した。北海道大学の前身である札幌農学校の草創期の卒業生である(1881年)。あの、「少年よ、大志を抱け」で有名なクラーク博士の学校である。

その後アメリカ・ドイツ留学を経て同校の教授となったが、病気のため数年で辞任。静養先のアメリカで書いたのが、当時のルーズベルト大統領やエジソンが愛読したという『武士道』である(1900年)。 英語で書かれたこの本はたちまち世界の各国で翻訳されベストセラーになった。

 招かれて台湾に渡り、台湾の製糖産業の基礎を築くが、やがて京都大学の教授を経て、当時の第一高等学校校長(1906年)、東京大学教授に迎え入れられる。 その時、学生として育てられたのが、後の東大総長になる矢内原忠雄や南原繁といった人たちである。 矢内原は、「内村鑑三から神を、新渡戸稲造から人を学んだ」と言っているが、これは至言であろう。

 東大の教授を辞したあと、欧米に旅行中、請われて、発足したばかりの国際連盟事務次長に就任する(1920年)。これはかつての学友、ウィルソン米大統領の推薦によるところが大きいと言われる。

しかもこの在任中、キューリー夫人やアインシュタインといった錚々たる頭脳を集めて、ユネスコの前身「知的協力委員会」を立ち上げる。 そればかりか、大国の狭間にあって政治的運命が左右されやすい地域紛争の国際解決にも尽力して、今なおその功績が覚えられている。オーランド諸島の新渡戸裁定である。

 日本に戻ると、軍部の台頭で満州事変が勃発するなど、雲行きの怪しくなってきた日米関係を何とか修復しようと、努力を重ねる。 アメリカへ講演旅行まで企て、一年間に100回の講義・講演をする(1932〜33年)。まさにこれは、新渡戸稲造の終生変わらぬ大志、「われ、太平洋のかけ橋とならん」の実践であった。

 これだけでも大変な人物であるのに、それにとどまらない。東京女子大学、女子経済専門学校(現東京文化学園)の初代学長を務めたのみならず、津田梅子(津田塾大学)、河井道(恵泉女学園)などを支援、女子教育に力を注いだ。 また、実業之日本社顧問、英文大阪毎日などのコラムニストとして健筆を振るったのだから、すごい。その著書は100版を越えたものもある。

 農学者・教育者・国際政治家・女子教育者・ジャーナリスト、近代日本を形成した重要なファクターのどれをとっても新渡戸稲造の足跡を辿ることが出来る。

 今回の全集は、この新渡戸稲造の全貌を明らかにする唯一の資料なのである。

(教文館出版部長 渡部 満)

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