ウェンライトホール(貸しホール)

wainright_logo 教文館は1885年(明治18年)に創業。一世紀以上にわたって銀座で営業を続けてまいりました。現在の教文館ビルは1933年(昭和8年)に竣工。この建設に大きな貢献を果たしたウェンライト博士(Samuel H. Wainright)を記念、ホール名となりました。

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ホールエントランス
hall01 パーティ形式のレイアウト例

講演会は100名までの座席が可能
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ヤコブセンのANTチェアを使用した配置例
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応接室:講師控え室として 10人程度の小会議等にも使用可能
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展示会使用例 84台のスポットライトと48面のパネルが使用可能
hall06 藤城清治影絵展(2002年10月)での使用例

■お問合せ先:ウェンライトホール事務局  03-3561-0003(電話)  03-3535-3766(FAX)  nagai@kyobunkwan.co.jp(担当者メールアドレス)

【書式ダウンロード】
ウェンライトホール利用申込書

Samuel H. Wainright (1863~1950)米国ミズリー州の医師であったが、明治21年に夫人とともに来日。大分中学校に勤務しつつ伝道に励む。 2年後、神戸に転じ関西学院教授など活動のかたわら、日本の理解に仏教・神道・文学などを研究。関西学院学部長、年会執事、議長など要職を歴任後、帰国(1906年)。大正元年に基督教文学委員会(後の基督教興文協会)主幹として再来日し、東京に在住。その人格・識見により日米平和協会会長などに選任される。関東大震災により建物・図書を失った興文協会は、大正14年に教文館と合併し主幹となる。その後、米国での建築募金活動、国内諸団体との折衝など幾多の困難を経て、昭和8年に教文館ビルの竣工に尽力し、各種キリスト教書籍の普及に貢献した。昭和13年帰国、オークランドの自宅において 87歳で死去。 wainright_pt

rey_pt Antonin A. Raymond (1888~1976)大正8年帝国ホテル設計のためライトに従って来日、翌年に独立して東京女子大学総合計画をはじめ、聖路加国際病院、伊・仏・米の各大使館などを設計した。その他、戦前の代表的建築物には、兵庫県小林聖心女学院(26)、教文館(31)、カトリック軽井沢教会(34)、東京女子大学礼拝堂及び講堂(34)がある。昭和23年再び来日し、リーダーズダイジェスト日本支社、国際基督教大学をはじめ数々の傑作を生み、戦後日本の近代建築の発展に主要な役割を果たした。作品の特徴は、端正な近代建築の中に西欧の古典的教養と丸太や障子など日本的素材が巧みに織り込まれた独特の美しさにある。また吉村順三、前川国男ら日本の代表的建築家を育てた功績も大きい。

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