美術史の中の教文館
【美術史の中の教文館】
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藤田嗣治『大地』 現在の教文館・聖書館ビルは1933年(昭和8年)12月に竣工した。ビルの設計者であるアントニン・レイモンドは、当時日本へのコーヒー普及を積極的に企図していたブラジル政府から、ビル1階に「ブラジルコーヒー宣伝室」を設計するよう委嘱された。 |
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最近日本に帰って銀座聖書館内のブラジル珈琲の宣伝部へアッスムソン氏とブラジル大使館の依頼で、巾十間高さ二間の大壁画を描いた。 ブラジル、リオ・デ・ジャネイロ附近の町から田舎、丘へかけて、コーヒー農園を遠くに描いた。
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![]() ~1F入口ドア近辺から見た「大地」~ 「ブラジルコーヒー」1階の周囲半分を埋め尽くした「大地」は、入口(現在の和光)のドアと中心部カウンタ後部のドアの2箇所で、出入りのため当時から切られていた。ブラジルに持ち帰られた「大地」は、アッスムソンの自宅に飾るために、藤田の理解を得た上で壁のサイズに合わせて切り取られ、大変残念なことに往時の姿を見ることはすでに適わない。長らくブラジルにあった「大地」は、1971年(昭和46年)にフジタ工業(旧藤田組)が60周年を記念してアッスムソンより買い戻し、30年ぶりに日本の地に還ってきた。2001年9月には名古屋市美術館で一般公開され、現在は広島のウッドワン美術館の所蔵となっている。 「ブラジルコーヒー宣伝部」は、日本国内へのコーヒー(ブラジル産)の宣伝普及が目的であったため、銀座のみにとどまらず、冬はスキー場で、夏は海水浴場で、ブラジルから送られてきた宣伝用の豆を挽いて入れたコーヒーを、美しいマヌカンの手から無料で各地の人々に味わってもらうという、「宣伝キャンペーン」を盛んに行っていた。社員はほぼ全員が日本人で、勤務終了時刻になると、カーテンを引いて社内はダンスパーティ会場に変貌したという。筆者(教文館勤務)は、両親ともにブラジルコーヒーの出身者である。これもまた不思議なつながりであろうか。
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