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内容詳細

なぜ日本は急速に近代化できたのか?

アジアの中でいち早く西洋文明の導入に成功した日本。その推進力となったプロテスタンティズムはどのように受容されたのか? 近代化を担う多くの人材がミッション・スクールによって育成されたにもかかわらず、なぜ日本にキリスト教が広まらないのか? 日本の近代化においてキリスト教が果たした役割を専、門分野を越えた共同研究によって明らかにする。

[目次より]

武士道とプロテスタンティズム(古屋安雄)/ 武士道と日本の近代化(笠谷和比古)/ 日本の近代化と静岡(佐野真由子) / 明治末期におけるキリスト教信仰と人格の確立(魚住孝至)/ 肉体の肯定(植木 献)/ 漱石とキリスト教(仲 秀和)/ 明治の知識層における漢学不可廃論の諸相(竹村英二)/ キリスト教の「実生化」(長谷川〔間瀬〕恵美)/ 『婦人之友』と友の会活動(森田登代子)/ 近代日本のキリスト教主義女学校と精神修養(小林善帆)/ 近代化過程のブラジル社会における日系人の教育と宗教(西井麻美)/ 日本的プロテスタンティズムとブラジル移民(根川幸男)/ アフリカの「エデン」、タンザニアからの日本近代再考(上村敏文)/ 現代物理学と宗教の〈はざま〉で(佐治晴夫)

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書評

多様な論点を含み持つ刺激的な書!

間瀬啓允

 今なぜ「日本の近代化とプロテスタンティズム」なのか。この大きなテーマのもとで、一体、何がどのように問われ、論じられているのか。読者には、ふつふつと興味が湧き出てくる。

 はじめの「武士道とプロテスタンティズム」の章には、日本の近代化に貢献したプロテスタンティズムが、その入信者の数において武士階級の子弟が多かったことから、その貢献においてプラス・マイナスの「両義性」を擁してしまったこと(古屋安雄)、さらに日本の経済的近代化には、信義・信用の徳義という武士道の精神が、武士のみならず庶民にも受容されていたこと(笠谷和比古)が、説得的に論じられている。

 次の「明治知識人とプロテスタンティズム」の章には、日本の近代化に果したプロテスタンティズムの役割を明快に論じた五つの論稿が収められている。佐野真由子は、徳川開明派の終焉と「静岡」の位置付けに触れて、「静岡」は安政の開明派幕臣たちが動かした日本の近代化路線の「死に場所」ではなかったか? と問題提起をして、読者の興味を謳狽ォ立てる。魚住孝至は、明治末期に生きた魚住影雄がキリスト教信仰と人格についてどのように考え、国家主義の強まる社会にいかに対処したかを論じ、近代的な人の精神にプロテスタンティズムがどのように影響を及ぼしたか?を読者に考えさせる。植木献は、柏木義円の言動と思想を結びつける接点が、彼の「肉体」肯定の議論にあったことを明確にし、その視座がキリストの体に連なる聖化をもってキリスト教の土着化を目指したところにあるという。ならば、この「肉体」がキリスト教の土着化の具体例であるとはどういうことか? と新たな興味を読者に呼び覚ます。仲秀和の「漱石とキリスト教」、近代知性の基盤と漢学の学問的方法を論じた竹村英二の論稿も読み応えがある。

 続く「キリスト教文化とその受容」の章には、異文化におけるキリスト教受容の実態を、長崎県平戸島の「根獅子キリシタン」とキリシタン末裔の集落である大阪府茨木市千堤寺を事例として、「実生化」という概念のもと柔軟に論じた論稿(長谷川[間瀬]恵美)、女性の視点からみたキリスト教の受容の仕方を、羽仁もと子が発刊した『婦人之友』と「友の会」活動を事例として明快に論じた論稿(森田登代子)、近代日本の女子教育を担ったキリスト教主義女学校が、欧米の作法よりも、日本の伝統的文化である生け花、茶の湯、礼儀作法を教えたという経緯を、明治の初期から今日に続く五つのキリスト教主義女学校を事例として詳細に論じた論稿(小林善帆)が収められている。いずれも豊富な資料に基づいており、啓発的である。

 さらに続く章には、日本の近代化に大きな足跡を残したプロテスタンティズムが、なぜ日本には量的に根付かなかったのか? ということの比較考証として、「近代化過程のブラジル社会における日系人の教育と宗教」(西井麻美)、「日本的プロテスタンティズムとブラジル移民」(根川幸男)、「アフリカの『エデン』、タンザニアからの日本近代再考」(上村敏文)の三つの論稿が収められている。どの論稿も綿密な実地調査のもと地球の裏側の「日本社会」を彷彿させる。

 おわりの「科学と宗教」の章には、今日のプロテスタンティズムに残された課題を、「現代物理学と宗教の〈はざま〉で」思索した明解な論稿(佐治晴夫)が収められている。そこには「科学の中の宗教性」と「宗教の中の科学性」が比較考量され、科学的知見と宗教的感情の歩み寄りの可能性が示唆されて、課題としての宗教多元主義に一つの突破口が求められている。

 ちなみに言えば、本書はあしかけ二年にわたり、京都の国際日本文化研究センターにおいて行なわれた学際的共同研究の成果である。多様な論点を含み持つ本書に、読者は間違いなく、知的にも情的にも十分な満足と興奮を覚えるだろう。

(ませ・ひろまさ=慶應義塾大学名誉教授)

『本のひろば』〈2013年7月号〉より