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内容詳細

キリスト教信仰の源泉への道案内!

なぜ教会の形成期にキリスト教的思考は人々を強く惹きつけたのか? オリゲネス、アウグスティヌス、証聖者マクシモスら数々の思想家の考えを紹介し、古代キリスト教思想のエッセンスを平易に説く。キリスト教詩やイコンなど、当時の宗教生活の実践にも言及。

[目次より]

第1章 キリストの十字架に基を定めて/ 第2章 畏怖に満ちた血のない犠牲/ 第3章 この世での神の御顔/ 第4章 つねに御顔を求めよ/ 第5章 わたしの意志ではなく、あなたの意志のままに/ 第6章 終わりははじまりのなかに与えられている/ 第7章 信仰の合理性/ 第8章 主が神である人びとは幸い/ 第9章 キリストの栄光に満ちた業/ 第10章 これを別ものにして/ 第11章 神に似ること/ 第12章 情動的知性による認識

 

  ◆著者紹介

R. L. ウィルケン(Robert Louis Wilken)

1936年生まれ。1963年シカゴ大学より博士号を取得。フォーダム大学助教授、ノートル・ダム大学準教授ならびに同大学神学部教授などを経て、現在ヴァージニア大学名誉教授。 著書多数。『ローマ人が見たキリスト教』(The Christians as the Romans Saw Them)が邦訳されている(ヨルダン社、1987年)。

 

◆訳者紹介

土井健司(どい・けんじ)

1962年生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程宗教学(キリスト教学)専攻退学。文学博士(京都大学)、神学博士(関西学院大学)。現在、関西学院大学神学部教授。 著書 『神認識とエペクタシス』(創文社、1998年、第7回中村元賞受賞)、『キリスト教を問いなおす』 (ちくま新書、2003年)、『愛と意志と生成の神』(教文館、2005年)、『キリスト教は戦争好きか』(朝日選書、2012年)など。 訳書 Ch.マルクシース『天を仰ぎ、地を歩む』(2003年)『グノーシス』(2009年、以上ともに教文館より刊行)、など。  

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書評

キリスト教思想の諸相をテーマごとに論じる

鈴木 浩

 土井健司氏が訳された本書は、実に魅力に溢れた著作である。
 キリスト教は五世紀頃までに、(例えば三段階職制や単独司教制などのように)教会の組織面でも、(三位一体論やキリスト論などのように)教理面でもほぼ形を整えてくるが、この時代に活躍した教父たちと彼らが形成していったキリスト教思想の諸相が、テーマごとに論じられている。
 本書は、教会史でもないし、教理史でもないし、教父学概説でもないし、キリスト教思想史ですらない。著者自身が「序文」で語っているように、本書は「(キリスト教思想に特徴的な)教説がどのようにして生まれ発展したのかを描くことよりも、むしろどのようにしてキリスト教の知的伝統が存在するようになったのか」(七─八頁)を論じた著作である。教会史、教理史、教父、キリスト教思想史を扱った著作は数多くあるが、本書のようなスタイルの著作は少し珍しい。それに、一般の読者を対象に書かれているので、専門的な突っ込んだ議論には入っていないが、要点は的確に描写されていて分かり易い。
 本書は、著者自身の説明によれば、「最初の三つの章は基礎を取りあつか」い、「つづく三つの章ではキリスト教の教理をあつか」い(三位一体論、キリストの働き、世界と人間の創造)、「次に来るのは信仰者を取り上げる二つの章」であり(信仰、教会)、「第9章と第10章は物事をあつかう」(キリスト教詩、イコン)。次いで「倫理的生活」を論じた第11章、「霊的生活」を扱う第12章が続き、最後に総括的な「エピローグ」で締め括られる。
 初代教会とか古代教会と呼ばれる時期は、総じて五世紀頃までに該当するが、本書には、その時代をはみ出た教父たちにも言及されている。グレゴリウス大教皇(六〇四年没)、証聖者マクシモス(六六二年没)、ダマスコのヨアンネス(七四九年頃没)である。
 初代教会を論じた著作、それも西方的伝統に立つ著者による著作の場合には、アウグスティヌス(四三〇年没)に関する言及が圧倒的に多くなるが、本書でもそれは同じで、西方教会の知的伝統の中でアウグスティヌスが残した巨大な足跡が随所に示されている。西方がアウグスティヌスの圧倒的影響力のもとでその後の知的伝統を形成したのに対して、東方は事実上アウグスティヌス的伝統とは無関係にその後の伝統を形成していった。その意味で、本書にビザンティン神学を代表する二人の神学者、証聖者マクシモスとダマスコのヨアンネスが取り上げられているのは、好感が持てる。
 マクシモスは第5章「わたしの意志ではなく、あなたの意志のままに」の中で論じられ、ビザンティン皇帝が分離していた単性論派を帝国教会に取り込むいわば最後の秘策として押し付けた「単意論」に反対して、カルケドン正統主義をほとんど独力で守りきって殉教したマクシモスの論拠が描かれていく。
 ヨアンネスはイコン破壊論争を取り上げた第10章「これを別ものにして」に登場し、イコン擁護に関連してストゥディオスのテオドロス(八二六年没)にも言及されている。ヨアンネスは「イスラーム世界におけるキリスト教の修道士」(二三四頁)と呼ばれているが、皇帝主導のイコン破壊運動による迫害の及ばない地にあって、イコン擁護の論文を書き続けた。
 ついでながら、マクシモスの著作の日本語訳は『フィロカリア』第三巻(新世社、二〇〇六年)に「愛についての四百の断章」と「神学と受肉の摂理とについて」が、第四巻(同、二〇一〇年)に「主の祈りについての講解」が谷隆一郎氏の翻訳で掲載されており、ダマスコのヨアンネスの「知識の泉」は『中世思想原典集成』第三巻『後期ギリシア教父・ビザンティン思想』(平凡社、一九九四年)の中に、小高毅氏による抄訳で掲載されている。
 本書は、「この人びとは、今日でもわれわれの教師なのである」という言葉で締め括られている。まったく同感である。

(すずき・ひろし=ルーテル学院大学キリスト教学科教授)

『本のひろば』(2014年12月号)より