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内容詳細

人物でたどる神学史2000年

多彩にして曲折に富む2000年の神学史の中で、特に異彩を放つ古典的代表者を精選し、彼らの生涯・著作・影響を通して神学の争点と全体像を描き出す野心的試み。正統と異端が織り成すダイナミズムによって生まれた神学の魅力と核心を、第一級の研究者が描き出す。上巻では古代から宗教改革期に活躍した16名の神学者を紹介する。 【本書で取り上げられている神学者】 マルキオン カルタゴのテルトゥリアヌス オリゲネス ニュッサのグレゴリオス アウグスティヌス カンタベリーのアンセルムス クレルヴォーのベルナール トマス・アクィナス マイスター・エックハルト ヨハネス・ドゥンス・スコトゥス オッカムのウィリアム グレゴリオス・パラマス ジョン・ウィクリフ マルティン・ルター ジャン・カルヴァン ロベルト・ベラルミーノ

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書評

人物でたどる神学史二〇〇〇年

水垣 渉

 A・E・マクグラスは『キリスト教の将来』(本多峰子訳、教文館刊、二〇〇二年)で、現代の西洋のキリスト教が学会(学究的神学)と教会(信者の実生活)との二つの世界に分離してしまっていることを痛烈に批判している。この現実を多かれ少なかれ経験しているであろう日本の読者が、本書の書名を目にし、手にとって頁をめくってみて、これがドイツの学問的神学の代表的研究者による神学の歴史を内容にしていると知ったら、読もうとか買おうとかいう意欲をはじめからそがれてしまうかもしれない。しかし待ってほしい。これは実に魅力的な書物なのだから。
 確かに本書は現代の最高水準の研究に立った過去の神学者の紹介である。二世紀から一七世紀初めまでの一六人の神学者の一人一人についてドイツの専門の研究者が、生涯、著作(神学)、影響の三面から最新の研究成果を簡潔に紹介している。本書によって、新しい知識が得られるだけでなく、キリスト教について新たに考え直すきっかけも与えられるかもしれない。主要神学者を手掛かりにして「彼らが我々に働きかける現在的な力をひしひしと感じ受け止め、その力の源を自らのうちに見出し、我々なりに出立することが、我々のなすべきことであることをあらためて思う」と監訳者が「あとがき」で述べている通りである。その意味で本書は、現代の神学者が過去の神学者と格闘して発見した貴重な「力の源」を提示するものであって、これは、 「教会」とは無関係の「学会」の暇仕事ではない。
 本書が取り上げる一六人の神学者のうち、五人は古代に属し、八人は中世に属する。残る三人が一六世紀に活躍した人々である。その中でプロテスタントの読者にとってあまり耳慣れない名前は、一四世紀のギリシア教会の神学者グレゴリオス・パラマスと宗教改革後のカトリック神学者ロベルト・ベラルミーノの二人であろう。しかし彼らの霊性に基づいた神学が現代の私たちに語りかける力は大きい。
 古代の最後のアウグスティヌスから中世の初めのカンタベリーのアンセルムスまでの約六〇〇年間は、誰も採られていない空白期間になっている。しかし空白は単なる欠如ではない。古代の教父、とくにアウグスティヌスの影響はその底流に働き続け、中世のみならず宗教改革の神学にも根本的な力の源になったことが本書の叙述から分かる。本書で取り上げられている主要神学者の特徴は、現代にいたるまでの影響力の大きさにある。編者グラーフ教授の人選の一つの基準になったのもその点であった。勿論影響はよい意味でも悪い意味でも言われる。本書はそのことを公平に叙述している。
 本書が扱う時代は、学会と教会との分離や対立がまだなかった時代であり、古代では大学の神学部や神学校もなく、そもそも神学というような学問も成り立っていなかった時代であった。「神学者」は自分と教会の信仰をめぐって苦闘しなければならなかった時代であった。したがって、その時代の主要神学者は信者一般の代表者であったとみなしてよい面がある。とくに信仰と神学と霊性とが結びついていた点でそうである。本書を読んで得られる益はそこにもある。なお本書の奇妙というべき魅力は、原著からして副題が「テルトゥリアヌスからカルヴァンまで」と題されているにもかかわらず、実際の叙述は、テルトゥリアヌスの前のマルキオンに始まり、カルヴァンのあとのベラルミーノで終わっているという、不一致にも感じられるかもしれない。その理由は、私にはわからない。しかしキリスト教神学の古典的代表者の最初をマルキオンに認めるのは大胆な試みであり、それが本書の目玉でもあろう。

(みずがき・わたる=京都大学名誉教授)

『本のひろば』(2015年1月号)より