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内容詳細

欧米の福祉思想の源流は、古代ユダヤ社会で形成された〈慈善〉にあった。貧困者の救済、病者・障害者への処遇、女性の社会活動などに見られるその実態と特質はいかなるものであったのか? 聖書やミシュナ、タルムードなど原典を渉猟し、ユダヤ教と原始キリスト教における慈善の制度・実践を各論的に考察する先駆的研究!

 

【目次】

第1章 研究序説
第2章 ユダヤ慈善における「施し」とその用語
第3章 初期ユダヤ教の貧困者救済制度
第4章 古代ユダヤ社会における病者と障害者
第5章 古代シナゴーグにおける女性指導者
第6章 女性ディアコノスと女性の礼拝
補遺  落穂拾いと福祉文化

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書評

福祉と信仰の架橋として

 

中村信博

 

 本書は社会福祉学の博士論文(首都大学東京)にもとづいている。ただそれを知らなければ、むしろ古代ユダヤ社会史か思想史の研究書かと錯覚してしまうかもしれない。それほどに、本書は社会福祉の思想的源流を古代ユダヤにこだわって論じている。その構想は、大胆で意表をついている。事実、この視点からの先行研究は稀少である。だが、欧米における福祉思想の中心となる「施し」は、古代ユダヤで形成された「慈善」を足がかりにして成立したものであった。本書によって、この図式が了解されれば、福祉学本来の地平にあえて留まって、骨太に論じようとする著者の意図も酌み取ることができるだろう。
 ここで本書を借りて、「施し」(第二章)の起源について、若干の確認をしておきたい。本来、古代ユダヤにおける「慈善」の思想は、社会正義の応用として発展を遂げたものであった。ヘブライ語のツェダカーは「義、正義、慈悲、慈善、施し」など多様な意味を有する。トーラーの「施し」は、生活困窮者に対する隣人愛の要請であったが、ミシュナ、タルムードに至って、「義」は神の属性とされ、「施し」はその表明手段とされた。いっぽう、七十人訳は、古典ギリシア語には見られなかったエレエモスネー(施し)を訳語に採用し、「義」=「施し」の理解を強化する結果となった。この言語感覚を受け容れたキリスト教においては、やがて「施し」こそが「慈善」の中核と位置づけられるようになったのである。すなわち、「施し」という営為は、ユダヤ的な「義」を根拠としたものから、「愛」に由来するキリスト教独自の「慈善」へと変容したと考えられる。本書は、こうした概念変化の起点を「ユダヤ慈善」と定義することで、福祉思想の出発点を探求しようとした試みである。
 前後するが、本書の構成を略述したい。まず、「序」と「研究序説」(第一章)においては、先行する研究が紹介され、ユダヤ教が古代から近現代まで概観されている。「ユダヤ慈善における『施し』とその用語」(第二章)については前段で述べたが、関連する語義やその使用についても丁寧に分析されている。つづいて、「初期ユダヤ教の貧困者救済制度」(第三章)について、タルムードの「ペアー篇」を中心に考察が加えられている。「ペアー篇」は最低限の食生活を保障するための福祉法としての性格をもつ。ここでは、「義」と「施し」との関係が、思想的・教義的背景と実践的な規定・制度の関係によって明らかにされている。著者の宗教規定への関心はさらに「古代ユダヤ社会における病者と障害者」(第四章)へと引き継がれ、罪概念と病者、また障害者がどのような位置関係にあり、どのように処遇されたのかが論じられている。
 最後の二章は、ユダヤ教とキリスト教における女性の活動を扱っている。「古代シナゴーグにおける女性指導者」(第五章)では、ユダヤ教指導者としての女性が確認されると報告されているが、「女性ディアコノスと女性の礼拝」(第六章)では、キリスト教では同様の活躍が確認できないことが報告されている。しかし、「静」に象徴される礼拝と女性観が支配するなかにあって、むしろ、「施し」の担い手としての女性の役割は期待されていた。近代の市民社会において、医療・福祉事業と教会とを繫いだのはこの女性たちであった。補遺として編まれた「落ち穂拾いと福祉文化」は、ユダヤ的「施し」の伝統を継承したフランス農村社会についての多角的な分析である。補遺とはいえ、福祉の社会的機能を古代ユダヤとの関係で歴史的な視点から迫った貴重な論考である。
 著者の壮大な構想が机上のものでないことは、牧師、社会福祉施設職員、大学教員という経歴を拝見することで得心されよう。現場と理論の相互検証を課題とされた著者ゆえの大きな業績というべきであろう。方法と手続きも適切に説明され、論理も明解で、関連諸分野の初学者から専門家に至るまで、広く歓迎されるべき好著である。「ユダヤ慈善」によって、福祉と信仰とが架橋され、あるべき福祉社会を見据えて本格的な議論が起こることを著者とともに期待したい。


(なかむら・のぶひろ=同志社女子大学教授)

 

『本のひろば』(2015年5月号)より