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内容詳細

今を生きるあなたに贈る聖書のメッセージ

私たちの最も深い暗闇にまで、十字架の主は光を携えて来てくださる──。著者が松山番町教会で語った創世記、ヨハネ福音書、コリント書、それに教会暦による説教から精選した27編を収録。

「キリストが十字架にかかった時に、全地は真っ暗になったと福音書に記されています。……罪が勝利したかに見えた暗闇の中から、神の子であるイエス・キリストは、その罪を背負い、自ら犠牲を払って光を創造されたのです。だから私たちは光の子どもです。赦されて、光の中を生かされている。十字架もまた神の創造の御業なのであります。」 (「天地創造」より)

【目次】

I

 天地創造(創世記1章1─5節)
万物の創造、人の創造(創世記1章1─13節)
安息からの出発(創世記2章1─9節)
ふさわしい助け手(創世記2章15─25節)
誘惑の木、命の木(創世記3章1─7節)
あなたはどこにいるのか(創世記3章8─19節)
カインとアベル(創世記4章1─16節)
復讐する男(創世記4章17─26節)
神と共に歩んだ(創世記5章1─32節)
洪水を生きる(創世記7章1─24節)
呪いなき大地(創世記8章1─22節)
虹の約束(創世記9章1─17節)
バベルの塔(創世記11章1─9節)

II

水を運ぶという人生(ヨハネ福音書2章1─12節)
だれのせいでこうなったか(ヨハネ福音書9章1─12節)
この病気は死で終わらず(ヨハネ福音書11章1─16節)
死に憤り、涙する人(ヨハネ福音書11章17─37節)
夜明けの岸辺(ヨハネ福音書21章1─14節)

III

宣教という愚かな手段(第一コリント書1章18─25節)
主の裁きの日を望み(第一コリント書4章3─5節)
日々死に、日々生きる(第一コリント書15章29─34節)
苦難と慰め(第二コリント書1章1─11節)
赦す。サタンにつけ込まれないため(第二コリント書2章5─17節)
打ち倒されても滅ぼされない(第二コリント書4章7─15節)

IV

クリスマス説教
献げるクリスマス(マタイ福音書2章1─12節)
イースター説教
起き上がりなさい(ヨハネ福音書5章1─9節)
ペンテコステ説教
霊がうめき祈る(ローマ書8章26─30節)

あとがき

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書評

神の痛みに裏付けられた十字架の福音

広田叔弘

 本書は四部構成になっています。第一部は創世記。一章から一一章までの原初の物語を説き明かしています。第二部はヨハネによる福音書。第三部はコリントの信徒への手紙一と二。そして最後の第四部はクリスマス、イースター、ペンテコステ、それぞれの礼拝で語られた説教が収められています。
 私は目次を見たときに驚きました。創世記、ヨハネによる福音書、コリントの信徒への手紙一、二。これらはいずれも、説教をする者にとって魅力的であり、同時に、容易には近づくことができないものです。登山にたとえれば、剣岳というところでしょうか。魅力的で危険なのです。創世記には堕罪の記事が記されています。ここをどう説き明かすかで説教者の罪理解が分かります。ひいては、神と人間をどのように理解し、福音をどう信じているかが分かる。語ることによって自分自身が厳しく試されるのです。ヨハネに至っては、地べたに額をこすりつけるようにして悔い改めなければ、何ひとつ語ってはくれません。ヨハネのメッセージを現代の言葉にすることは、とても難しいのです。「あとがき」には次のように書いてあります。
 「本書は、三一年間(一九八一年四月~二〇一二年三月)牧会させていただいた松山番町教会での終わりの数年に語った説教を集めたものです」(二五三頁)。
 伝道者は福音を語ることによって生きる者です。それはただちに、心血を注いで教会を生かそうとする営みです。三一年をひとつの教会にささげて、その終わりの日々に語られた説教。創世記、ヨハネ、コリントと続く意味が、分かる気がしました。この説教集は、ひとりの伝道者が生涯をかけて指し示した福音の証しです。これまでの信仰と奉仕が集約された渾身の一冊、と言えるものです。
 創世記からエノクを説き明かして次のように語っています。
 「彼が神と一緒に歩いたということによって、彼の人生に全部に意味が生まれるし、彼の人生すべてが意味あるものとして成り立つ。(中略)弱い人間が神と共に歩いて、神と一緒に歩いたところに、彼の道ができる」(九一~九二頁)。
 著者は人間を評価しません。神と共に歩むところに、人間の生きる意味が生まれると言います。このように深い人間理解を持つ著者は、罪に対しては厳しい姿勢を持っています。本書の表題になっている「虹の約束」の中で次のように語ります。
 「すべての罪は密かに行われるのですが、人間の罪の中で、無害な罪というのはないのです。だれにも迷惑をかけない、だれも傷つけない罪なんて一つもありません。罪は必ずどこかで人を傷つけることになり、そして、どこかで人の血を流すという形で現れる」(一一九頁)。
 人間の現実です。そしてこのような私たちに対する救いが、主キリストの十字架の死です。
 「そこには、神の痛みがある。神の恵みの背後には、神が私たちのために苦しみを担ってくださったということがあるのです。それが、神の恵みだということを、私たちは信じるのです」(一二三~一二四頁)。
 人間の苦悩の原因を罪に認め、そこからの救いをキリストの贖罪に置きます。そして御子の十字架の死を支えるものは、神の痛みであると言う。ここに、著者の明確な福音理解があると言えるでしょう。私たちはキリストの血によって罪を赦され、神の愛に出会うのです。それは、痛みを負って人を愛する神と出会うということです。ヨハネが愛を語り、パウロが義を語るように、著者は神の痛みに裏付けられた十字架の福音を語り続けます。
 巻頭の扉にはオリーブのイラストがあります。ノアが放った鳩を連想させます。著者は希望を抱いている。主キリストによって、人ひとりが救われる恵みを願っている。そのためにこそ、説教集『虹の約束』は世に送り出されるのでしょう。

 

(ひろた・よしひろ=日本基督教団梅ヶ丘教会牧師)

 

『本のひろば』(2015年5月号)より