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内容詳細

ナチの迫害の下、愛する妻と娘と共に自死へと追い込まれた詩人が放つ静謐な祈りの世界。十字架を見つめ、神にすべてを委ねたクレッパーの祈りと、神の創造の神秘を写す森本二太郞の写真とが響き合う。

好評であった『キリエ──宗教詩集』から優れた詩9篇を精選し、森本二太郞氏の写真と組み合わせました。
プレゼントとしても最適です。

 

【あとがき】

『キリエ』は神が与える創造の神秘へと読者の目を向けさせる詩集です。その詩の葉から零れ落ちる水滴に私たちは喉を潤しながら、やがて大きな木の緑陰にやすらうように導かれます。この巨樹は神の玉座から流れ出る川辺に植えられた生命の樹であり、また「十字架の柱」として永遠に生い茂る糸杉でもあるのです。その木陰では鳩の羽ばたきが微かに聞こえるかもしれません。聖降誕の闇の中で、森本さんの撮られた映像の助けによって、聖書に顕された真理の言葉について語る詩人の静かな声に耳を傾け、飼葉桶から発せられる輝きに改めて思いを寄せていただきたいと思います。

富田恵美子・ドロテア&裕

心の深みから発せられる信仰の詩に写真を添える難しさ、この度も身にしみて感じております。 ただただ、燈火を載せる燭台のように、写真をおけたらいい。それも、自体が存在を主張する「工芸品」ではなく、ひたすらに単純な器具として。
上に載った詩の灯が、少しでも安定してその確かな光をともし続けられるお手伝いができたら、と願いながら。

森本二太郎 

 

❖ヨッヘン・クレッパー 1903年、シレジア地方のボイテン・アン・デア・オーダー生まれ。1942年、ベルリンで自死。詩人、小説家。
❖富田恵美子・ドロテア 1960年、ヴィーン生まれ。ドイツ文学研究者。専門分野は現代キリスト教文学。
❖富田 裕 1960年、東京生まれ。ドイツ文学研究者。専門分野はドイツを中心とするヨーロッパのキリスト教神秘思想。
❖森本二太郞 1941年生まれ。国際基督教大学卒業。敬和学園高校教諭を経て、現在フリーの写真家。

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書評

十字架を見つめ、神にすべてを委ねる祈りの世界

川﨑公平

 五年前に教文館から刊行された『キリエ――宗教詩集』が世に出て以来、私の周辺でもクレッパーのことがしばしば話題になった。それまで、日本ではほとんど無名の詩人だったのではないか。それがこのたび、新しい装いで再び紹介された。全訳版から九篇を抜粋し、それに森本二太郎氏の写真を添えたものである。この五年の間にクレッパーの詩が多くの人に喜んで受け入れられたことを意味すると思う。

 すばらしいのひと言に尽きる。実際に朗読し、これを祈りの生活の中に取り入れてみるとよいと思う。翻訳もすぐれている。ドイツ生まれであり、クレッパーの研究により博士号を得ている妻が、ドイツ文学者の夫の助けを得てなされた翻訳であるから、これ以上のものを求めるのは不可能かもしれない。

 クレッパーの生涯については、全訳版の「あとがき」からも知ることができる。それと合わせてお勧めしたい文章は、宮田光雄著『いのちの証人たち──芸術と信仰』(岩波書店、一九九四年)所収の「みつばさの陰に」である(同じ文章が、同氏の著作集の最終巻の最終章にも収められている)。一九〇三年に牧師の子として生まれ、自身も牧師の道を志したが、それを断念して作家、詩人として名を高めた人である。しかし、ユダヤ人の妻を持つという理由で、ヒトラー政権のもと、職を奪われるなどさまざまな不自由を強いられた。ユダヤ人に対する迫害が厳しくなるなか、妻と次女は国外に逃亡する時機を逸し、そのうちに強制収容所に送られる危険が迫ってきた。そして遂に自宅で家族と共に自殺しなければならなかったのである。

 この決断について、クレッパー自身が日記にこう書いている。「自殺の罪だけは、神の赦しの外に置かれるのだろうか」。「私たちの頭上には、祝福のキリスト像が立っている。この方のまなざしの中で、私たちは死ぬ」。自分のいのちも、家族のいのちも、それどころか自分の罪さえも、神の恵みの中にゆだねきる信仰、それがひとつひとつの作品からも滲み出ている。

 「夕べの歌」という、詩編第四篇九節に基づく歌がある。

  主よ、あなたに守られて身を横たえ、

  わたしは平安のうちに眠りにつく。

  御腕に休らう者にこそ/まことの安息が与えられる。

  いつも目覚め、助け癒すのは、/主よ、あなただけ。

  闇夜の陰が/わたしの心を不意に怯えさせるときも。

 主なる神に対する信頼の歌が、実に明るい言葉で歌い上げられている。しかもその行間には、ヒトラーの支配に抗する信仰の戦いの厳しさをも読み取ることができる。けれども、肩肘を張るようなところはどこにもない。ただ主の憐れみにすがるのみ。「キリエ」(ギリシア語で「主よ」)という言葉が既に、「主よ、憐れんでください」という祈りを思い起こさせるものである。それが、クレッパーの祈りのこころそのものであったと思う。

 五年前の全訳版を読めば明らかであるが、これらの歌はすべて聖書の言葉に基礎づけられたものである。その聖書の引用が、今回の版ではすべて省略された。クレッパーの歌そのものが聖書の言葉を豊かに響かせているので、そんなことにこだわる必要はないのかもしれない。たとえばせめて、巻末にそれぞれの歌の背後にある聖書の箇所を列記すればよかったとも思う。

 もうひとつ私が喜んでいるのは、添えられている写真である。森本氏自身が「あとがき」に書いておられる。「ただただ、燈火を載せる燭台のように、写真をおけたらいい。それも、自体が存在を主張する「工芸品」ではなく、ひたすらに単純な器具として」。「上に載った詩の灯が、少しでも安定してその確かな光をともし続けられるお手伝いができたら、と願いながら」。その願いは、少なくとも私においては見事に実現したと思う。

 クレッパーの祈りのこころが、私たちを生かす力となることを願いながら、本書を心からお勧めしたい。

(かわさき・こうへい=日本基督教団鎌倉雪ノ下教会牧師)

『本のひろば』(2016年6月号)より