マイラブ(←木内さんは激しくご迷惑でしょうが)木内昇(のぼり)さんの
名作『茗荷谷の猫』がこのたびめでたく文庫になりましたーーー!
3年前に平凡社さんから単行本が出たときに「このヒトに一生ついて行こう」(←更に
木内さんにとてつもなくご迷惑。しかし、こういうせりふを今まで男性にいう機会はなく、
このテイタラクである・・・(激汗)と決めた大好きな作品。
時代は江戸末期から高度成長まで。9つの短編からなる連作集です。
それぞれの人のそれぞれの生きざまが「木内昇が今、そこで見て来たような」
臨場感を携えて淡々と描かれています。しかもそれらは鮮やかでありながらも
冷静な薄幕を通して垣間見ているというような、なにかちょっと夢のような気に
もさせられます。
市井の人々が理不尽な状況で真剣に不器用に生きる姿は、やるせなく、哀しい。
でも、その<哀しさ>は、突き抜けてしまった笑いを含むものです。
真っ暗闇じゃない一筋の光をどこに感じるは読み手次第でしょう。
ひとつのことを表現するのに「ああ、こんな言い方もあるんだ」と常に感心させられるくらい、
いろいろな日本語に満ち溢れているのも木内作品の特徴。
奇をてらったものではないことばなのに限りなく新鮮で躍動感があるのです。
トテモ不思議。透き通った出汁なのにコクがあります。
『茗荷谷の猫』にも、大好きなフレーズがいっぱい登場しますが、
特に特に好きなのは 「隠れる」の主人公・耕吉のつぶやきです。
他人と関わりあうのはまっぴらごめん、嫌いで結構好かれちゃ困る、とばかりに
姑息な嫌がらせをする耕吉の意に反して、なぜか「才能あふれる好人物」に
祭り上げられ、事態は思わぬ方向へ進む。
そのときの耕吉のひとこと。
『俺はついに、他人に勇気を与えるような人間に成り下がってしまったのか。』
すごいですよ、これ。
勇気を与えちまったよ・・・と愕然とし、果てしなく落ち込んでしまうんですから。
いや、もう、がつんときましたね。
内臓のもっと奥の奥まで見られちゃったスケルトン状態。
余談ですが、今、木内さんの9月17日発売予定の
『笑い三年、泣き三月』(文藝春秋刊)
をちょいと早めに読んでいます。
これも、どうしていいかわかんないくらいすんごい作品ですーーーーっ!
まさに笑って泣いて読んでる!
激しく良すぎて、困る!乞うご期待!!
『茗荷谷の猫』木内昇(のぼり) 文春文庫(税込み660円)