『最後に、もんっ、と大きく叫んで汽車が止まった。』
こんなに魅力的な書き出しってちょっとずるいデス、木内さん・・・。
最初のこの一行で、目の前に浮かぶのは戦後の東京、埃にまみれた雑踏の上野である。
テレビや映画、本や写真でしか知らない光景なのに、
登場人物が1ページ目から生き生きと鮮やかに動き出す。
敗戦(終戦ぢゃないんだよね・・・)の貧しさ、混乱を色濃く引きずる戦後東京で
芸人として一旗あげようと博多から上京した善造、戦災孤児の武雄。玉砕の戦
地から生還し世の中を斜めにしか見られない光秀。自称元財閥のお嬢様のスト
リッパーふう子。しがないストリップ小屋を経営する、元・映画人の杉浦。戦後鬱
から抜け出せずカメラを諦めつつある大森。
戦争に負ける、ということはこういうことなのだ・・・、とあらためて愕然とさせられた。
生き残ったことは確かに幸運だろうが、しかしそれは犠牲者への耐え難い想いを
引きずり、そして何よりも<今日>という一日を何とか生き延びなければならない
というギリギリの状態を背負うことなのだ。
「いきなり民主とか自己決定って言われても、ちんぷんかんぷんなんですよ。」
光秀いうところの<クソ生意気なガキ>、武雄のこの言葉がすべてを表す戦後日本。
誰もがそう思っていても、その気持ちをどこの誰にぶつけていいものかもわからない。
国民の数だけ矛盾や不満が蔓延しても時は確実に過ぎていく。
しかしそこには過酷な戦時下を生き抜いた人々の、たくましく、図々しく、
そして本人いたってまじめでもコントかと見紛うようなギクシャクした温かさがある。
人間こうでなくちゃあ!と思わず手をたたきたくなる痛快な場面は、まさに木内作品の
背骨なのではないだろうか。
下を向いていた登場人物それぞれが、各々違う方法で顔を上げるように
なっていくさまには読んでいるこちらも泣き笑いだ。元気をもらえた、ともに頑張ろう、
勇気を出して、とかそんなんぢゃない、理屈抜き、押し付けがましさなしの「人間の良さ」なのだ。
読後の充実感は言いようもない。
なんという根の張った力強い書き方なのだろう、と感服せずにはいられない。
日本人だからこその泥臭さや天真爛漫な気質を、丁寧で真摯、
そして愛嬌ある<木内語>で読める幸せをしみじみと感じた。
ああ、よかった、この作品を読める今を生きていて。
あれやこれやあっても、善造のこの口上を真似すれば、すこん、と何かが抜けるかも。
『さぁさ、みなさん。お陽気にまいりましょう~~~。』
「笑い三年、泣き三月。(みつき)」
木内昇(のぼり)著 文藝春秋刊(税込み1680円)