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内容詳細

――人間はなぜ昔話を語り伝えたのか――

スイスにも「なまはげ」とそっくりな風習があるのを知っていますか?

なぜ昔話や民話には、似ているけれども少しずつ違う話がいくつもあるのか。

おどろくほど臨死体験談と昔話の構造が似ているのはなぜか。

昔話を通して、子どもに死を語るのにはどのような意味があるのか。

神と人間、獣と人間の結婚の物語は何を伝えようとしているのか。

たくさんの不思議に彩られた昔話。

哲学や深層心理学を交えて昔話を分析し、日本文化が基層に抱く宇宙像を探る。

 

著者紹介

松居 友(まつい・とも)

1953年東京生まれ。1979年上智大学大学院独文科修士課程修了。ザルツブルグ大学留学。児童図書編集長を経て、北海道へ移住。1998年フィリピン・ミンダナオに渡り、2003年に現地NGO「ミンダナオ子ども図書館」を立ち上げる。2012年マノボ族首長の推薦で、マノボ族の酋長の洗礼を受ける(洗礼名、アオコイ マオンガゴン「心から人を助ける 我らの友」の意)。2012年ミンダナオ子ども図書館の活動により、第3回自由都市・堺平和貢献賞奨励賞を受賞。現在、NGO法人ミンダナオ子ども図書館館長、日本文芸家協会会員。

著書 『わたしの絵本体験』『昔話とこころの自立』『昔話の死と誕生』(教文館)、『火の神の懐にて』『沖縄の宇宙像』(洋泉社)、『サンパギータの白い花』(女子パウロ会)

絵本と児童文学 『シュシナーナとサバリコビレ』『ほのおのとり』(福武書店)、 『おひさまのくにをめざして』(BL出版)、『ふたりだけのキャンプ』(童心社)、『ナディヤと灰色オオカミ』(女子パウロ会)

ミンダナオ子ども図書館(Mindanao Children’s Library Foundation, Inc.)

公式Webサイト http://home.att.ne.jp/grape/MindanaoCL/

 

 

 

 

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書評

「ことば」を信じて、子どもたちとともに生きるために

川中子義勝

 三十年ほど前に刊行した著者三十代の著書の再刊、しかも三冊同時に再刊されるという。「教文館版のあとがき」に、その意図が述べられている。著者は現在、宗教の違いによる戦乱や環境破壊など現実社会のひずみのただ中で、具体的実践を通して、解決の道をたどっている。本の読み聞かせをしながらこどもたちと共同生活をする、その経験を日本の人々に分かつために、かつての理論的出発点を再び刊行するとのこと。
 同時に再刊された『わたしの絵本体験』『昔話とこころの自立』との三部作は、「三位一体」的な働きかけを人間界での受けとめるものとされる。宇宙像、コスモロジーを扱う本著は、その聖霊論に相当することになる。一読して、昔話をよすがとして直感的に摑まれた統一的な世界観を提示する、構成的な書物という印象を受けた。本書のユニークな点は、北海道の地でアイヌのユーカラに取材した昔話を解釈し、古代日本人の宇宙像を解明する点であろう。狩猟採集文化の一元的宇宙像に、農耕牧畜文化への移行に伴い二元論的宇宙像が重なる、それぞれに当てはまる昔話が提示される。射程は日本人の現在を規定する科学技術文化の宇宙像にまで及ぶ。人間の経済生活と文化的生は一体で、宗教もその一要素と見る。その述べ方はマルクス主義や文化人類学の史観に通じるとも言えるが、著者なりの世界観の表明が本書の統一を形作る。人類史の過去を包括し、新世紀へと眼差しを向ける直感的な構想力を感じさせる。
 昔話についての書物は少なくない。研究書だけを見ても、神話や宗教、心理学や文芸学など、様々な視点から述べられてきた。その起源や様式、地理的伝播について、また本書の扱う死と誕生のモチーフや宇宙観についても多くの書物が書かれている。著者が大学で学んだと思われるドイツ語圏の書だけを見ても、ライエン、ヨレス、リューティといった名が浮かんでくる。それらの中に、本書をもまた並べられるだろうが、その際には、本書が研究書の域を超えて、著者の生き方をも導くこととなった、その点が何よりも特筆して評価されるべきであろう。
 再刊は、実践と経験に裏打ちされている。共感の支えもまた働いたことであろう。ミンダナオで続けられる子ども図書館の働きへの信念、またことばや本のちからへの信頼が本書(再刊)の真の主題である。その意味で、第三章に述べられる、昔話体験や想像することの力が、すなわちことばが現実や世界を見る眼を変えることができるという体験の叙述は、評者自身、久しくことばに携わる者として共感を持って読んだ。詩やお話しが、知的に構成された現実に匹敵、いな凌駕することができるか。世界を改変することができるか。もちろん、現実世界を動かす政治などに比べれば力は微少である。しかし、ことばもまた辛子種であり、福音と同じように世界の片隅に光を灯すもの。その光こそがいのちであって、人や世界の痛みを癒しうる。著者の世界観の中心にあるその思想には、評者も共感する。
 現代の世界においては、自然と人間が分離しており、霊と「実存(現実的生の謂か)」もまた分裂している、という著者の問題意識は多くの人が共にする。それが、なぜ、どのように生じたのか、著者は日本人の(さらには人類の)存在論的な系譜として統一的に描き出す。その直感的な把握は見事だが、歴史をたどったことのある人を納得させるにはあまりに素朴な独断と言わざるを得ない箇所もある。農耕牧畜文化への移行による自然の異界化に対応して、ブッダとキリストがともに人格神として登場したとか、西洋の科学技術文化の宇宙像を新プラトン主義やグノーシス、錬金術的神秘主義の系譜のみから説く仕方に、評者はついて行けない。しかし、考えの違いはあっても、ことばの働きに対する著者の信頼と実践に、評者は共感するがゆえに、信じる道をしっかりと歩んでいってくださいと語りたい。その意味で幸いな読書体験を与えてくれる本であった。

(かわなご・よしかつ=東京大学教授、日本詩人クラブ理事長)

『本のひろば』(2014年1月号)より