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内容詳細

聖書の学びと信仰の養いに最適!
教会の必備書としてぜひお勧めください!

● なぜ神はホセアに「淫行の妻と淫行によって生まれた子どもたちを受け入れよ」と命じられたのか? 不実な民に対する神の忠実と愛を示し、イスラエルに対する審判と救済を語ったホセア書。最新の学問的成果を踏まえながら、手堅い翻訳と明快な解説によってその特徴を明らかにする。
● オランダの改革派の伝統に立つ、穏健・堅実な聖書注解。既刊19冊と共に教職と信徒の方々にお勧めください。

[訳者紹介]
池永倫明(いけなが・ともあき)
1937年生まれ。1968年日本基督教会神学校卒。前日本キリスト教会蒲田御園教会牧師。訳書にM. デイクストラ『コンパクト聖書注解 エゼキエル書』(Ⅰ・Ⅱ)、L. ファン・ハルティンクスフェルト『コンパクト聖書注解 ヨハネの黙示録』[以上ともに教文館]ほか。

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書評

神の厳しい裁きと深い愛
 
野木虔一
 
 本書は、同じ「コンパクト聖書注解」と呼ばれているシリーズの『ヨハネの黙示録』や『エゼキエル書』(I・II)の訳者である池永倫明先生によって訳された。その労を多とし、喜びとしたい。
 ホセア書が一─三章、四─一一章、一二─一四章の三つに区分されることには異論はない。ただ一─三章の部分で、本書の一章一─一二節、二章一─二二節と、ヘブライ語本文一章一─九節、二章一─二五節とはズレがある。著者が一―三章の中に、預言者の「裁きの言葉」が度々「救いの預言」に変わることに注目し、神の裁きの判決が神の救いの預言で終わる形をとったからである。しかし、敢えて章節の変更が必要であろうか。
 一─三章で、神の命令を受けたホセアの結婚と三人の子供の誕生や命名という私的生活は、イスラエルの不実の現実と神の裁きや深い愛を象徴的に示している。ホセアの結婚についての議論は多々あるが、本書では現実にホセアが経験した出来事と受けとめている。「再び」淫行を続ける妻を愛し、彼女を請け出せとの神の命令にも従う。そのことは、イスラエルの人々が主なる神を求め、その慈しみに立ち帰る希望を示唆している。
 四章一節から「この地には、誠実さも、慈しみも、神を知ることもない」と告発が始まる。「神を知ることがない」ということが決定的である。救い主である神の意志も戒めも知らない。「主への畏敬」の欠落はまず神礼拝に現われる。ホセアの時代、混淆主義のバアル礼拝が人々の生活の中に深く食い込んでいた。しばしば主なる神を礼拝するという仮面のもとでバアルの神々が崇拝されたと本書は指摘する。告発から見えるホセアの戦いの主たるものはまず「カナンの影響に対する宗教的な戦い」であった。それは礼拝の場所や儀式や形式の問題ではなく、誰を、何のために礼拝するかという内実の問題であった。今日的なコンテキストで見れば、教会で主日毎にささげられている礼拝の質の問題であると思う。
 そうした民に向けてホセアの語る使信の中心は何か。それは一見相反する神の厳しい裁きと深い愛である。本書は「ホセアにとって、民に対する神の勝利してやまぬ愛の使信こそ根源的なものである」(二〇頁)と言う。そのことを見事に表わしているのが一一章八─一一節の注解である。八節の訳をみると「エフライムよ、どうしてわたしがお前を見捨てるだろうか。......わたしのうちでわたしの心は逆転し、わたしの同情は完全に立ち上がった」とある。ここでは民に対する神の思いの逆転が告げられる。民の不忠実と不従順に対する聖なる神の怒りは燃え上がる。神は怒りと愛の間で格闘する。そして、神の愛はご自身の怒りに勝るのである。
 旧約の中で愛について最も深く語るのはホセアであり、神とイスラエルの民との関係において「愛」(ヘセド)という言葉を最初に用いたのもホセアであろう(二・18[21]、四・1、六・4、6、一〇・12、一二・7、但し「慈しみ」と訳されているところが二個所)。また、彼がこの「愛」を夫妻関係において見たことは、彼自身の結婚生活の体験と無関係ではない。スネイスによれば、「ヘセド」は「契約の愛」と呼ばれ、契約に基づく真実な愛であり、その関係を保持し、持続させるところの力である。また、この「慈しみ・愛」が「誠実さ」や「神を知ること」と並んで用いられていることは見逃せない(四・1、六・6)。
 本書を概観してきて、指摘されていることではあるが、ホセア書と申命記の「愛」や「唯一の神礼拝」のための戦いはよく似ている。ホセアの混淆主義のバアル礼拝との戦いは、北の預言者グループを通してヨシヤ王の申命記改革と言われる礼拝集中化、純化の改革に継承されているように思えてくる。
 
(のぎ・けんいち=日本キリスト教会無任所教師)
 
『本のひろば』(2015年6月号)より