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内容詳細

不思議だらけの聖書を読む

豊かな感受性と想像力を使って聖書の「隙間」を埋めていくことで、自分と世界が新しく見えてくる! 新約聖書の学者が真摯に伝える、「いのち」をよりよく生きるためのメッセージ。

第Ⅰ部「自立する君へ」には学生たちへ語った講話の15編、第Ⅱ部「神は苦しむ者の側に」には生と死を見つめキリスト教信仰について語った説教・奨励などの6編を収録。

《目次》

Ⅰ 自立する君へ

きれて、つながる/クリスマス──新しい想像力の物語/意味は隙間で生まれる/外に出て、立つ──驚くことと生きること/天地が改まる/神の愛──無を有に変える力/毎朝の礼拝について/「神の前で、神と共に、神なしで生きる」/真理は「ガラクタ」の中に/いのちと実践/前方への逃走──『風の谷のナウシカ』によせて/「なる」ことは、「とどまる」こと/出来事を待つ/長編の薦め/人生も長編小説

Ⅱ 神は苦しむ者の側に

「下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい」/「メシア」とは──ユダヤ教とキリスト教の違い/「ダビデの子メシア」とイエス/「十字架につけられたメシア」/生と死──イエスの「神の国」/神は何処に?──東日本大震災に寄せて

 

《著者紹介》

大貫 隆(おおぬき・たかし)

1945年静岡生まれ。東京大学大学院人文科学研究科西洋古典学専攻博士課程修了。1979年ミュンヘン大学にて神学博士号(Dr.theol.)取得。2010年から2014年まで自由学園最高学部学部長。現在、東京大学名誉教授。 著書に『神の国とエゴイズム─イエスの笑いと自然観』『終わりから今を生きる──姿勢としての終末論』『イエスという経験』『聖書の読み方』ほか多数。

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書評

教育者として語りかける言葉
 
深田未来生
 
 この時代、青年たちに受容可能な方法で思いを伝えることは簡単なことではない。特に伝統的な言語方法を用いての場合は丁寧な伝達の手段を探る必要がある。私たちが生きている世界は今や記号が支配しがちであり、簡潔で早い形と方法が日常的なコミュニケーションにすら深く浸透しているのである。一九三〇年代生まれの筆者の様な人間には、この傾向を的確に理解し、現代的特色を取り入れて自分のものとするのは極めて困難な作業である。それでも青年たちと出会い、彼らの声を聞くと同時に、こちらの思いをも伝えたいと願うと、何らかの意思伝達方法の変革や調整が求められるのである。
 大貫隆氏は優れた聖書学者として知られてきた。東大からミュンヘン大学へと新約聖書学の学びを続け、母校東京大学で教鞭を長くとったことは広く知られている。私自身は『神の国とエゴイズム』(一九九三年)や『イエスという経験』(二〇〇三年)には学ぶもの、考えさせられた事柄が極めて多かった。説教を主として学んできた私にとって、説教の実践にプラスになる高いレベルの学問的研究の「資料」は貴重であり、重要である。大貫氏が東大での働きを終えて自由学園最高学部(大学部)で五年余にわたり専任教員として部長の責任までも担われたことは不思議ではない。東大と自由学園は異なった教育理念に立つ教育機関ではあるが、学生は現代の青年たちであり、大貫氏には世代の差がコミュニケーションの妨げとはならない関係形成力が備えられ、そのことが評価されての「移動」だったのであろう。
 本著は大貫氏が主として自由学園で行った講演等が編集されたものである。講演といったが、なされた話は学内式典や礼拝でのものが多く、私は一種の説教集として読んだ。私はキリスト教主義学校での礼拝でなされる「お話」が聖書によって立つものである場合は、これを説教として理解しているからである。
 まず題がよい。書籍のタイトルは説教の場合と同様に、おざなりに軽くつけてはならない。「ガラクタ」などという言葉は、高尚な学問の世界ではあまり使われないかもしれないが日常生活的な表現である。副題の「自立する君へ」と続くと、青年たちに聞いてほしい、さらに読んでもらいたいという著者の気持ちを感じる。この辺からすでに私はこの本に好感を持ち、著者を大貫さんと親しみを持って呼べる気持ちになったのである。
 研究者として優れていても自分の学問的追求を学生たちのレベルで、彼らの知的、感覚的「受信力」の反応を見極めながら伝え、共に考えることが不得手な人もいるかもしれない。ことによるとパーソナリティの特色も関係するかもしれない。しかしまたこの課題をこなして学生との共同作業的学問のプロセスを推進できる人は青年たちの学業のみならず、人間形成に大きく寄与できる人といえる。
 
 私は本著の第I部「自立する君へ」を読みながら、著者を成熟した学者、また教育者としての姿で捉える事が出来た。彼が用いる比喩もカラフルであり、わかりやすい。イエスの復活物語のように決して安易に理解を深めることが出来ないものでも大貫氏の「きれて、つながる」と題されるイースター説教が主張する「離れないと、結ばれない」といった言葉の中に一つの糸口を見出して新鮮な理解を味わった。
 また新入生に語る「意味は隙間で生まれる」のように短い「語り」に学生たちは新鮮な洞察を与えられたに違いない。
 第II部「神は苦しむ者の側に」は、学生をはじめとして広い聞き手に語られた六編によって構成されている。聖書に親しんできた人にとってはなじみ深い聖句や、「死」のように誰もが直面する人生の課題を、深みに触れながら語りかける言葉は読む者の魂の奥深くへ染み込んでゆく力を持っている。
 しばらく手元に置いておきたい一冊を手にした嬉しさが心に満ちてゆく。
 
(ふかだ・みきお=同志社大学名誉教授)
 
『本のひろば』(2015年8月号)より