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内容詳細

未踏の地のキリスト者たちへ、使徒パウロが懸命に伝えようとしたイエス・キリストの「福音」の本質とは何だったのか? 新約聖書の中で最も神学的と称されるローマ書の真髄を、六十余年の牧会経験で培われた現代的視座から、明晰かつ平易に説き明かす説教集。

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書評

福音の本質を解きほぐすローマ書の入門書!

坂本誠

 本書は喜田川氏が六十余年牧会してきた横浜ナザレン教会を引退することを記念して出版されたものである。ローマ書の講解は一九七九年出版の『希望の神』以来、二冊目である。

 本書を読破して最初の感想は、喜田川氏の福音に対する一貫した姿勢である。福音の本質を真摯に解きほぐし、時には救済史の視点から、隣人との何気ない会話より得た例話を巧みに入れながらメッセージを語られていることに感動を禁じ得ない。

 特に一番重要な説教なのは、この書のタイトルにもなった「神の約束の言葉への信仰(ローマ書四章一〜八節)」である。創世記においてアブラハムについての記述の中にパウロは何を見たのか。それは、「神の約束の言葉への献身というか聴従」(五二頁)である。信仰こそ神の言葉への献身・聴従に他ならないということである。これは人間の本性では捉えられない逆説的なことであるが、約束の言葉は単なる信仰の対象ではなく、神の約束の言葉と共にキリストが立っていてくださるので、出来事となる。それはまさにイエス・キリストの十字架と復活への信仰である(五三頁)。ここに筆者の最も伝えたかった事柄があると信じる。

 興味深いのは「正しい者は一人もいない(ローマ書二章一七節〜三章二〇節)」の説教の中で、霊による割礼について述べているところである。「霊による割礼とは......イエス・キリストの霊による割礼であり、それは神の初めの世界創造に対する、神の新しい創造であり、イエス・キリストの十字架における神の徹底した裁きと徹底した赦しの新創造でした」(三九頁)と語られる。この新創造こそ、現代の「暗い世界において、最も必要とされているものではないでしょうか」(四一頁)と説教は結ばれる。実は、「心の割礼」という説教はジョン・ウェスレーも行っているのであるが、ウェスレー自身も心の割礼から信仰者に生じる新創造を強調しており、喜田川氏の中にウェスレアンとしての信仰理解が感じられる部分である。

 ただし、救いの基本は神から与えられるものであり、人間が作り出すものではない。それは律法の行いがなしえないこと(四五頁)、なぜならば福音は教理ではなく、神の絶大なる行為、 神の力(一八頁)であるので、私たちに出来る礼拝の主人公は神で、私たちはその僕に過ぎない。

 喜田川氏は罪を抽象的なものとは考えておらず、罪は力をもって私たちを神から引き離そうとする現実的なものである。罪は道徳的なものも含むが、罪の根本は道徳的次元を超えたものである(七八〜八〇頁)。この罪の力から私たちを解放するものこそ、イエス・キリストの十字架の赦しに他ならない。十字架の救いは、罪の根を断ち切るものであり(八三頁)、解放に他ならない。

 評者が最も感銘を受けた説教は、「自分のからだを献げる(ローマ書一二章一〜二節)」である。「パウロは、人とは心(魂)また精神(プシュケー)と肉体(サルクス)とからなり、これらが神から来る霊(プニューマ)によってまとめられ......方向づけられる心と肉体との全体、具体的な私というものをソーマ(からだ)と呼んだ」(一○六〜一〇七頁)という説明に納得させられた。さらに「心を新たにして自分を変えていただく」とは、「律法と罪の支配からキリストの支配――赦しと自由――へ移されることを意味」する(一〇八頁)という言葉に感動を禁じ得なかった。これは、義と認められた者のこの世の被造物を含めた救いを含む「壮大なるヴィジョン」(八七頁)を持つ者たちの使命であり責任なのである。

 本書はお二人の孫娘さんの原稿書き起こしから生まれたものである。余談ではあるが、評者も神学生時代、横浜教会の週報を印刷させていただいたが、喜田川氏の味わい深い一字一句を一生懸命に解読した日々のことを懐かしく思い出す。

 評者は本書をローマ書の入門書としてすべての読者に推薦したい。説教は各章からバランスよく取られ配置されているので、キリスト教教理の根本を理解するのに最適な説教集である。

(さかもと・まこと=下北沢ナザレン教会牧師)

『本のひろば』(2016年10月号)より