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内容詳細

私たちはどのように、旧約の思想を受け継ぐか
試練と摂理、神の時……イスラエルの危機に生まれた思想に、先の見えない現代を生きるヒントを探る。また、教会の礼拝や聖餐などの旧約的なルーツを辿り、旧約に連なる共同体として教会が歩む意義を解き明かす。
四半世紀に及ぶ旧約学研究の成果となる、11の示唆に富む論考集!

目 次

第1部 旧約聖書の思想
第1章 旧約聖書は歴史をどう描いているか――試練と摂理
第2章 「コヘレトの言葉」と知恵的世界観
第3章 旧約聖書における「時」――コヘレトの「時」をめぐって
第4章 秘密は隠される――旧約知恵文学の思想的本質
第5章 応報主義を超えて――旧約聖書の反応報思想
第6章 旧約聖書の贖罪思想、その今日的展開

第2部 旧約聖書と教会
第1章 旧約聖書の礼拝
第2章 愛と法――旧約聖書のコンテキストにおいて
第3章 「契約」概念から聖餐問題を考える―聖餐をめぐる聖書神学的考察
第4章 予型論を通しての説教――予型論的解釈の射程と可能性
第5章 旧約聖書における信仰告白(クレドー)
      ――「告白教会」の旧約学者G・フォン・ラートに寄せて

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書評

<本のひろば2022年2月号>

旧約の思想を現代の教会形成に繋げる
〈評者〉及川 信

 

 著者は、旧約聖書の中であまり注目されてこなかった知恵文学の専門家である。読者も『コヘレトの言葉を読もう』(二〇一九年)やNHKで放送された「こころの時代」(二〇二〇年、二〇二一年秋から月に一回再放送)などで、その働きの一端に触れたことがあるだろう。
 著者は教会の牧師であり、旧約聖書の学者でもある。その著者にとって、旧約聖書は古代の「文献」ではない。それは歴史の中で、幾度も襲ってきた危機の中で信仰共同体を生み出してきた「信仰告白」の書である(第二部第五章「旧約聖書における信仰告白」、一九八頁)。だから、「旧約聖書のテクストの歴史性を保持した上で、それを予型ないし原型と(する)」(第二部第四章「予型論をとおしての説教」、一七八頁)。そういう形で聖書を読み、教会の礼拝で神の語りかけを説教する。その際、この言葉は個人に対して語られると言うより、神との契約を結んだ共同体が相手なのである。「契約という共同体の法を有し、救済の歴史性を絶えず想起し保持する共同体が契約共同体である」(第二部第二章「愛と法」、一四七頁)という言葉に、それは明らかである。そして、教会で洗礼を受けた信徒のみが聖餐にあずかる、所謂クローズド聖餐に関して、著者は「キリストの十字架と復活の歴史的出来事を記念する聖餐式をサクラメントとして保持していることと相即する」(同)と言っている。こういう所からも、旧約聖書と教会の現在との結びつきは明らかであろう。そして、著者は繰り返しその事実に注目している。
 話が前後するようだが、本書の構成は二部構成になっている。第一部は「旧約聖書の思想」であり、第二部が「旧約聖書と教会」である。第一部には、第一章「旧約聖書は歴史をどう描いているか」にはじまり六つの論考がある。
 誌幅の都合で一つ一つの論考の紹介は出来ない。しかし一箇所だけ紹介したい。著者は第一部第四章「秘密は隠される」の結論部でこう言っている。
 「旧約聖書では秘密は隠されるのである。……自ら答えを見つけ出して、そこから前向きに生きていくことが要求される。旧約では不可知性がいわば跳躍台となり、それが反転して積極的で前向きな行動を生み出す。不可知性が倫理的主体性を創出するのである。それが旧約の知恵が提示する生き方である」(七四頁)。
 第二部(五つの論考)の第三章「『契約』概念から聖餐問題を考える」ではこう言っている。
 「少なくとも旧約の契約概念を基盤にして聖餐を考えるならば、契約共同体として教会が保持してきた『閉じられた』聖餐理解こそが正当である。『閉じられた』聖餐は決して未受洗者を『締め出す』ものではない。洗礼を受けて契約共同体(教会)に加えられる日を皆が待っているのである。そういう仕方で、教会はサクラメントとしての聖餐を今日まで保持してきた。その伝統は今後も守り続けるべきだと思う」(一七一─一七二頁)。
 繰り返しになるが、著者にとって旧約聖書は古代の文献ではなく、今の教会を形成する信仰告白なのである。新約も旧約も信仰共同体(教会)を形成し、世の終わりまで導く神の言葉として読み続け、聞き続ける神の言葉なのである。一人でも多くの方たちにこの本を推薦したい。

 
 
及川信(おいかわ・しん= 日本キリスト教団山梨教会牧師)