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内容詳細

イエス像の再構成への大胆な試み

来るべき「神の国」を告知するイエスの言動を動機づけていた、黙示思想を背景とする“「神の国」のイメージ・ネットワーク”とは一体何なのか? その分析から福音書テキストを再解釈し、ユダヤ主義キリスト教の終末論に及ぼした影響を精査する。フィロンの著作や偽クレメンス文書など重要な古代文献を渉猟し、史的イエス研究の新たな視座を提示する珠玉の論考集。

 

目次

Ⅰ 私のイエス研究――序に代えて

Ⅱ 死人たちには未来がある――マタイ八21-22/ルカ九59-60の新しい読み方

Ⅲ 「神の国」の「十二人」――マタイ一九28/ルカ二二28-30によせて

Ⅳ イエスの変貌(マルコ九2-8)と「上昇の黙示録」

Ⅴ ユダヤ主義キリスト教の終末論――原始エルサレム教会から後二世紀まで

Ⅵ フィロンと終末論――「上昇の黙示録」との対比において

Ⅶ 史的イエスの伝承の判別規準によせて――結びに代えて

付論1 「ナザレ人」と「ナゾラ人」

付論2 偽クレメンス文書(あらすじ)

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書評

<本のひろば2022年2月号>

イエスの内面を描き出す壮大な試み
〈評者〉山田耕太

 

 大貫隆先生は主著『イエスという経験』(岩波書店、二〇〇三年。独訳二〇〇六年、英訳二〇〇九年)で、イエスの内面にあるイメージ・ネットワークを一気に描いた。続く『イエスの時』(岩波書店、二〇〇六年)で、その背景をユダヤ教黙示思想に遡り、パウロとの関連を指摘し、ベニヤミンの思想と対話して現代的意味を問うた。また『終末論の系譜』(筑摩書房、二〇一九年)では、新約聖書神学のスタイルで終末論に焦点を絞って、イエスの「神の国」思想をユダヤ教黙示文学から新約聖書を経て二世紀のキリスト教へ展開していく文脈に位置づけた。
 本書の第Ⅰ章「私のイエス研究」で以上の三書の関連を明らかにして、第Ⅱ~Ⅳ章で『イエスという経験』『イエスの時』に加えてイメージ・ネットワークの網目を繕い、第Ⅴ~Ⅵ章で『終末論の系譜』を補う議論を展開する。
 第Ⅱ章「死人たちには未来がある」(マタ八21─22/ルカ九59─60)では、従来の解釈を否定し、イメージ・ネットワークの繋がりから「死者に未来がある」というイエスの復活観を前提にした新しい積極的な解釈を提供する。第Ⅲ章「『神の国』の『十二人』」(マタ一九28/ルカ二二28─30)では、イエスのイメージ・ネットワークの繋がりから「神の国」が「人の子」集団説に基づいた支配であることを正しく指摘する。第Ⅳ章「イエスの変貌と『上昇の黙示録』」では、イエスの変貌物語(マコ九2─8)に対する従来の学説を否定して、ユダヤ教黙示文学の「上昇の黙示録」に属するもので、後の『ペテロの黙示録』への影響も明らかにする。
 第Ⅴ章「ユダヤ主義キリスト教の終末論」では「ステファノの幻視」から義人ヤコブとエルサレム教会のペラ脱出を経て「イエスの親族の終末待望」に至るまで、イエスの「人の子」イメージが継承されていることを跡づける。第Ⅵ章「フィロンと終末論」では、フィロンの究極はユダヤ教黙示思想の「魂の上昇の終末論」でも「宇宙史の終末論」でもなく、中期プラトン主義の魂の「帰昇」による「宇宙国家論(コスモポリス)」であることを解明する。
 第Ⅶ章「史的イエスの伝承の判断基準によせて」では、イエスのイメージ・ネットワークを探求してきた方法論は、
タイセンが弟子のウィンターとの共著『イエス研究における基準の問題』で表明した新たな基準に照らし合わせて、それに合致していることを明らかにする。巻末の「付論1 『ナザレ人』と『ナゾラ人』」「付論2 偽クレメンス文書」もそれぞれ複雑な伝承過程を後進のために解明しているが、極めて興味深い論考と要約である。
 本書を含む四部作は、イエスの難解な言葉をイメージ・ネットワークというユニークな手法を用いて解明し、イエスの「神の国」思想を内面から把握する点においても、ユダヤ主義キリスト教を展望する点においても、画期的な著作である。本書は広範で徹底した探索と深い洞察による議論によって、四部作の締め括りとして説得力を増し加えている。ただ一点Q復元の決定版The Critical Edition of Q(二〇〇〇年)との対話があればなおよいと望まれる。

山田耕太(やまだ・こうた=敬和学園大学長)