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内容詳細

少子高齢化や経済の低成長、自殺や心の病の急増、そして日本に大きな傷跡を残した東日本大震災……。閉塞感が漂う現代日本の中で、教会は隣人愛や奉仕の精神をどのように生かすことができるのか? 新しい福祉社会の構築をめざし、キリスト者の思考を挑発する実践哲学書。

 

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書評

キリスト教の社会的役割を問う

稲垣久和著

公共福祉とキリスト教

 

岸川洋治

 著者は「日本の現在のキリスト教会のあり方を変えようと意図して書かれました」、「キリスト者の思考を挑発する実践哲学書です」といきなり宣言する。著者の問題意識は約六十年前、隅谷三喜男が『社会的現実とキリスト教』で指摘した「教会は社会の中で社会生活の諸問題に対しどのように対処すべきか、明らかでなく、これを実践せしめる力も十分でない」と同じではないだろうか。「宣教のみ」「福音のみ」という「教会の自己形成」を重んじる立場からは社会の諸問題に取り組もうとする姿勢が消極的なのは当然の結果かもしれない。

 今日の教会を取り囲んでいる社会的課題は六十年前とは比べ物にならないほど複雑化、高度化している。一例をあげれば希薄な人間関係から生じる孤立や孤独、家族の持つケア機能の低下による児童や高齢者への虐待、人間関係のつまずきによるひきこもり、就労形態の大きな変化や経済不況によるホームレスの増加、複合的な要素が絡み合い毎年三万人を超える自殺、そして東日本大震災や原発事故による避難生活者への支援など解決すべき課題は多い。

 友愛と連帯による社会を形成しようと訴えてきた著者は、これらの課題を抱えている日本の社会でキリスト教が大きな役割を果たす可能性があると言う。明治期以降、キリスト者によるキリスト教社会福祉事業が展開されているが、それは「個人的に福祉に生かされているレベル」であり、「キリスト教神学や教会の宣教の事柄として福祉を位置づけること」、さらに自由主義、社会民主主義とは違う「創発民主主義」を提唱する。「創発民主主義は中間集団と連帯経済に依存するもの」で、そのモデルを賀川豊彦の先駆的働きに見出した。「日本のキリスト教は、これを『新しい公共』と公共福祉の潮流の中で、神学と宣教の課題として位置づけるべきだ。そして、ここにのみ日本のキリスト教の未来がある」と主張する。

 その根拠となっているのが公共哲学である。著者は公共哲学京都フォーラムの論者の一人であり、「宗教と公共性」に関する数冊の本を著している。公共哲学は政治・経済・宗教その他の社会現象を公共性という観点から統合的かつ学際的、現場的、実践的に論考する学問として近年注目を浴びている。公共哲学を基として著者が提唱しているのが「公共福祉」である。

 「公と私の中間、すなわち『私』から『公』へと媒介する『新しい公共』の福祉の実現を目指しています。その主体が市民であり、政府・自治体との協働により実施していくものです。そのためには主権が国家ではなく市民に付与され、コミュニティなどさまざまな領域での多元的な主権が発揮される社会が求められています」。新しい公共の福祉形成の中に教会の役割があると言うのだ。

 武田清子は朝日新聞「人・脈・記」(二〇一二年四月二八日付夕刊)の欄でキリスト教徒は人口の「1%でも、周辺に影響を与えるだけのものがあるのです。その浸透力を持ち得ているかどうか」と答えている。

 一%のキリスト教徒が浸透力を持つためには、著者が提唱する「自律的な領域主権を持った中間集団として、教会が社会に参与する」ことによって、教会は地域の社会資源(ソーシャル・キャピタル)として社会に貢献し、日本の社会に影響を与えることができるであろう。

 本書をとおして教会のみならず、キリスト教主義学校、キリスト教主義社会福祉施設、キリスト教主義団体が大きな刺激を受け、神学者からでなく哲学者からの問いかけにどう応えるのか、論争を呼ぶことが期待される。そのことをとおして、人口の一%から成る諸教会が日本の社会に無くてはならない働きができる「体質の変化」(隅谷三喜男)が図られることを願っている。

(きしかわ・ようじ=横須賀基督教社会館館長)

(四六判・二四〇頁・定価一九九五円〔税込〕・教文館)

『本のひろば』(2012年8月号)より