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内容詳細

ユダヤ教とキリスト教はどこが違うのか?

「父なる神と子なる神」の存在、「神であり、同時に人間でもある救い主」「受難し、殺される救い主」。このような考え方は本当にキリスト教に独自のものなのだろうか? イエスはユダヤ教の教えを否定していたのか? 世界的に著名なユダヤ学者が、新約聖書ならびに古代のラビ文献を丹念に読み直し、ユダヤ教とキリスト教に対するこれまでの見方を覆す!

 

[目次より]

 序

第1章 神の子から人の子へ

第2章 「エチオピア語エノク書」と「第四エズラ書」における人の子

      ――一世紀における他のユダヤ教のメシア

第3章 イエスは(コシェルを守って)法規定に照らして適正な食物を食べていた

第4章 ダニエル書のミドラシュとしての受難するキリスト

 結び ユダヤ教の福音書

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書評

キリスト教理解の捉え直しを迫る!

岡安 博

 訳者は「現代欧米の学者の手になる研究書の翻訳仕事は、定年退職を機にやめにして」(二一三頁)と考えていたのに、それを覆してしまったのが本書だと「解説・訳者あとがき」に書いている。文献学者としての訳者の仕事の丁寧さは定評があるところだと伝え聞くが、その訳者が「翻訳は、いつものように可能な限り引用古代文献資料の原典と諸訳に当たりつつ、その結果生じた疑問をそのつどボヤーリンにただしながら進めた」(二一七頁)というのだから、本書の学問的確かさとともに「キリスト教を愛し学ぶユダヤ教徒と、ユダヤ教を愛し学ぶキリスト教徒の協働の果実」(二六〇頁)というのも頷けるし、「原資料の正確な解読こそが課題」(『初期ユダヤ教と聖書』)とする訳者をひきつけてやまないのが本書ということになる。
 ボヤーリンはダニエル書七章の「人の子のような者」を根幹にすえて、文化・宗教史的な考察も行いながら、黙示文学を中心に諸資料を読み解き、福音書(主としてマルコ)に今まで理解されていたのと異なる見解を提出していて、キリスト教界のみならず世間一般で「常識」とされているキリスト教理解に強い衝撃を与え、根本的な捉え直しを迫ると思われる。
 本書は、「序」、「四つの章」と短い「結び」からなるが、著者の問題意識は「序」において明確に述べられている。ユダヤ教とキリスト教とを別個のものとしたのはキリスト教を国教としたローマ帝国によるのであり、イエスと福音書の時代には、「ユダヤ教とキリスト教の境界に関する話は、これまで広く考えられてきたよりもはるかに複雑で興味深い」(三三頁)のである。そして、三位一体や受肉といったキリスト教固有の思想と考えられてきたものが、その源泉は同時代のユダヤ教に求められ、国家権力とキリスト教・ユダヤ教双方の宗教権力が豊かな多様性を排除して、それぞれの固定化・枠組化を生み出したのである。以下、四つの章では各論的に論じられるのだが、ユダヤ教には「二つの位格を持つ一神信仰」があり、それが「三位一体の最初の二位格となる」(五〇頁)ことや、「諸福音書の神学はイスラエル宗教の伝承の中における根本的な新機軸などではないどころか、この伝承内部の最古の局面へのきわめて保守的な回帰」(五六頁)であること、エチオピア語エノク書には「キリスト論のすべての要素が基本的にきちんと整っている」(一〇四頁参照)こと、「福音書における真にその名にふさわしい新機軸はただ一つ、人の子が既に今ここにおり、彼は私たちの中で(歩み)生活している、と言明していること」(一一〇─一一一頁)、「マルコはユダヤ人であり、マルコの描くイエスはユダヤ教の食物規定にかなった食事を摂っていた」(一三八頁)こと、多くのユダヤ人はイザヤ書五三章の受難の僕をメシア予言として読んできたことなどと論じ、「〔イエスとその従者の〕独創性(創造力)は、ユダヤ教のテキストの世界の内部で、そして諸テキストが相互に影響し合う世界の内部で、後一世紀のユダヤ教の音の風景のこだまの響きの中で、最も豊かにそして最も感動的に読み取り感じ取ることができることを、強く示唆する」(一七二頁)と結ぶ。
 本文もさることながら、本書の約五分の一を占める「解説・訳者あとがき」が圧巻である。本書についての解説やボヤーリンの仕事や立ち位置の紹介がきわめて丁寧になされているが、それを超えて、あたかも一つの論文のようである。今日のイスラエル・シオニズム論、関連して主にドイツ語圏の神学・聖書学に潜む反ユダヤ主義、それらに追随する日本のキリスト教界とその歴史などが述べられている。訳者の『初期ユダヤ教の実像』などで垣間見られた思想がマグマのように一気に噴出した感がある。
 ボヤーリンの論旨は明快であり、同時代のユダヤ教での福音書理解への新たな視点を提供し、訳者の今までの仕事とも重なっている。本書は「一般読者向けの小冊」(二六〇頁)とあり、非専門家としての書評を、というご依頼に無謀ながらお応えした次第。専門家による本書への対論を期待したいものである。

(おかやす・ひろし=日本基督教団信徒)

『本のひろば』(2014年4月号)より