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内容詳細

「国のかたち」である、憲法とはなにか?

国民を縛るものか、国家を縛るものか?

2013年末に特定秘密保護法が成立し、自民党は憲法改正に大きく動き出している。 本書では、現行憲法に具現している「人類普遍の原理」を公共哲学とキリスト教神学から積極的に活かす「活憲」を提案。今後国民的議論が予想される課題に対して、憲法の本来の役割を説き、「活憲」を考える。   稲垣久和(いながき・ひさかず) 1975年東京都立大学大学院博士課程修了(理学博士)。1990年より東京基督教大学教授(専攻はキリスト教哲学・公共哲学)。現在、東京基督教大学大学院教授、国際キリスト教福祉学科長、同大学付属公共福祉研究センター長。 著書 『国家・個人・宗教』(講談社現代新書)、『公共福祉とキリスト教』(教文館)、『実践の公共哲学』(春秋社)など。 訳書 R.マウ『アブラハム・カイパー入門』(ともに教文館)など。

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書評

強靭な市民社会の構想

安部圭介

 憲法改正については夥しい数の文献があるが、知的な奥深さと読みやすさを備えた本は意外に少ない。キリスト教哲学を基礎としつつ親しみやすい文体で改憲問題を語る本書は、その意味で特徴的であり、キリスト者にとって貴重な一冊といえる。
 ところが、現在、本当の意味で改憲に関心を持っている国民は少数である。政治の場での論戦の過熱とは裏腹に、社会の側には無関心が蔓延している。評者は最近、知人に次のように問いかけられ、絶句したことがある。
 「憲法改正に賛成ですか、反対ですかという世論調査の結果がときどき新聞に載るけど、変えたい条文があるなら、専門家で話し合って、適当に変えたらいいんじゃないですか?」
 憲法に対する市民の認識の平均値は、案外、このあたりにあるのではないだろうか。それはなぜ間違った態度なのか。本書を通じて浮かび上がるのは、この「無責任体質」が現代日本の課題の本質に関わっているという事実である。
 日本の歴史や文化の特殊性を強調し、普遍的な民主主義の原理に否定的な態度を示す自民党の憲法改正草案は、人権を限界づける「公共の福祉」(日本国憲法一三条)に代えて「公益及び公の秩序」という概念を導入する。「公共の福祉」は「人々の福祉」を意味するが、「公益及び公の秩序」は「お上の秩序」にほかならない。人権を「公益及び公の秩序」によって制約する自民党草案は、国のかたちを大きく変えてしまう危険をはらむ。ここに明治憲法への回帰願望を見る著者の問題意識は鋭い。日本だけが「反動的な一九世紀的な国家主義に戻っていくわけには断じていきません」という主張は、自民党草案の本質を喝破している点で重要である。
 公と私の二項対立から「公、私、公共の三元論」へ。本書で示唆されているのは、市民が受身的に公に従う「おまかせ民主主義」とも、「官から民へ」を無条件に肯定する新自由主義とも異なる第三の可能性である。そこでは、市民が各自の関心に応じて中間集団を立ち上げ、国境を越えて連帯しつつ、それぞれの責任──神から信託された「地を管理する」責任──を果たすことが提唱されている。市民どうしが人格的につながり、対話によって理解し合い、生の充実を図る社会へ。著者の掲げる「活憲」の中心には、自治に参加し、自発的なモラルの実践を通じて憲法を活かす市民のイメージがある。市民の「自己鍛錬」が求められる点で実現へのハードルは低くないが、現行憲法の潜在力を引き出す試みとして、注目すべき構想といえよう。
 安保法制懇の報告書が首相に提出され、自衛権に関する議論がかまびすしい昨今だが、たとえば日本近海でアメリカの艦船が攻撃を受ければ、自衛隊はどのみち現実には防護へ行かざるを得まい。憲法九条をめぐる論争は、その意味でむなしい。
 この点、本書が九条ではなく、政教分離の問題を重点的に取り上げていることは、理にかなった選択であると同時に、多くのキリスト者の関心にも合致すると思われる。政教分離の原則を規定する日本国憲法二〇条三項の末尾に自民党草案が「ただし、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りでない」とのただし書を追加し、宗教上の組織への公金の支出を禁じる八九条に「第二十条第三項ただし書に規定する場合を除き」との留保を付していることの危険性を考察した部分──公人の靖国神社参拝が「習俗的行為」として合憲とされうる──は、とりわけ示唆に富む。
 民主主義、表現の自由、信教の自由、政教分離の原則──「憲法といえば憲法九条」と思われがちな風潮の中、私たちは、地味だが重要な一つ一つの問題をもっと「自分の問題」としてしっかり考えるべきなのではないか。個人的な信仰に逃避せず、時代と格闘し、新しい公共を生み出す市民の責任を説く著者の姿に心を打たれる。

(あべ・けいすけ=成蹊大学法学部教授)

『本のひろば』(2014年8月号)より