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永井荷風『断腸亭日乗』

永井荷風永井荷風『断腸亭日乗』

1951(昭和26)年「荷風全集 第19巻」(中央公論社)初出。1920(大正6)年から1959(昭和34)年までの40年間にわたって書かれた代表的日記文学「断腸亭日乗」からは、戦前・戦後の飾らない生活風景や世情に対する荷風独自の批判精神を読みとることが出来る。
荷風は当時の東京の二大繁華街であった浅草と銀座に頻繁に出入し、さまざまな人々と会合しているが、銀座での拠点の一つが 教文館の地下1階と地上1階にあった「冨士アイス」であった。

本書の中に「不二アイス」「フジアイス」「不二地下室」等の名前で数多く登場するこの店は、昭和初期に深川に工場を持ち、各地に車で運んで日本で初めてアイスクリームの大量生産販売を行っていた評判の会社で、銀座の店舗はレストランも兼ねて食事を楽しむことができた。荷風はここで気の措けぬ友人達と夕飯を共にしながら、食後のアイスクリームの涼味にしばし時代の憂さを忘れていたのかもしれない。

五月十一日。晴れて南の風つよし。午後日高君来訪。閑話刻を移す。夜不二地下室にて銀座の諸氏に会ひ、烏森稲荷の縁日を歩む。空庵主人仙人掌を購ふ。(1937年)

五月初五。晴。午後銀座教文館にて『アンクル・トムの小屋』を購はむとせしがなし。土州橋より浅草に至り踊り子と共に夕餉を中西に喫してかへる。(1941年)

十月十二日。晴。(略) 数日前より毎日台所にて正午南京米の煮ゆる間仏蘭西訳の聖書を読むことにしたり。米の煮ゑ始めてより能くむせるまでに四、五頁をよみ得るなり。余は老後基督教を信ぜんとするものにあらず。信ぜむと欲するも恐らくは不可能なるべし。されど去年来余は軍人政府の圧迫いよいよ甚しくなるにつけ精神上の苦悩に堪えず、遂に何らか慰安の道を求めざるべからざるに至りしなり。耶蘇教は強者の迫害に対する弱者の勝利を語るものなり。この教は兵を用いずして欧州全土の民を信服せしめたり。現代日本人が支那大陸及南洋諸嶋を侵略せしものとはまったくその趣を異にするなり。聖書の教るところ果して能く余が苦悩を慰め得るや否や。他日に待つべし。(1943年)

「冨士アイス」看板と「冨士山にスプーン」のウィンドウ2階窓には「KYO BUN KWAN」「教文館」の表示が見える

 

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