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内容詳細

西欧キリスト教の基礎でもある最大の教父の思想そのユニークな人間性溢れる愛と真実の諸著作。

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書評

時を超えて語りかける深遠なる説教
アウグスティヌス著
中川純男、鎌田伊知郎、泉治典、林明弘訳

アウグスティヌス著作集20/Ⅰ
詩編注解(5)

谷 隆一郎

『詩編注解』はアウグスティヌスの数多い著作中でも最も浩瀚な書であり、深い趣きを堪えた真の古典であるが、この度の分冊によって、漸くその半分が日本語に訳されたことになる。早や一六、七年も前のことであろうか、はじめてこの企画が持ち上ったとき、訳者に予定されていた人々が(筆者もその一人であるが)京都に集まって、翻訳の分担や方針などいろいろ話し合った。随分時が経ったものだが、ともあれ今回、達意の文章によって新たに分冊が加わったことは喜ばしい限りであり、また訳者の方々の御苦労が偲ばれる。
 ところでアウグスティヌスは、司祭、司教としての激職の中、三十年の長きに渡り折に触れて旧約の『詩編』を注解し説教した。今日残されている『詩編注解』という書物は、教会でのそうした司牧活動の一つの集成なのである。ただそれは、とくに体系的な順序立った著作ではなくて、いずれの説教も(分冊も)ほぼ独立に味読されうる。そしてさらに(残りの分冊の出版が待たれるとはいえ)、それぞれの説教は根本において呼応しつつ、それ自体がある意味で全体を為し、しかもすべてが相俟って、いわば全一的な聖書釈義となっているのである。
 このことは実は、アウグスティヌスの(そして東方西方の多くの教父たちの)聖書解釈の本質に関わる事柄であった。アウグスティヌスがいみじくも喝破しているところによれば、「聖書全体が一つの神の言(ロゴス)を告げ」、その今、ここなる現存を証ししている。つまり、旧約が新約を予表しているとされるように、旧約の個々の言葉、出来事を通して「受肉したロゴス」の働きが指し示されているのだ。もとより、「あなた(神)の年は過ぎ去ることなく」、その永遠性に比すれば、「われわれの生きる時はわずかな一滴にすぎない」が、一見はかなく過ぎゆく時間のうちにその都度、絶えず神の言(ロゴス・キリスト)が現前し、それに聴従する人を真に生かしめるであろう。
 とすれば、アウグスティヌスが至るところで駆使する象徴的(アレゴリー的)解釈は――今日の実証的文献学的解釈とは次元を異にしているが――、単に聖書釈義の一つに留まるものではなくて、神的かつ全一的な交わり(エクレシア)の境位に自他ともに参与してゆく道行きそのものでもあった。たとえば、「主は乏しい人を物乞いから助けられた」(詩一〇六・四一)とあるが、その「乏しい人」とは、非存在と死性(=罪)に晒されているわれわれ自身であり、「幾つもの民、家族だ」という。そして主は、そうしたわれわれを生命の道へと導き、一つにされたのである。
 かくして旧約に記されたさまざまな出来事は、単に過ぎ去ったことである以上に、すべての人にとって来たるべき将来のこと(成就、救いの姿)として語られている。が、それはいずれも、「同じ聖霊の働きだ」という。つまりその際、「イエス・キリストを死者のうちから復活させた方の霊」が、歴史上のその都度の「今、ここに」われわれのうちに宿りうることが観想されているのである。
 アウグスティヌスの含蓄あるゆたかな釈義は、必ずしもやさしくはない。が、どの説教も、時と処とを超えて人に語りかける力に満ちており、そこからわれわれもまた、それぞれの境遇に応じて心の糧を得ることができるであろう(なお、『詩編注解』の成立の歴史的状況や全体としての意味については、泉治典氏のすぐれた「総説」(第一分冊)を、また象徴的霊的解釈については、筆者の「解説」(第二分冊)を、合わせて参照されたい)。
(たに・りゅういちろう=九州大学名誉教授)
(A5判・七五八頁・定価七七七〇円〔税込〕・教文館)
『本のひろば』(2011年7月号)より