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内容詳細

聖書の使信を現代につなぐ、待望のシリーズ第二弾!

「メシア」「王」「教師」「人の子」など、多彩で豊かなイエス像を描いたマタイが伝えようとしたメッセージとは何か?
新約聖書全体をイスラエルの回復という大きな物語として捉え、そこから現代人へのメッセージを鮮やかに説き明かす。
聖書研究・説教黙想・個人のデボーションにも最適!

【目次】

目次
日本語版刊行の言葉
はじめに
聖書略号表

マタイ福音書
1章1─17節 イエスの系図
1章18─25節 イエスの誕生
2章1─12節 マギがイエスを訪れる
2章13─23節 エジプトへの旅
3章1─10節 洗礼者ヨハネの説教
3章11─17節 イエスの洗礼
4章1─11節 荒れ野での誘惑
4章12─17節 王国の告知
4章18─25節 イエスが弟子たちを召す
5章1─12節 「幸い」章句
5章13─20節 律法を完成させること
5章21─26節 殺人と和解について
5章27─37節 不倫と誓いについて
5章38─48節 あなたの敵を愛すること
6章1─6節 密かな信心深い振る舞い
6章7─15節 主の祈り
6章16─24節 断食と永続する宝について
6章25─34節 心配しなくて大丈夫
7章1─6節 他者を裁くことについて
7章7─12節 祈りについて
7章13─23節 二つの道
7章24─29節 真の従順さ
8章1─13節 重い皮膚病の人および百人隊長の僕の癒し
8章14─22節 イエスに従うことについて
8章23─27節 嵐静め
8章28─34節 悪霊に憑かれた人の癒し
9章1─8節 体の麻痺した男の癒し
9章9─17節 マタイの召し
9章18─26節 少女の起き上がり
9章27─38節 イエスの評判が高まる
10章1─15節 12弟子が派遣される
10章16─23節 狼の中の羊
10章24─31節 警告と励まし
10章32─42節 イエスは分裂をもたらす
11章1─6節 イエスと洗礼者ヨハネ
11章7─15節 洗礼者ヨハネの出自
11章16─24節 イエスが町々に有罪を宣告する
11章25─30節 イエスの招き
12章1─14節 安息日の主
12章15─21節 真の僕
12章22─32節 イエスとベルゼブル
12章33─42節 ヨナのしるし
12章43─50節 イエスの真の家族
13章1─9節 種を蒔く人の譬え
13章10─17節 譬えで語る理由
13章18─23節 種を蒔く人の譬えの説明
13章24─35節 雑草の譬え
13章36─43節 雑草の譬えの説明
13章44─53節 他の譬え
13章54─58節 ナザレでの反対
14章1─12節 洗礼者ヨハネの死
14章13─22節 5000人の給食
14章23─36節 イエスが水の上を歩く
15章1─9節 清さと汚れについての議論
15章10─20節 清さと汚れについての譬え
15章21─28節 カナンの女
15章29─39節 4000人の給食

訳者あとがき
用語集

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書評

<本のひろば2022年3月号>

聖書学の最新の知見を踏まえた、心に響く小説教集
〈評者〉大島 力

 

 N・T・ライトの『新約聖書講解』シリーズの第二回配本としてマタイ福音書の前半が翻訳・出版された。すでにライトの書物は、主著『キリスト教の起源と神の問題』の内『新約聖書と神の民』(上下巻)等が訳されている。「おそらく歴史上もっとも多くの読者を得た聖書学者」であると、このシリーズの日本語版刊行の言葉に記されているので、今後ともライトの著作は多く翻訳されていくであろう。
 N・T・ライトのこの聖書講解シリーズの意義は大きく二つあると思う。一つは、自らの新約聖書学者としての学問的な知見を常に踏まえて、講解がなされていることである。それは死海文書をはじめ、キリスト教が成立していくユダヤ社会の背景についてしばしば言及がなされていることに端的に示されている。もう一つは、例えば本書が扱っているマタイ福音書一─一五章の場合、五七のペリコペ(単元)に分けられ、それぞれが独立した小説教のように構成されていることである。従って、もしこのテキストの区切りに基づいて説教者が毎週、講解説教を試みるならば、ほぼ一年間に亘るものとなる。実際、その各単元の冒頭に記されている現代の日常生活の逸話などから、ライト自身が教会・学校等の礼拝で説教やメッセージを語ったことが明確に分かるのである。
 このことは二〇〇〇年前に由来する新約テキストと学問的誠実さをもって対話しつつ、そのテキストが現代社会の中で何を意味しているかを、豊かな想像力をもって紡ぎ出していることを意味している。その作業を新約聖書全巻に亘って行っているというのだから、脱帽するほかない。さらに、とりわけマタイ福音書は旧約聖書からの引用が重要な役割を果たしているので、旧約聖書から新約聖書への動きがよく分かるように語られている。その観点から二つの箇所を取り上げてみたい。
 「山上の説教」の冒頭(「幸い」の章句)は、「霊において貧しい者たちへの素晴らしい知らせです。天の王国はあなたがたのものです」という言葉で始まっている。そして、そのイエスの言葉は、飛行機のパイロットが音速を超える時に耳にする「爆発音」に譬えられている。すなわち、旧約聖書の民を導いてきた神は、イエスにおいてその「爆発音」に等しい新しいことを始めたのである。それは、申命記における「祝福と呪い」(二八章)の地平を突破する衝撃をイエスの時代の人々に与え、それは今も続いていると語られている。
 他方、マタイ特有のテキストである「毒麦(雑草)の譬え」(一三章二四─三五節)では、神の忍耐が語られ、天の王国は一気に到来するのではなく、植物の成長と同様にじっくりとした過程を経て完成することが述べられている。つまり神はその間、活動を休止しているのではなく、悪と戦い勝利しつつある。それゆえ、十字架と復活以後を生きる私たちは「太陽がすでに昇ったことを知っていて、今は昼間の最大の輝きを待っている早朝の人々のように」生きることができる、と結ばれている。単元ごとに心に響くメッセージを聞き取ることができる聖書講解である。

大島力(おおしま・ちから=青山学院大学教授・大学宗教主任)