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内容詳細

幼児教育に「信仰の継承」の糸口を探る!
個人主義や教会と国家の分離を経験した19世紀のアメリカにおいて、教会と家庭が「子どもをクリスチャンとして育てる」重要性を説いた牧師・神学者ブッシュネル。彼の思想は、子どもの洗礼や教会員資格、回心などをめぐり、様々な論争を惹き起こした。主著『キリスト教養育』と論争から、現代日本の教会の活性化、ひいては「信仰の継承」につながる糸口を考察する。

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書評

時代を超えて挑む教会活性化への道

森田美千代著

『キリスト教養育』と日本のキリスト教

 

田中かおる

この本は、著者・森田美千代氏によれば、同氏の訳書、ホーレス・ブッシュネル『キリスト教養育』(二〇〇九、教文館)の姉妹編である。『キリスト教養育』は、一九世紀のアメリカにおける牧師であり神学者であったブッシュネルが、「子どもをクリスチャンとして育てる」ことの重要性を説いた本である。まずは、この『キリスト教養育』を読むことから始めるのが本来の順序かと思うが、先に本著を読むことも、『キリスト教養育』をよりよく理解するために大変有効であるといえよう。なぜなら、本書において森田氏は、ブッシュネルがなぜ一九世紀のアメリカにおいて「キリスト教養育」ということを唱えたかについて、その成立過程をていねいに分析し、かつ、ブッシュネルの主張をよくかみ砕いて紹介しているからである。

森田氏によれば、一九世紀のアメリカは、ニュー・イングランド開拓期からその次の時代への過渡期であった。具体的には公定教会制度廃止、それに伴うアメリカ社会におけるキリスト教や教会の影響力が低下することを意味していた(本書一四〇頁)時代で、それに代わって力を発揮していたのが、個人主義(Individualism)であった。そのことに危機感を持っていたブッシュネルが、子どもなる存在に注目し、家庭・教会・国家(社会)の建て直しを志し「キリスト教養育」を提唱した、と分析している。彼の主張は、「子どもはクリスチャンとして成長すべきであり、決してクリスチャン以外の者として自らを知るべきではない」(本書二一、七五頁他)という言葉によって言い表されているが、要は「キリスト教教育は〔親による子どもの〕養育あるいは育成によって始まる」(本書七四頁)という理解のもとに、信仰者の家庭(=ブッシュネルによれば「小さな教会」)において、子どもの信仰養育を親がきちんとなすべきであり、親はその責任を負っている、という主張と励ましである。そして、それは、子ども、親、教会、社会・国家、神との間が浸透しあい、有機的関係にある故に(本書七五頁他)、ブッシュネルは「キリスト教養育」の実践をもって、個人主義に(及び、この個人主義を克服しようとしたリヴァイヴァリズムにも)対抗し得る(=個人主義克服の突破口となり得る) と考えた、と森田氏は指摘する。更にブッシュネルは、一九世紀アメリカで、堅実な家庭(クリスチャンの親とクリスチャンの子どもたちから成る家庭)を基にした教会をつく(り、そして教会がアメリカの国をリードす)るというヴィジョンをもっていた」(本書一二七頁)と分析している。

しかし、このような分析をしたところで、二一世紀の今日、非キリスト教国である日本人の私達にとって、一九世紀のアメリカにおける牧師の主張が、一体どういう意味をもつのだろうか?という疑問をもつ人がいたら、そういう人こそ、ぜひ、手にとってこの本の扉を開けていただきたいと思う。森田氏は、学術的で緻密な分析の後に、第8章「結論」において、「ブッシュネルの『キリスト教養育』を現代日本のキリスト教に活かす」という論を展開している。評者は、現在、会員数三五名(礼拝出席四〇名前後)の教会に仕えているが、森田氏が指摘している日本の教会やキリスト教の問題点と課題に深い共感を覚える。非キリスト教国日本での伝道は決して容易ではないことを日々、実感しているが、ブッシュネルの主張、および森田氏の分析と提唱には大いに励ましを受けている。それゆえ、ぜひ、一人でも多くの人に本書を読んでいただきたいと願うものである。本書から受ける示唆によって、非キリスト教国日本における伝道の同労者たちが励まされることを願う。それは、牧師、信徒を問わず、である。

本書は、基本的には研究書である。人によってはもしかしたら、それが繰り返しが多くまどろっこしい、と感じるかも知れない。しかし、第8章に到達した時には、その過程が必要であったことに気づくであろう。

(たなか・かおる=日本基督教団安行教会牧師)

(A5判・一九四頁・定価二六二五円〔税込〕・教文館)

『本のひろば』(2011年11月号より)