税込価格:5280円
購入サイトへ 問い合わせる
※在庫状況についてのご注意。

内容詳細

エレミヤ書では、一方において、審判の通告で人間の「頑な心」、「強情」と「背信」が暴かれ、他方において、救済の使信で「新しい心」を持った人間の創造が説かれる。この「頑な心」と「新しい心」とは、どのように関係するのか? 審判と救済の使信の並列は、宣教の聞き手に対して決断を迫る二者択一なのか、そもそも同じ人間がこのように相反する使信を語りうるのか? 「心」という人間論的概念に注目し、その綿密な釈義的分析を通して、エレミヤにおける審判と救済の使信の神学的連関を明らかにする。

在庫表示は概要となります。詳しくは「問い合わせる」ボタンから直接出版部にお問い合わせください。

書評

審判と救済の神学的意図を明らかにする

江本真理

 本書は一昨年東京神学大学から神学博士号を授与された学位論文である。もともとは、著者がドイツ・ボン大学留学中、W・H・シュミット教授の指導のもとで、独文でほぼ完成まで書き上げた博士論文を、帰国後牧師として伝道牧会に従事しながら、日本語に翻訳しつつ、最新の研究や注解書と対話しつつ加筆修正し、吟味を重ね、漸く一つの論文にまとめ上げられたものである。多忙を極める中にありつつも、ひたむきに研究を続けられ、その成果を積み上げてこられた著者の真摯な姿勢とひとかたならぬご努力に心からの敬意を表すると共に、その成果がこのような形で出版されたことを一読者として大変嬉しく思う。
 さて、本書の狙いは、エレミヤ書の審判預言と救済預言の中に共に見出される「心」(ヘブライ語「レーブ」)という人間論的概念に注目し、審判と救済という相克する二つの使信の神学的意図と関連を明らかにすることにある。つまり、審判預言には、「強情」、「背信」、「悪」といった、人間の心の底に刻み込まれて、もはや拭い去れない罪、救い難い「頑な心」に対する深い洞察が見られる。他方、救済預言においては全く対照的に、例えば三一章の「新しい契約」の使信には、ヤハウェ自らによって「心」に律法が刻み込まれた、いわば「新しい心」をもった人間の創造が描かれている。ところが、この審判と救済の使信の関係について、これまでの研究では十分に注目されてこなかった。
 本書の意義は、「心」という概念を含むそれぞれの使信を綿密な釈義的分析を通して、おのおのの神学的独自性を明解にするとともに、その関連性について論じている点にある。つまり、後代の編集にもかかわらず、救済預言はエレミヤ自身の人間論的認識と罪に対する洞察を前提に形成されており、審判の逆転としての究極の終末論的救済を語っている。審判は既に成就したのであり、来るべき救済は人間の可能性ではなく、預言者が告知したように審判をもたらした歴史に働く、唯一の神だけがもたらすことが出来るはずである。こうして相克するエレミヤ書の使信には、 「第一戒」の精神が貫かれているというのである。
 本書の構成は、序論に続いて、〈A 審判の通告における「心」〉として、「民の心の板に刻まれた罪」(一七章)、「民の心の悪」(四章)、「民の強情で、愚かな心」(五章二〇~二五節)、「王の心―欲望」(二二章一三~一九節)、「預言者たちの心―偽り」(二三章九節以下)の各箇所が取り上げられ、さらに、〈B 救済の通告における「心」〉として、「新しい心」(二四章)、「新しい契約」(三一章三一~三四節)、「永遠の契約」(三二章三六~四一節)の各箇所が取り上げられる。各箇所は、私訳、本文批判、様式史、文献批判、編集批判という釈義的分析を経て神学的意図が明らかにされ、さらに「心」の用法について考察が為される。
 本書はH・W・ヴォルフや著者の指導教授でもあったW・H・シュミットによって牽引され、培われた伝統的なドイツ旧約学を彷彿させる本格的な研究書である一方、最新の研究成果とも批判的に対話している意欲的な労作である。そのことは注の中に記載されている、本論を裏付ける膨大な例証や文献にも示されている。また、複雑多岐にわたる研究史が序論の中で歴史的かつ方法論上から整然とまとめられている。このような意味で、本書は説教者のみならず、旧約聖書や釈義を深く学びたい、エレミヤ書についてもっと知りたいと思う読者にも、よい案内役となるはずである。著者の日々の伝道牧会の働きの只中における神学的取り組みの姿勢に、絶えず教えられ励まされてきた者の一人として、このような長年の研究成果が示されることは大きな恵みであり、心から感謝したい。また今後のさらなる取り組みとその成果に期待するものである。

(えもと・しんり=日本ルーテル教団竹の塚ルーテル教会牧師)

『本のひろば』(2014年4月号)より