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内容詳細

知と徳を鍛える教育

戦後日本のキリスト教教育はどのようなものだったか。同志社で中学から学んだ著者が、そこで出会った人々を取り上げる。本書では、新島襄の思想に触発され、恩師の教育への情熱に導かれてキリスト教教育に携わるまでの若き日の模索を描く。

 

著者紹介
塩野和夫(しおの・かずお)
1952年生まれ。同志社大学経済学部卒業。同大学大学院神学研究科後期課程修了、神学博士。日本基督教団大津教会、宇和島信愛教会、伊予吉田教会、西宮キリスト教センター教会牧師を経て、現在、西南学院大学国際文化学部教授。

著書 『禁教国日本の報道』(雄松堂出版)、『近代化する九州を生きたキリスト教』(教文館)等。

 

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書評

キリスト教教育に触発された魂の軌跡を記す物語

 中根広秋

 人が自らの半生を語る契機は何であろうか。著者は「あとがき」の中で、ある同僚の「問いかけ」を挙げている。すなわち、闘病を続けながら「研究と執筆活動に専念」する同僚の「執筆活動に打ち込むという気迫」が「問いかけ」となり、それに応えるように書き始められた、と。また、「序」の中では、「戦後という特色を刻んだ時期」が「過去になろうとしている」ことを挙げ、「キリスト教教育によって導かれ育てられた」者として、「戦争の痕跡という特色を帯びた時期にあってキリスト教教育は一体何であったのか」という問いに対し、「一研究者として」ではなく、「一人の時代の証言者として(中略)答えていこう」とも記している。

 本書はそのような問いが契機となって生み出された「戦後のキリスト教教育を担った人々と彼らに触発された若い日の」著者の「魂の軌跡を記す物語」である。

 本書の「舞台」は七〇年代初頭までの大阪である。幼年期、児童期を経て同志社香里中学校・高等学校に学び、教会に導かれ受洗に至るまでが取り上げられている。

 著者は出会った〈忘れ得ぬ人々〉の姿とそれらの人々との関わりの中で模索しつつ成長する自身の姿を細やかに、また慈しむように描いていく。駆け落ちで結ばれ、誠実に生き、著者たちを育んだ両親。同志社香里中高設立に寄与し、著者を同校受験へと導いた柴田勝正氏。著者を温かく見守り、助言を惜しまなかった生島吉造校長をはじめ、多彩な同志社香里の教師達。その他、さまざまな登場人物との交わりを描くどの場面を切り取ってみても、子どもが、あるいは少年が捉えた真実がみずみずしく語られる。また、それらの人々の姿が魂の風景の一部となって著者を支え続けていることが示される。

 二つの場面を例として挙げたい。

 一つは、少女Mとの文通を断念し、彼女の手紙をすべて燃やしてうなだれる高校生の息子を見て父が語りかける場面である。

  お父ちゃんの仕事はな、紙の仕事やさかい、寒い時でもストーブを焚くことはでき ひん。暑い日でも扇風機を回すことはできひん。そういう所で、お父ちゃんは一日仕 事をしている。きびしい仕事や。でもな、どんな仕事でも仕事というのはそういう厳 しいものや。和夫には一度、お父ちゃんの仕事場を見せてやりたい!

 息子はこのような父の言葉を励ましと受け止め、父の姿とともに心に刻みつける。そして、後年牧会者として最初の教会に着任する折にも、仕事場に向かう父の姿を夢に見るのである。

 いま一つは、生島校長の「自律の精神」を重んじる「教育方針を盾に取」ってチャペルを欠席する生徒が増える中、なおも自主的な出席を呼びかける校長の「苦悩」に共感し、高校生の著者が激しく心揺さぶられる場面である。《教育とは所詮、一つの魂が一つの心を揺さぶり動かすことに他ならない。》──これは生島校長の言葉だが、その時以来、教育の根源を問うこの言葉が「苦悩に歪んでいる」その人の表情とともに著者の胸に深く刻まれていくのである。

 挿絵の魅力についても触れておきたい。全部で十九枚の挿絵及び五枚の手書きの図はすべて著者自身の手によるものである。「書きたくてもなかなか文章では表現できなかったことが、素描には描き出されている」と著者も語っているが、「折々の場面」の人物や出来事などが描かれたそれらは絵本の絵のような魅力を持ち、本文の内容を補っている。また、附録として収められた『一人の人間に』(一九九一年、新教出版社)よりの八つの断章も、本書の登場人物の素描として味わい深い。

 本書の各章は著者が勤務する西南学院大学の『国際文化論集』に掲載された。「書き続けている間に、予想もしなかった反響が周辺で起こ」り、『前篇』上梓の運びとなった。『前篇』は卒業式の数日前に生島校長に呼び出され、「キリスト教教育への志を託され」るところで結ばれる。続篇を楽しみに待ちたい。

(なかね・ひろあき=西南学院中学校・高等学校教員)

『本のひろば』(2013年9月号)より