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内容詳細

「人権なき人格は無力である」
人間を「人格」として捉えるキリスト教的人間理解は、聖書から生まれ、古代の弁証学者から現代に至るまで継承された。戦後、日本国憲法の制定により、初めて日本に導入された「人権」理念とそれを支える「人格」概念は、社会的体制の普及だけでなく、日本人の内面まで本当に浸透したのだろうか。
下巻は、憲法で
「最高法規」として明示され、人類の多年にわたる自由獲得の成果とされる「人権」の由来を歴史的に問い、近代人、とくに日本人がなぜ人格として自立し、人権を帯びねばならないのか、という人間学的根本問題を、キリスト教弁証学としての人間論から論じる。

日本を代表する神学者・大木英夫氏の集大成がここでついに完結!

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書評

日本人は本当に「人権」を理解できたか

近藤勝彦

 本書、大木英夫『人格と人権』の下巻は、「人格論」を扱った上巻を受けて、「人権論」を扱っている。その手法は、人権理念の源泉へと遡るもので、「人権宣言」の淵源をアメリカのピューリタン的諸州の憲法へと遡及したゲオルク・イェリネックに類似している。しかしイェリネックが「法制史的な方法」で試み、信仰の自由をロジャー・ウィリアムズにまで遡ったのに対し、著者は「イデ・フォルス」(力を帯びた理念)としての「人権」という視点によって近代革命の歴史を遡及し、ピューリタン革命へ、そしてその立役者の一人ジョン・ミルトン、さらにはパトニー会議とその主催者クロムエルへと遡っている。いずれにせよ、本書は単なる理念史や思想史の研究でなく、「革命を引き起こす力を持った理念」としての人権の成立を歴史的かつ神学的に探究するところに特徴がある。

 著者は、まず、フランス革命に対峙して、それとは異質な「アメリカ革命」(第三章)に遡り、そこから「名誉革命」(ホイッグ党のシャフツベリ伯)(第四章)と、ロックの神学的人間学(第五章)に遡及している。しかし本書の頂点は、何と言っても第六章、第七章にある。「ピューリタン革命」と特にミルトンの思想が叙述され、続いて「パトニー会議」とクロムエルの活動、その「摂理」についての洞察が叙述される。

 細部の紹介は不可能であるが、ここに示されているきわめてプロテスタント的な近代革命史観は、イェリネック、アブラハム・カイパー、それにトレルチやリンゼイが表した歴史の見方に共通している。

 著者の叙述の筆致は、きわめて情熱的で、時には言い尽せない含蓄を言い表そうとの葛藤からか同一内容の繰り返しが何箇所かにある。本書の主題が、著者自身のキリスト者としての回心そのものとも深く絡み合っている事実からも由来しているであろう。語ってもなお語り足りない事柄がそこにあることを、読者は読み取るよう期待される。著者の場は、戦後日本の現実である。日本国憲法第九七条「最高法規」に謳われた「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」として基本的人権を信託されながら、戦後日本人は内面的回心を真に果たしていない。著者はそこに人間学的根本課題があると直視している。

 誰に向かって著者は本書を記しているのであろうか。おそらく、人権成立の起源において不可避であった王権や宗教的伝統支配との厳しい格闘を本当には理解していない日本的啓蒙の知性に対してである。人権的主体が発現する際の政治的、宗教的な苦闘の中で、神の摂理と、それに対する信仰の洞察がなければならなかった。著者はその理解も求めて、「人権の源泉に関する歴史研究のやり直し」を提示した。日本の福音主義教会も、読者として期待されているであろう。日本の教会は、ピューリタニズムからの出自の自覚を失い、ミルトンやクロムエル、あるいはイングランド非国教徒の戦いに言及しなくなった。本書には、人権というプロテスタント的文化価値のグローバリゼーションに対する神学的貢献を示し、ピューリタニズムの「再生」をもって日本人の真の主体性を確立し、日本国憲法を根深く定着させるという狙いがある。さらに言えば、今日の「人権の混迷」からの救済も神学の課題であろう。

 本書の副題は、「弁証学としての人間学」である。ロック、ミルトンの人間学は深く神学を帯びていた。神学なき人権は浅く、危うい。そこに本書の弁証学がある。ミルトンとクロムエルについて描かれた「摂理」の信仰が激動の歴史の中に持っていた意味もまた重大である。ただし、弁証学としては、それらがイエス・キリストにおける神の救いの出来事にどう繫がるかが重大である。最後に記されたラインホールド・ニーバー「闇の中に輝く光」は、その道を示しているかもしれない。

 大木英夫先生は、本書をもって、教義学、倫理学、弁証学の組織神学三分野にわたる出版を果たしたことになる。このことに敬意を表し、また心からのお慶びを申し上げたい。

(こんどう・かつひこ=東京神学大学名誉教授)

『本のひろば』(2013年10月号)より