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内容詳細

山折哲雄氏推薦!

「しだいに戦争の記憶が薄れつつある今、……祖父と孫娘のあいだに交わされたこの手紙の記録は、貴重な得がたい経験をわれわれに伝えてくれるはずである」

宮沢賢治の「雨ニモマケズ」のモデルと言われる斎藤宗次郎が、戦中に、愛する孫佳與子と交わした往復書簡集。親元を離れ不安な孫を励まそうとする宗次郎と、子どもらしい純真な心とユーモアに溢れた佳與子の手紙を収録。祖父と孫が織り成す愛と信仰の記録。

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書評

斎藤宗次郎の人間像

武田清子

 斎藤宗次郎に私が関心をもつに至った二、三のエピソードがある。内村鑑三の非戦論に共鳴した花巻の小学校教師斎藤宗次郎が銃殺覚悟で兵役・納税拒否の断行を決意してそれを内村に書いた。それに対し、内村が厳冬の夜行列車で雪の花巻にかけつけ、「眞理と眞理の応用」の違いを説き、家族や他の人々に迷惑をかけることになる実践は止めるよう説得、それでもやるなら誰にも知らせず独りでやれと説いた。それに納得、これより内村の弟子になった。また、内村の愛弟子であった劇作家の小山内薫(オサナイ・カオル)がキリスト教を棄て、『朝日新聞』に「背教者」という小説を書き始めた時、小山内が悔改めてキリスト教に戻るよう内村は祈っていた。宗次郎は先生が祈っておられるからキリスト教に戻るよう小山内に手紙を書いた。それを知った内村は激怒した。「背教者に対してこちらから辞を低くして帰れとうながすのは豚に眞珠を与えるようなものだ。その手紙をとり戻してこい」と命じた。よいことをしたと思っていた宗次郎はおどろき、あちこち探しまわってやっと小山内をみつけて手紙をとり返してきた。その二日後、クリスマスの一つの集りで小山内は心臓麻痺で急死した。この時、内村は、「あの死は不思議だ。君(宗次郎)の手紙を受けとって深く考えたとすれば、脳や心臓にこたえて死を招いたかもしれない」といったという。叱ったり、ある評価を含んだ感想を示したり、内村の反応は彼らしいと思われる。

 さらに、死に直面する内村を宗次郎は最後までそばを離れず、寝息をかぞえて看病しつづけたことである。

 その斎藤宗次郎はその後の三十五年間、『基督信徒之友』などの編集、壕内に『内村鑑三全集』二十巻を入れて空襲から守ること等の外、東京郊外の杉並区で三百坪の畑を耕し、いろいろの野菜を育てる畑仕事に朝四時前から夕八時頃まで働きつづけていた。本書は、その生活の中から信州上田に疎開した国民学校五年生の孫娘佳與子に書き送った絵入りの手紙と孫佳與子からの便り、本書の編者児玉実英(佳與子の夫)、その他の解説を含む本である。

 宗次郎はイエス様が常に共にいられる。神様がなにを望んでおられるかを考えて正しく日々を送るようにと祈って孫を信州へ送り出した。その後の彼の便りは、南瓜(カボチャ)が二八七個収穫できたとか、柿がどれだけとれたとか、畑仕事の成果を自然のめぐみ、神の恩恵として感謝を淡々と述べ、家族の動向などを具体的に知らせている。「しもやけやアカギレができて痛い。然し何でも苦しい思いをすることが善いことだ、さむさも有難い。一同無事」。こうした短い表現に宗次郎の生き方と信念が端的に示されている。終戦が近づく昭和二十年元旦には、「我等の祖国大日本帝国は尊き天職を果すために、苦難と試練」のもとにある、我々は、「各々高き信仰と誠実なる精神と壮健な身体をもって日毎の善き戦いに当らねばならぬ。幼き佳與子も老いたる祖父も斯くあらんことを祈る」と彼の信仰と愛国心が表現されている。

 祖父や家族への佳與子の便りは、これまた、けなげに明るく、疎開生活の寂しさなどみじんも見せず、先生や寮母さんや友だちと仲好く元気に生活している様子が生々とつづられている。これらの往復書簡から受ける印象は、宗次郎を中心とする家族全体が、神様に守られているという安心感、すべてを善意で受けとめ感謝する心が一貫していてすがすがしい。

 ただ一つ、「キリスト教」と「天皇への忠誠・聖戦・愛国」との二つが宗次郎の中でどういう関係になっていたかの問題が気にかかった。本書の終りになって編者児玉実英の文章を読んで、彼もこの点を終始気にしておられたことを発見した。

 宗次郎は子供の頃から天皇(皇室)を尊崇することを教えこまれてきており、あの戦争も聖戦と考える愛国者であった。特高警察や憲兵に度々呼び出されてもなごやかに話しあって帰ってきており、「キリスト教の神と天照大神との関係」を問われても、「比較するのは失礼」といって返答せずに帰ってきたと書いている。

 私は思う。愛国者内村鑑三は、「二つのJ」、「イエスと日本」につき、「私の信仰は一つの中心をもつ円ではない。二つの中心をもつ楕円だ」といったことがある。期せずして斎藤宗次郎は、師に似て(同じではないが)、二つの中心をもつ彼独自の楕円の信仰をもって生きた人かとも思われる。私がかつておこなった意識調査にみる明治期キリスト者の一タイプであろうか?

(たけだ・きよこ=国際基督教大学名誉教授)

『本のひろば』(2013年11月号)より