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内容詳細

知恵と勇気の宝庫〈昔話〉!

子どもがきちんと自立できるように、

親がまず〈真の大人になる〉ために必要な心構えとは何か。

子育てのヒントが〈昔話〉として、語り伝えられてきたことをご存知ですか?

主人公が体験する出来事や冒険が、どのように子どもの心の成長を支えるのか。

著者自身の体験を交えつつ、昔話に描かれる深層心理の世界を読み解き、

人間が昔話にこめて語り伝えてきた〈生きる勇気と知恵〉を紹介します。

 

〈目次〉

序 章 子どもが親に「鬼婆」や「鬼」というとき

第1章 意識と無意識の狭間で――「大工と鬼六」

第2章 反抗期の波は三度くる――「三びきのやぎのがらがらどん」

第3章 自立に関する昔と今――「三びきのこぶた」

第4章 母性の魔力――「ヘンゼルとグレーテル」

第5章 日本の母性――「三枚のお札」

第6章 母と娘――「白雪姫」

第7章 男社会での少年の自立――「てんぐのこま」

第8章 日本人の深層を垣間見る――「桃太郎」

 

著者紹介

松居 友(まつい・とも)

1953年東京生まれ。1979年上智大学大学院独文科修士課程修了。ザルツブルグ大学留学。児童図書編集長を経て、北海道へ移住。1998年フィリピン・ミンダナオに渡り、2003年に現地NGO「ミンダナオ子ども図書館」を立ち上げる。2012年マノボ族首長の推薦で、マノボ族の酋長の洗礼を受ける(洗礼名、アオコイ マオンガゴン「心から人を助ける 我らの友」の意)。2012年ミンダナオ子ども図書館の活動により、第3回自由都市・堺平和貢献賞奨励賞を受賞。現在、NGO法人ミンダナオ子ども図書館館長、日本文芸家協会会員。

著書 『わたしの絵本体験』『昔話とこころの自立』『昔話の死と誕生』(教文館)、『火の神の懐にて』『沖縄の宇宙像』(洋泉社)、『サンパギータの白い花』(女子パウロ会)

絵本と児童文学 『シュシナーナとサバリコビレ』『ほのおのとり』(福武書店)、 『おひさまのくにをめざして』(BL出版)、『ふたりだけのキャンプ』(童心社)、『ナディヤと灰色オオカミ』(女子パウロ会)

ミンダナオ子ども図書館(Mindanao Children’s Library Foundation, Inc.)

公式Webサイト http://home.att.ne.jp/grape/MindanaoCL/

 

 

 

 

 

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書評

真の優しさ、隣人愛の実現の術を描く

菊地知子

 この二冊はそれぞれ一九八六年と一九九四年に出版され、今回、教文館から出された。私自身を含む多くの人に望まれ待たれた復刊だったことと、まずはたいへんうれしく思う。

  『わたしの絵本体験』(以下、『絵本体験』)と『昔話とこころの自立』(以下、『自立』)とは、それぞれに独立してはいるけれど、決して別個の本ではな い。『絵本体験』は、幼い子どもが絵本や昔語りから受け取る「愛」について描かれており、『自立』はその後編と言うべき内容で、子どもが、愛をベースに、 自立のための困難を克服していくための知恵や勇気について語られている。

 『絵本体験』に、それを示す次のような箇所がある。「本来精神的 な面で、大人が子どもにしてあげなくてはならないことは(中略)子どもに豊かな愛を注ぎ心を養い育てると同時に、人生を生き抜いてゆくための知恵と勇気を 教えてあげることでしょう。......子どもたちに大人がしてあげなければならないことは、どんな嵐に出遭っても消えることのない愛の灯を心にともして あげることでしょう。そして、心をこめて絵本を読むということは、生涯消えることのない愛の灯を心にともしてあげることなのです。絵本は愛の体験です」 (『絵本体験』七九頁)。

 さて、これらの著作の白眉は、子ども(あるいは若者、年少者)へのまなざしに見られる、隣人としての優しさであ ると思う。二〇一一年の東日本大震災・原発事故以来、隣人愛以上に大切なものはないと、私はますます強く思うようになった。著者の言葉が、書かれてから時 を経た今こそ私たち読み手の心にみずみずしく届くのは、真の優しさ、隣人愛の実現の術が描かれているためではなかろうか。

 子どもが「愛」 を根本に、人間として自立するためには、隣人である大人が自らの生をかけて乗り越え担わなければならない困難がある──著者の言葉を借りるならば「やっつ けられる」ことが必要である、という。子どもが自ら生きる主体として自立するためには、自分ではどうにもならない、受容される、聴いてもらう、という、他 者を主体とする行為が不可欠である。私は保育や子育てを専門領域とする者だが、常々、「あそぶ」「育つ」あるいは「自立を阻むものを"やっつける"」と いったことの主体性と、それと裏腹の「聴いてもらう」「受け止めてもらう」あるいは「"やっつけられてもらう"=利己的な思いを捨て去って無私の愛に立っ てもらう」という他者本位性とでも呼ぶべき、育ちの本質について考える。「みずから」「おのずから」という字を用いて表すことがらの、なんと人と人とのつ ながりに、「愛」に、依るものであることか。

 その意味においても、著者が二作に共通のあとがきでいみじくも書いているように、「子どもが 自立する過程で、相対的に大人も自立していかなければ」ならないのである。親になろうと老人になろうと成長を続ける、死ぬまで未熟な存在である人間にとっ ての何よりの試練と言えるかも知れない。

 さて、子どもが昔話や絵本を語ってもらい、また、自らの自由な想像力が作り上げた遊びをすること が、子どもの心の成長や自立にとってとても大切であるとも著者は説く。スポーツやゲームは、さまざまな形で大人の思いが介入し、大人によって決められた複 雑なルールに則って行動しなければならないため、遊びとは別である、という指摘は、他の多くの具体的な指摘同様、著者の慧眼の為せる業と言えよう。ここで もまた、生きる主体としての子どもにとっての隣人としての優しさを発揮しているとも言えるように思う。

 著者は、現在彼の暮らすフィリピ ン・ミンダナオの地でマノボ族酋長アオコイ・マオンガゴンの称号を与えられたそうだ。その名の意味するところは、「心から人を助ける我らの友」であるとい う。私たちは、復刊されたこれらの著作によっても、その名の表すところをしみじみと知る。私たちの元へ、これらの書が再び届いたことに、今、改めて感謝し たい。

(きくち・ともこ=お茶の水女子大学特任講師)

『本のひろば』(2014年3月号)より