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内容詳細

教会は貧困問題にどう向き合うのか?

労働者の境遇の改善を訴える1891年の回勅以降、カトリック教会は現代世界に宛てて数多くの社会教説を発表してきた。本書は「貧しい人々のための優先的選択」という側面から、公文書の本文を精読し、経済的・政治的構造がもたらす貧困と不正義に対する教会の理解がどう発展したのかをたどる。

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書評

貧困問題に挑戦するカトリック教会

栗林輝夫

 つい最近まで日本は、世界で最も経済格差の少ない「一億総中流」の国であると自負していた。ところが不況が打ち続くなか、生活保護者を食い物にする貧困ビジネスの横行や、正規社員と非正規社員の間の不平等などと、あっと言う間に先進国ではアメリカに次いで貧富の差のはげしい社会になった。そんな中で貧困問題に挑戦する教会を真正面から論じる本が出た。昨年の流行語大賞のひとつは「今でしょ!」だったが、今こそ本書を熟読すべき時機はないと、声を大にして言えるほどにタイムリーな内容である。
 カトリック教会が社会正義を論じるとき、まず基礎になるのは教皇庁から発布される回勅や教書である。そこで著者は、労働者の境遇改善を訴えた教皇レオ一三世の『レールム・ノヴァルム』(一八九一年)から始めて、先の教皇ベネディクト一六世が出した『真理に根ざした愛』(二〇〇九年)まで、一七の回勅、書簡、勧告、教書を取り上げて丁寧に内容を解説する。
 まず読み始めて強い印象を受けるのは、「貧しい人々のための優先的選択」という解放神学のキーフレーズを副題にすることからもわかるように、教会は何よりもまず貧しい人々に寄り添うべきことを論じる著者自身の姿勢である。著者はそうした明瞭な姿勢から、この百年余り、カトリック教会は、各々の時代の歴史的文脈のなかで、いかなる回勅や教書を発布してきたのかを綴り、教会が今、果たすべき役割は何か、どのような社会的ヴィジョンをめざすべきかという問いを読者のひとりひとりに投げかける。
 本書に収められた諸文書を、プロテスタントの間で、実際に読んだという人はそれほど多くはないだろう。ヨハネ二三世の『パーチェム・イン・テリス──地上の平和』(一九六三年)や、カトリックが現代に門戸を開いた第二ヴァティカン公会議の『現代世界憲章』(一九六五年)は知っていても、それに先立って資本主義を批判した『マーテル・エト・マジストラ』(一九六一年)があることは知らないだろう。それらを平易に説き起こしてくれる本書は、カトリック教会が困窮者の救済と公平の実現に、信仰的にも司牧的にもどのように対応してきたか、その発展の軌跡を教えてくれる意味で、小さいながらも実に有益な入門書である。
 評者が特に興味深く読んだのは『 「解放の神学」の幾つかの側面に関する教書』、いわゆるラッツィンガー文書の解説である。六〇年代末、南米のカトリック神学は、貧しい人々との連帯を表明して、彼らと同じ地平に立つことで福音を現代に証ししようと試みた。貧しい人々の「ために」というよりも、貧しい人々と「共に」ある教会のヴィジョンを模索した。二〇世紀後半、カトリック教会はアジア、アフリカ各地にも急速に拡大したが、それらはいずれも貧困に苦しむ地だった。教理庁長官のラッツィンガー枢機卿が、解放神学を目の敵にしなかったら、カトリックは世界の輝く道標になりえたのにと、惜しむ声は少なくない。新しく選出されたフランシスコ教皇が解放神学者のグティエレスと会見した、との報道が世界を駆け巡ったのは昨年の夏のことだった。はたして貧しい者の側に立つという教会のヴィジョンが、このアルゼンチン出身の新教皇のもとで息を吹き返すことになるのだろうか。
 働く者の三割が非正規で、国民の二割が年収二百万円以下といわれる現代の日本。アベノミクスで景気は浮上中と報じられるものの、弱者切り捨てが進み、生活困窮者がますます増えるのではないかという懸念を払拭できない。プロテスタントの倫理は、どちらかというと自助努力を強調する傾向があり、ワーキングプアやニートが話題になっても、それはその人の自己責任という感覚が強い。しかし、働きたくとも仕事がなく、仕事を得たとしても正規と非正規では天国と地獄ほどの差がある。そうした現実は社会的な構造悪であって、貧困は「制度化された暴力」ということを本書は改めて認識させてくれる。広く読者にお薦めしたい。

(くりばやし・てるお=関西学院大学法学部教員)

『本のひろば』(2014年4月号)より