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内容詳細

「天地創造」は何のために書かれたか 「初めに、神は天地を創造された」で始まる天地創造物語は、文字通り起こった出来事なのか。「天地創造」に秘められた問いと願いを解き明かす説教集。

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書評

時を超える福音の神髄を鮮やかに示す

生原美典

 聖書を理解するために、私たちは高い山に登らなければなりません。高い山に登ると、聖書が立体的に見えてきます。
 神学校卒業の頃、ある教師に言われました、「派遣されたら、その町にある高い所に行ってみるといい。自分の遣わされた町が、立体的に見えてきますよ。」言われた通りにしてみました、幾度も。少しずつでしたが、見えてきたものがありました。
 子どもの頃、初めて富士山に登った日のことは、今も鮮明に覚えています。当時は山梨に住んでおり、家から見る富士山もきれいでしたが、地理感覚が乏しいため富士山と自分の位置関係が分からない。初めて父に連れられて登った。そこで見たものは、それまで想像もしなかった壮大な雲の上の光景でした。西には南アルプスの山々が頂を雲海の上に見せている。北には八个岳。その麓には何度か行っていたのに、その位置関係が分かっていなかった。ところが甲府盆地が見える。奥秩父が見える。山々のてっぺんからその裾野に広がる街並みまで、高い所でないと分からない地の塊が、そこにはあった。それからというもの、家でも旅先でも、自分のいる位置が、全体の広がりの中で立体的に摑めるようになりました。
 今、自分がいる位置が摑めるということ。これが聖書を読み解くコツです。
 聖書には至る所に、印象に残る言葉があります。いつとはなしに暗唱するまでになる、きらめく言葉がある。
〈神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。〉ヨハ3・16
〈イエスは、わたしたちのために、命を捨ててくださいました。そのことによって、わたしたちは愛を知りました。だから、わたしたちも兄弟のために命を捨てるべきです。〉1ヨハ3・16
〈わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。〉1ヨハ4・10
 こういった言葉は、いわば雲海から頭を出した山の峰のきらめき。なんらかの関連でそれらの峰と峰との繫がりを見つけられるようになると、聖書全体での位置が見えるようになります。大きな神の計画の中での、今の自分の位置が分かってきます。
 及川信先生の新たな説教集が出ました。それは聖書の最初の峰、天地創造を説き明かしたものです。すでに創世記関連だけでも四冊が刊行されています。それと同様、いやその頭たるものとしてこの書が出たことを心から喜んでいます。
 全一四編の説教。いずれもこれまでと同じく日本基督教団中渋谷教会の礼拝でなされたものです。ただ時期的に最も以前のもの。十年余りの歳月がすでに流れています。しかし本当に良いものは、古びたりなどしません。徹底した聖書研究に基づく牧者の言葉は、その時代の問題を鋭く抉りつつ、変わらぬ福音の神髄を、一言ひとこと鮮やかに示してくれるのです。
 当時の問題はあの9・11後の世界だった、と著者自らあとがきで明かしている。その通り随所に、権力、暴力、報復、世界の支配の問題が触れられています。天地創造物語の記された時代の混沌との類比で、現代の私たちの深い闇について、時を超えて聖書の世界に引きずり込まれるのです。しかし読者はそこでこそ神の遠大な計画を、牧者と共に見渡すことになります。
 これまで同様、この書にも黙想が付されています。こちらは最近のもので、あの3・11後の日本を問題にしています。「『震災』とその後のこの国の歩みを考慮することなく、聖書を読むことはできません」と、これもあとがきにあるように、しかもヨブ記を中心とした聖書全体の峰を見渡しながらの、圧巻の神学書となっています。終末を見据えての、今の私たちの位置が、きっと見えてくることでしょう。

(はいばら・よしのり=日本基督教団松原教会牧師)

『本のひろば』(2014年9月号)より