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内容詳細

礼拝をより豊かにするために

わたしたちは礼拝で何を、どのように祈ったらいいのでしょうか? また、礼拝での祈りが「感謝」や「願い事」ばかりになっていませんか? 長年の牧会経験をもとにした、丁寧な祈りの手引きと、牧会祈禱と献金祈禱、招詞の例文を豊富に収録。感謝や願い事を中心とした祈りから、神を賛美する祈りをするために。 礼拝をより豊かにすることを願う、牧師や信徒必携の書!   ◉著者紹介 鈴木崇巨(すずき・たかひろ) 1942年三重県生まれ。東京神学大学大学院(修士)、米国南部メソジスト大学神学部(修士)、西部アメリカン・バプテスト神学大学(博士)などで学ぶ。日本基督教団東舞鶴教会、田浦教会、銀座教会、頌栄教会などで牧会。 著書 『牧師の仕事』(教文館、2002年)、『キリストの教え』(春秋社、2007年)『求道者伝道テキスト』(地引網出版、2014年)ほか。

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書評

祈りのあり方を知るために

髙田和彦

 昔の話です。福音系女子高でのことです。ある生徒がクラス別礼拝のためにあらかじめ祈りを準備し紙に書いて用意して本番で祈ったところ、担任の先生から、祈りはあらかじめ書いて用意するものではない、と注意されたと、ショックを受け、所属教会の牧師に訴えてきた事がありました。
 このことは現代の日本のキリスト教会の礼拝事情を象徴しているように思われます。ところがカール・バルト先生は、かつてあるところで逆のようなことをおっしゃいました。曰く、前もって準備し、用意しないような祈りはダメだ、と。当然そこには紙にあらかじめ書いて準備し、吟味することが含まれるでしょう。奉仕する礼拝の中心部分を担う祈りをどう受け止めるかによって、礼拝そのものに対する姿勢が問われます。礼拝の中心は説教であると強調し、それが過ぎると、礼拝は説教という聖書講演会として受け止められ、そこに集まる人々は前奏から後奏までの生の神礼拝の霊的営みに参列し、それを構成する一員になるという観点が失われます。説教を聞くだけならば、テープやCDで聞けばよいのであって、わざわざ礼拝堂に赴く必要はなくなるでしょう。
 礼拝を司る者の責任は重いと言わざるを得ません。上記の例でも、それぞれに言い分や根拠があるのは承知しています。最近でこそ、多くのプロテスタント教会において、礼拝のあり方を整える傾向が出てきました。そのことはおおむね好意的に教会の現場では受け止められています。しかし、その志に供するところの参考の情報が不足しているとも言えます。礼拝学、典礼学などの学問は確かにあるでしょうが、それらと教会の現場との隔たりはかなりなものがあるように思われます。
 本書は、その理解の距離を埋めてくれるものです。常に、時と場合をわきまえた祈りが求められます。すべてが、いわゆる「自由祈禱」で済み、結果祈禱者が自ら確信し、ある程度の質の高さと客観性を保つことができるなら、それはそれでよいでしょう。しかしすべての人に可能かどうかは別でしょう。実際の礼拝現場では、責任を果たそうとする者には、相当のプレッシャーがあるのではないでしょうか。
 何事も基本が大切です。スポーツ、音楽や習い事でも、そして祈りにおいてでもです。自由祈禱といわれても、自由の何たるかを知らずに、基礎がなければ自由にさえ祈れない。自由祈禱とは言っても、聖霊の導きを信じて祈るのであって、勝手な祈りとは違います。と言う事は、何らかの導きがなければなりません。あるべき本来のあり方を知った上で、聖霊に促されて神に祈るところに、バリエーションは生まれるのです。
 以上の意味で、本書はその基本を提供してくれる最適の書です。もちろん、そのまま鵜呑みにする必要はないでしょう。むしろ、それぞれのケースにふさわしく応用すればいいのです。
 一〇六ページほどに「牧会祈禱」がまとめておさめられています。さらには親切に「献金祈禱」の例文もあります。献金の祈りは、説教のまとめでもないし、神さまへのお願いでもない。礼拝に出席できたことへの感謝であり、献身のしるしの表明です。
 いちがいに一つの礼拝の形が正しいとは言い切れないでしょう。牧師が、単なる説教者以上の者でないならば、説教担当長老としての役割を果たせば十分で、礼拝の司式、進行は他の長老がすればいいのかもしれません。しかし、牧師が教会の牧者であり、信徒の群を導く立場の者であるならば、教会の群を導く牧者に力強く祈ってもらいたいというのが、信徒の願いでしょう。
 礼拝は、神さまと人間との上下のやり取りに終始するように構成されています。さらに本書では、「招詞」と「祝禱」にもていねいに触れています。礼拝の冒頭で〈さあ、礼拝しよう〉と招き、締めくくりにおいて(さあ、この一週間世に出て行って主を証ししよう!〉と送り出される、いわばコインの表と裏の、牧師と信徒の水平の関係であると説明しています。

(たかた・やすひこ=日本基督教団九段教会牧師)

『本のひろば』(2015年1月号)より