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内容詳細

キリスト教文化圏の背景を明らかにする!
ほぼ同じ時代に生み出された旧新約聖書とギリシア・ラテン文学。両者は「天の訪問者に対する歓待」「家族を神への捧げ物とする」など、実に多くの物語のパターンを共有している。本書では双方の並行箇所を綿密に比較・検討し、聖書と西洋古典文学のより豊かな読み方と解釈へと読者を誘う。

 

[目次より]
第1章 ホメロス
第2章 歴史、悲劇そして哲学
第3章 二つの世界の間のウェルギリウス
第4章 ギリシア人にとっての愚かさ
第5章 少しの時間

 

[著者紹介]
ジョン・テイラー(John Taylor)
イギリスのケント州にあるトンブリッジ・スクールの古典学主任。

[訳者紹介]
土岐健治 (とき・けんじ)
一橋大学名誉教授。『はじめての死海写本』、フィロン『観想的生活・自由論』など、著訳書多数。

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書評

西洋古典への「読書の手引き」
 
水落健治
 
 一九六七年、私が国際基督教大学の人文科学科に入学した直後に受講した授業に故・神田盾夫先生の「聖書と古典世界」という講義があった。ホメロスの『イリアス』を読み、『ヨブ記』の話がこれに続き、ソフォクレス『オイディプス王』の恐ろしい自己探求の物語が詳説され、『マルコ福音書』のキリストの不条理の死が語られたのち、レポートとして「義人の苦難について書け」という課題が出された。
 私が研究職に就いた当初、この授業のことはそれ程意識の中にはなかったが、明治学院大学で授業を担当するようになって、この授業のことが頭から離れなくなった。 『ヨブ記』も『オイディプス王』も人間のもつ知恵について何かとても大事なことを語っている。 『ヨブ記』も『マルコ福音書』も世界の不条理について読者に考えさせている。そんなことを考えつつ私は、上記の著作に『創世記』冒頭の堕落物語やプラトン『ソ
クラテスの弁明』などをも加えて、「ギリシアとヘブライにおける知恵と知識」という授業を十五年近く続けた。
 本書は、西欧の人々が「古典」と考えて来たギリシア・ラテン文学と聖書における「モチーフの並行性」を指摘した書物である。著者はオックスフォード大学で博士号を取得したのち、Leeds, Liverpool, Tonbridge の中高一貫校で三〇年間古典ギリシア・ラテン文学を教え、その経験に基づいた恐るべき博識をもって本書を執筆している。
 著者は言う。「古典とは何か」──(一)古典とは、我々がそれを初めて読む際にさえも、我々が(それ)を以前にすでに読んだ何物かを再読しているという感覚を与える、書物である。(二)古典とは、その予期されない様子と独創性が、我々が(それ)を噂で知っているという我々の感覚と正比例しているような、書物である。(三)古典とは、毎回毎回読み直すたびに......多くの発見の感覚を提供するような作品である(三一〇―三一一頁)。
 西欧の人々は、古典のもつこのような「力」と「現代性」のゆえにそれらを繰り返して読み、そこに存するモチーフの並行性に思いを巡らし、そこから新たな思想を生み出して来た。『アエネイス』を執筆しようとしていたウェルギリウスにとってのホメロス、原始キリスト教団の人々にとっての「旧約聖書」、古代から近代に至る西欧人にとってのギリシア・ラテン文学と聖書はこのような古典の位置にある。
 本書の第一章ではホメロスが、第二章ではギリシアの歴史書と悲劇、哲学書が、第三章ではウェルギリウスが、第四章では福音書と使徒行伝が、第五章ではギリシア・ラテン教父と近代のイギリスの著作家たちが論じられているが、その全貌を示すことは到底無理なのでひとつの実例のみを擧げることにしよう。
 旧約聖書の歴史書には、エジプトを脱出したイスラエル民族がシナイ半島を放浪したのちペリシテ人などとの戦いを経て、父祖の故国である「乳と蜜の流れる地」に新たな国を建設する様が描かれているが、この物語はトロイ陥落後のオデュッセウスが様々な冒険・遍歴ののちに故郷イタケに戻る物語と並行している。紀元一世紀のウェルギリウスは『オデュッセイア』の物語を念頭に置きつつ、トロイ脱出後のアェネイスが地中海を遍歴した後、ラティウムの地に新たな故国ローマを建設する物語を残した。 『アェネイス』を愛好したアウグスティヌスは、これを自らの魂の遍歴に当てはめて『告白』を書き、この観点を世界史に適用して『神の国』を執筆した。......
 このような方法でギリシア・ローマの古典と聖書を読み直すことには多くの発見があるが、西洋の古典になじみのない日本人にとっては、それは極度に困難である。だが、本書に掲げられている膨大な書物をひとつひとつ読み解いて行くことによって、その道は少しずつ開けてくるのではなかろうか。その意味で本書は、西洋古典への「読書の手引き」とも言えよう。
 
(みずおち・けんじ=明治学院大学名誉教授)
 
『本のひろば』(2015年9月号)より