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内容詳細

 

あなたは残された時間をどう生きますか?

死の不安や病を抱えながら、残された日々をどのように過ごしたらよいでしょうか。

人生の振り返り作業によって今ある心の痛みと向き合い、感謝の心を引き出して自分を癒す〈セルフ・スピリチュアルケア〉。

本人も介護する人も、みんなが心おだやかな時間を過せるよう、在宅医療の医師が実例を交えながら、終末期の〈新しい心の整理術〉を手引きします。

 巻末付録

設問にこたえて自分で作る

心の整理の実践「セルフ・スピリチュアル・ノート」

最期に備えて伝えたいことをまとめる「エンディング・ノート」を収録!

 

著者紹介

森 清(もり・きよし)

1987年北海道大学医学部卒業。沖縄県立中部病院卒後医学臨床研修修了。北海道大学医学部大学院後期課程修了(医学博士)。ハーバード大学医学部ダナ・ファーバー癌研究所フェロー、自由学園ならびに東京基督教大学学校医、順天堂大学医学部血液内科などを経て、現在、社会医療法人財団大和会理事(在宅サポートセンター担当)。日本在宅医学会在宅医療専門医、日本血液学会血液学専門医、日本緩和医療学会暫定指導医として、日本在宅医学会理事、日本在学医学会雑誌編集長などを務める。

著書『のこされた者として生きる──在宅医療、グリーフケアからの気付き』(いのちのことば社、2007年)ほか。

 

目次

はじめに――多死時代を迎えて

1 尊厳を守られた死とは

2 スピリチュアルケアとは

3 スピリチュアルペインを乗り越えさせてくれるもの

4 過去と和解すること

5 家に帰ることの難しさ、自宅にいる不安

6 何を大切にして生きてきたか

7 その人の「ものがたり」を知るということ 

8 認知症について 

9 地域包括ケアシステムについて  

10 一人暮らしの方へ――最期を迎える準備について

11 人が最期に体験すること 

12 家族を見送る、悲しみと向き合う

13 互いに癒される在宅医療をめざして

おわりに

付録① セルフ・スピリチュアルケア・ノート

付録② エンディング・ノート

 

 

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書評

臨床医が紹介する生と死のドラマと心の整理法
 
若林一美
 
 以前、著名なノンフィクション作家とお目にかかった折、その方は、自分は「がん」しか書かないのだ、と言っていた。高齢化が進む中、認知症の問題が大きくなるだろうが、「ドラマ」がないから、というのがその理由であった。ベストセラー作家としては、「認知症」というテーマでは、メリハリも感動的な山場も書きにくいので、敬遠したのかもしれない。
 しかし、私たちの老いや死は、作家の思惑とは別に、日常の些細な繰り返しのなかで進行し、他人には、はかりしれない「ドラマ」が展開している。そのささやかな人の営みのなかにある日常、思い出(著者は、ものがたりと表現している)に立ち会い、あくまでも家族のなかでは、黒子として存在する。時には、二つの物質の化学反応を助ける触媒のような役割に徹しながら、死を看取る。家族のなかの別れ、人のいのちの移行に臨床医として立ち会い、そこからすくいあげたキラキラするような「生」の描写に、思わず胸が熱くなる。
 そこに立ち会う人ならではの、厳しくも適格な表現が続いている。
 「自分の家では、自分が主人です。自分の人生という「ものがたり」の中でも、自分が主人公です。そして自分の人生の責任は自分以外にはとることができません。たしかに病院では、治療の内容や日程、起床の時間から家族と会う時間帯まで、すべてが決められています。そのことに文句を言うことはできても、自分の思い通りにはなりません」。そして、著者は続ける。朝寝坊しても、薬を飲まなくても、だれからも文句を言われることはないが、その責任は自分で引き受けなければならない。病がありながらも、自分自身がすこしでも快適に暮らせるか否かは自己責任と表裏の関係にある。医療者は、リスクも含めて説明をし、その上で、できるだけリスクを軽減するための努力を惜しまない、と記している。
 様々な生き様を見せて、先に逝った人たち......。
 大好きなお酒しか口にしなかった八十代の男性。最期に食べたい物は何かと聞かれ、親しい人にやっと聞き取れた言葉が「みかん」だったという九十歳の方のエピソードは心に響く。自らの時間が短いことを意識し、自宅にもどることを望んだ人だった。著者はじめ医療スタッフは、みかんを食べたいと単純に解釈する。しかし、みかんという言葉を聞き、枕辺に集まった家族は「やっぱり、みかんですって」と大興奮する。その家族にとってみかんは、孫娘が生まれた時に植えた記念樹なのだ。家族の絆の証でもあるのだ。死の床で歓喜する家族の様子を見ながら、著者は、「家長」として、家族をつねに気遣い、大切に思って生きてきた人の気骨を感じる。最期の言葉として、なんとふさわしいものか。その方の死後の、家族の平安と安堵に結びつくものであったと述懐する。
 
 どんなに家族を愛していても、愛されていても、別れていく悲しみはその人固有のものとなる。著者は羽仁もと子の言葉を引く。
 「靴をそろえて脱ぐ自由」
 そしてこの言葉は、近代的ホスピスの創始者、シシリー・ソンダースの引用にもつながる。
 「あなたはそのままで大切な存在です。あなたの人生の最期の時まで、大切な存在です」
 靴をそろえて脱ぐことも含めて、「靴だけではありません。自分が身につけるべきものも、変えなければならない自分の一面を脱ぎ捨てることも、受け入れて、実行していく過程が自由と自律なのです」、という著者の考えは、死に逝く人に対して向けられるだけではなく、自らに課した生き方そのものなのであろう。
 
 本書は、著者が関わった多くの患者さんや家族、協働するスタッフとの出会いによってうまれたものだという。そのためか、死の周辺にある様々な事柄が網羅されている。
 人は何によって生きるのかを、立ち止まって振り返る──そのようなヒントが、「エンディング・ノート」 「セルフ・スピリチュアル・ノート」のすすめにはこめられている。
 日本の医療制度の問題点、在宅医療の費用や葬儀、ひとり暮らしの場合の死亡届のことに至るまでの具体的な記述もある。
 
(わかばやし・かずみ=立教女学院理事長)
 
『本のひろば』(2015年8月号)より