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内容詳細

バルトの教会論・聖書理解・倫理観を学ぶ入門書

近代神学史に不朽の名を残した神学者カール・バルト。彼の一見難解な思想を平易に説き明かし、現代を生きる教会・信徒への示唆に富んだ洞察を提示する、珠玉の論考集。


 

【目次】
第一章 バルトは観念的で社会性を持ち得ないか
第二章 ポール・リクールとカール・バルト——その決定的な相違
第三章 カール・バルトの旧約観と福音理解
第四章 私たちはどのように生きており、また生きるべきか

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書評

大神学者の思想の現代的意義を平易に説く
 
坂本 誠
 
 著者は九二歳になられるが、この度一般の方々にもわかりやすいバルト神学の紹介を書かれた。筆者の神学に対する情熱には敬服するものであるが、今なお真摯な形で深化中である。
 筆者はバルト神学から出発し、一時はモルトマン等に惹かれるが、最終的にバルトが現代に向けていかなるメッセージを持っているかを問いつつ本書を著された。
 著者は、本書で、バルト神学の中心である「イエスは主である」という信仰告白を根本に据えて、バルトがいかにその神学を展開したのかを解説していく。
 本書は四章からなり、第一章は「バルトは観念的で社会性を持ち得ないか」というタイトルで、バルトに対する一般的誤解を丁寧に解いていく意欲的な章になっている。教理史をたどりつつアウグスチヌスからバルトまで丁寧に神学理解の経過を辿る。教団(教会)は神に語りかけられる存在であり、イエス・キリストの語りかけが出来事である以上、教団の存在も出来事であり、この世と歴史の中に働く力を「神の摂理」と「人間の混乱」とし、そこにこそ教会の使命があることを解説し、バルトの神学が健全な社会性を持っていることを力説する。
 第二章は「ポール・リクールとカール・バルト──その決定的相違」と題してリクールを丁寧に紹介しつつ、バルトの独自性を強調する。テキストを読むことは解釈することであるとし、解釈を理性でもなく意志でもなく想像力・決断としたリクールに対して、これは十字架の言語化を意味し、バルト神学を否定することになることを指摘する。バルトは、時代的な背景に聖書を近づけ、啓示をその様に方向づける試みを否定する。その意味でバルトの「イエスは主である」は一切の人間的試みへの否であるとする。しかし、旧約の啓示、語りかけに多様性があるという指摘においてリクールは、バルトの旧約理解を補完する可能性があるとする。
 第三章の「カール・バルトの旧約観と福音理解」では、「神の選び」理解を中心に据え、選びの思想を丁寧に解説していく。特に「選びにおける光と影」の思想は非常に興味深く読ませていただいた。神は契約の実体であり、そこにバルト神学の中心がある。そこには選ばれた者(光)と捨てられた者(影)が存在するが、両者は相互補完的であり、そこにおいて教会の使命が存在する。特に聖書理解を交えながら解説していく筆者の姿勢は牧会者として講壇から説教し続けた結果である。
 結論の後、今までの思想を倫理的な視点で丁寧に問い直す。第四章のタイトルは「私たちはどのように生きており、また生きるべきか」と題して、人間とは何かという問いに始まり現代人のかかえる様々な問題に切り込んでいる。バルト神学の基礎を、契約の歴史が創造の歴史の内的根拠であり、契約が創造に先立つと主張し、内神的三一論と経綸的三一論が同一であることに置く。人は十字架においてのみ神と出会うことができ、神の御業、神の自由な愛の本質から生ずる永遠の決断、誠実さが全てであるとする。この神中心の神学をバルト神学の基礎とする。
 そこから現代的な倫理問題(結婚、自殺、安楽死、妊娠、中絶、死刑と戦争等)を論考していくのであるが、学ばされることが多い。ただ、性に関する項目では、現代の理解において多くの研究があるので、今後そのような研究も参考にされると、さらに幅のある論考が為されるのではないかと感じた。
 最後にバルトのユーモアに触れて本書は終わるが、アブラハム九九歳の笑いが、神の約束への謙虚な受容を意味すると書かれてあり、まさに九二歳の著者の生きる姿勢と同じであることを評者は感じて感動を覚えた。本書が神学校のバルト入門の書として用いられることを願ってやまない。
 
(さかもと・まこと=日本ナザレン教団下北沢教会牧師)
 
『本のひろば』(2015年6月号)より