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内容詳細

聖書やタルムードはどう読まれてきたのか?

ユダヤ教の教典である聖書、ミシュナ、タルムードは、テクストを中心とする共同体の形成にいかなる役割を果たしたのか。中世・近現代のユダヤ思想家による論究を参照しつつ、テクストの正典化と権威に関する諸問題を論じ、「書物の宗教」の伝統と実践における聖典の意味を明らかにする。

【目次】
刊行によせて(市川 裕)
序 論 正典テクストとテクスト中心共同体https://www.kyobunkwan.co.jp/publishing/wp-admin/edit.php
第1章 正典と意味
第2章 権威・論争・伝統
第3章 正典と教育課程
結 論
補 遺 主権者と正典

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書評

聖書、ミシュナ、タルムードを緻密かつ大胆に論じる

勝又悦子

 「書物の民」というフレーズは魅惑的だ。ユダヤ教の本質が分かったような気分になる。しかし、身近にユダヤ教の礼拝や学塾での学びを目にすることも、聖書以降のユダヤ教の正典を手に取ることも難しい日本においては、何が「書物」なのか、いかに「書物」が扱われているのかを具体的に知ることは難しい。気鋭の論客ハルバータルによる本書は、ユダヤ共同体の中心に「書物」=「正典」が置かれたことの意味、その結果生じる「正典」と、正典を正典たらしめる各種「権威」との葛藤の諸相をラビ・ユダヤ教からカライ派、マイモニデス、ナフマニデスに代表される中世ユダヤ哲学、カバラー、更には近現代のユダヤ教の動向まで射程に入れて論じた緻密で野心的な書である。

 本書で論じられる「正典」は聖書、ミシュナ、タルムードである。第一章では、聖書が「正典化」されたことの意義を問う。正典として策定されることで、「テクストから学ぶ」のではなく「テクストを学ぶ」「テクスト中心共同体」が成立し、「権威」は、かつて正典の源泉であった預言者からテクストを解釈する賢者に移る。ここに「書物の民」たるユダヤ教の原点があろう。

 第二章では「論争」の過程を記したミシュナが正典化されたことの意味を様々な思想家のミシュナの位置づけを分別しながら追う。忘却された細かい規律を思い出すため(回復モデル)、啓示による知識に自分たちの解釈を導入するため(累積モデル)、そして、解釈者に法を制定する権威を与えるため(制定モデル)である。これら三つのモデルは互いに影響しあいながら発展する。

 第三章では教育課程の中心に置かれることになった強い「正典」タルムードと、その外の要素(トーラー、哲学、法典、カバラー他)との葛藤を追う。タルムードの理解に他の要素は必要か、という問いである。スペイン・プロヴァンス・フランスではタルムードと哲学のバランスに関して、カバラー神秘家の間でもタルムードとカバラーの知識をめぐっても同様の論争が展開する。いずれにせよ、タルムードという「正典」に対して解釈を通して関わることが「ユダヤ的」であった。しかし、ナショナル・アイデンティティーが台頭した近現代のユダヤ教は、もはやタルムードが中心にあるとは言えない。様々な代替が「ユダヤ的」として独り歩きすることに、筆者は結論でユダヤ的生における危機として憂慮する。

 ユダヤ教文献の基本的知識は自明として時代、地域、思想的立場を跋扈して往々にして相反する見解が言及されるので、議論の行方をつかむにはタルムードを読むときのような集中力が必要だ(明快な訳者あとがきが良き指南となる)。しかし、突きつめれば、ユダヤ教文献と格闘する者が感じるだろう単純な問い──なぜユダヤ教ではミシュナやタルムードのような人間の議論の集成までもが「正典」となり、なぜ「正典」にそこまでこだわるのか──の周りをぐるぐる回っているのかもしれない。ユダヤ教自身にとってもこの問いは重要だったということか。

 ユダヤ教だけではなく他の宗教も、哲学・解釈学、学問領域にも目配りされているのは著者の広範な守備範囲の表れだろう。また、研究の細分化が進む昨今、本書においては、「正典」「権威」観を通してラビ・ユダヤ教文献学、中世ユダヤ哲学、注釈学、カバラー他をダイナミックに融合している点も魅力的である。結論では、近現代の具体的な教育現場での葛藤が記述される。抽象的理念の操作に終始しがちな思想系の書にあって、具体的な現場を垣間見ることができるのも嬉しい。

 願わくば、あともう少し、それぞれの思想家の生きた姿を感じさせる記述があると色彩豊かな理解が可能になると思われるが、それは、歴史家の仕事だろうか。ハルバータルが本書の射程から超えるという理由で書き控えている種々の論考の更なる展開が期待される。

(かつまた・えつこ=同志社大学神学部准教授)

『本のひろば』(2015年12月号)より