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内容詳細

 膨大な史料に基づいた「海老名伝」の決定版!
 安中教会、本郷教会の牧師、同志社大学総長などを歴任し、雄弁と健筆によって、吉野作造をはじめ多くの同時代人を感化した海老名彈正。武士道と儒教を旧約として捉えた彼の独特な神学はどのようにして形成されたのか?海老名研究の第一人者が浩瀚な研究文献によって海老名の生涯をたどり、その思想の本質を明らかにする。

[目次から]
 生 涯
第1章 幼少年時代/ 第2章 熊本洋学校時代/ 第3章 入 信/ 第4章 宣教師のキリスト教へ/
第5章 宣教師からの独立/ 第6章 東京進出と植村正久との神学論争/ 第7章 最盛期の活動/
第8章 衰退期/ 第9章 デモクラシーの諸相、同志社総長時代/ 第10章 新日本精神(晩年の思想)
 思 想

◆著者紹介
關岡一成(せきおか・かずしげ)
1938年生れ、三重県出身。同志社大学大学院神学研究科博士課程単位取得満期退学。現在、神戸市外国語大学名誉教授。
編集・解説
『海老名彈正』(日本の説教1、日本キリスト教団出版局、2003年)など。

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書評

事実に即した海老名の実像に迫る!

山口陽一

 満を持して書き下ろされた本書は、本文五六四頁の大著であり、その四分の三で海老名の「生涯」を丹念に描き、残り四分の一でその特異な「思想」を一二項目に分けて考察している。

 關岡は、海老名に著作集や全集がないゆえに「論じられている海老名論が事実に即したものかどうかが判断されないまま、どんどん定着している」(四頁)と指摘する。確かに三位一体や原罪の否定、神の子の意識、国家主義者など、定着した海老名のイメージがある。關岡は、吉馴明子が『海老名弾正の政治思想』(一九八二年)で試みたような、内村鑑三や植村正久との比較において海老名の神学の特徴を浮かび上がらせるという方法を取らず、ありのままの海老名に迫ろうとする。

 海老名の伝記として渡瀬常吉『海老名彈正先生』(一九三八年)は欠かせない。關岡は渡瀬本の原資料となった海老名自身の自伝や回想録により、その生涯を浮かび上がらせる。第一章「幼少年時代」のディティールはその賜物である。第二章「熊本洋学校時代」ではジェーンズが長崎のヘンリー・スタウトとの関係で聖書研究会を始めたという推定が興味深く、第三章「入信」では海老名の「主神主義」への明確な「新生」と奉教趣意書前後の熱気、一八歳の海老名の信仰が初々しい。第四章「宣教師のキリスト教へ」では「第二の回心」としての「赤子の自覚」から、安中・前橋・東京・熊本での伝道が続く。この間、一八八二年八月二七日付の婚約者の美屋宛て書簡により喜三郎から彈正への改名が明らかになる。第五章「宣教師からの独立」は日本基督伝道会社社長から神戸教会時代を扱う。海老名は十年来抱き続けた疑いから、独自の自由主義神学を確立する。第六章「東京進出と植村正久との神学論争」、第七章「最盛期の活動」は、一九〇二年に福音同盟会から排除された海老名の最盛期。本郷教会は十数人から始まって一九〇五、六年には五、六百の会衆を集め、福音同盟会にも復帰する。海老名は「人道」の見地から日露戦争を肯定、社会問題を正面から扱う本郷教会には愛国青年やキリスト教社会主義者が押し寄せた。ところが社会主義がキリスト教から分離し、海老名が国際主義に重点を置くようになると会衆は半減する。一九〇八年、エジンバラの万国会衆教会大会に参加した外遊は、第八章「衰退期」に置かれ、従来の伝記とは違う扱いである。第九章「デモクラシーの諸相、同志社総長時代」、第一〇章「新日本精神(晩年の思想)」は従来の伝記を凌駕するが、評は次の「思想」で述べる。

 土肥昭夫「海老名弾正の神学思想」(『熊本バンドの研究』一九六五年)は神論とキリスト論を中心に海老名の神学を論じたが、關岡は一二項目でその全体像に迫る。關岡は、海老名のキリスト教受容の最大特色は神を超越、内在、遍在していることと観るが、まず「正統的・福音主義キリスト教」を論じて海老名の「神観」、「キリスト論」、「イエスを人とする聖書的根拠」を際立たせている。「人間観・罪悪観」では人間を善とする儒教に加えてツウィングリの影響に着目し、罪と十字架の贖罪ではなく〈新生〉による〈神の像=良心〉に注目する。「海老名とユニテリアン」の異同、「神の国」の構想に次いで、「天皇制の問題」と「伝統思想(武士道・儒教・神道)」では、〈天之御中主神=宗教〉がキリスト教のゴッドに発展することを期待し、人間である天皇は〈天照大神=国民道徳〉と区別されることが非常に重要とする。「朝鮮同化問題」は、国家主義が神の国と結びつけられた如実な問題点として論じられる。關岡は海老名の神学を「人格完成の神学」と観ており、「海老名と吉野作造」をつなぐのも海老名の近代主義と人格主義であると洞察する。

 私は海老名ではなく弟子の柏木義円に共感するが、ある日、多磨霊園で偶々海老名家墓所を見つけ、私の曾祖父が前橋で海老名彈正から受洗したことを覚え図らずも感謝の念が湧いた。今、この本により海老名の実像と課題が立ち現れた。海老名に学び彼を超えるところに日本におけるキリスト教の地平が拓かれるだろう。

(やまぐち・よういち=東京基督教大学教授)

『本のひろば』(2016年4月号)より