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内容詳細

イエスはなぜ食物規定を無視したのか

厳格な食物規定が存在するユダヤ教社会で、イエスはその禁忌とどう対峙したのか? 文化的背景を踏まえつつ、既存の律法を超えて原始キリスト教世界に波及した、食に関する論争を概観する。宗教と文化を深く知るために貴重な一冊!

◎著者紹介(かわしま・さだお)
青山学院大学大学院博士課程単位取得、ユニオン神学校大学院修士課程修了、エアランゲン大学に留学。日本聖書神学校教授、東洋英和女学院大学教授、日本基督教団青戸教会牧師を経て、同教団隠退教師。著書『マルコによる福音書──十字架への道イエス』(日本基督教団出版局、1996年)、『ペトロ』(清水書院、2009年)ほか。

◎目次
はじめに
第1章 聖なる神の聖なる民──旧約聖書の食物規定
第2章 律法遵守の徹底──初期ユダヤ教
第3章 すべての食物を清いとする──マルコ7・1─23
第4章 外から人の中に入って来るもの──イエスの振舞い
第5章 異邦人伝道への展開の中で──原始キリスト教における食事の諸問題
第6章 救済史の中で──ルカ福音書
第7章 洗わない手で食べることは人を汚さない──マタイ福音書15章1─20節
補説1 トマスによる福音書 語録6、語録14
補説2 ラビ文書における律法、言い伝え、異端論難
あとがき

 

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書評

食に関わる論争の秀逸な概観

佐藤研

 本書は、日本を代表する新約研究者の一人である川島貞雄氏の近著で、「聖書における食物規定の歴史を概観した」書である。しかしこの問題を扱うと、実は「その範囲は旧新約聖書を超え、初期ユダヤ教、トマス福音書、古代ギリシア・ローマの著述家にも及ぶ」。この膨大なエリアから、「テーマの全体像を粗描し、マルコ福音書七章一五節のイエスの譬えに宿る革新性と独自性を明らかにすること」(以上、「あとがき」三一一頁)が試みられる。

 やや詳しく見れば、第一章では旧約聖書における「聖」や「汚れ」の観念、そしてそれに基づく食物規定が扱われ、第二章の初期ユダヤ教の叙述へと続いて行く。第三章ではマルコ福音書七章一─二三節が釈義的に取り上げられ、その後第四章において初めて、マルコ七章一五節(「人の外から人の中に入ってきて人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出て来るものが人を汚すものである」)を中核とした「イエスの振舞い」が論じられる。第五章においては、いわば時間軸的に「原始キリスト教における食事の諸問題」が論述され、その後第六章でルカ福音書の食物規定問題が、第七章でマタイ福音書の同問題が扱われる。さらに「補説一」でトマス福音書・語録六と一四が、「補説二」で「ラビ文書における律法、言い伝え、異端論難」が論じられ、短い「あとがき」で終結する。なお本書では、既に「はじめに」において各章の内容的なまとめがなされているので、読者は論旨を予想しつつ本論を追える。

 全体として浮かび上がるのは、旧約聖書(特にレビ記や申命記など)において宣言されるユダヤ教の食物規定が、その後のユダヤ教界においていかに見事に貫徹されているかである。それは後のキリスト教のルカやマタイの福音書にも抜き差しならぬ影響を及ぼしている。そうであればあるほど、上記のマルコ七章一五節の破天荒さが浮かび上がる。それ故この言葉は近年、イエスの真正の言葉ではなく、異邦人キリスト教の世界で創作されたものと見なされることが多くなった。著者はそれに対し、イエスの真正な句であることを擁護する。それは「本来、全体として律法学者たちとファリサイ派の者たちに対するイエスの『戦いの言葉』であったと見るべきであろう」(一一八頁)。

 総じて問題分野のすべてが見事に概観されており、その均衡の優れた釈義的判断は多くの学徒の範となろう。文字数に限りがある本欄では、さらに二、三の点を述べるだけに留めたい。まず、著者がマルコ七・一五をイエス真正の句とするのは同意できるが、これを「譬え」であると規定するのは、その意がよく伝わらない。また、これがイエスの真正な発言である場合、なぜそのような発言が、これまでのユダヤ教的コンテキストの中で可能(あるいは必然)となったのか、イエスのいわば人間学的根本への観察が欲しいと思う。単に「戦いの言葉」と規定するだけで、出所の解明は十分であろうか。また、この句の射程とその意義は、ペトロたち直弟子層にどのような変遷を経て伝わったのか、あるいはうまくは伝わらなかったのか。その辺の齟齬に満ちた事情への観察も欲しい。象徴的かも知れないが、本書には総体的な考察ないしは結論の章がない。文字通り「概観」で終わっており、十分内容的に「イエスを中心」にしていない感を否めない──秀逸な概観であるだけにそう思う。

 一言造本に関して。この書は章(および類似部分)の数が十もあり、詳細な注が各章の終わりにくる。読者はいつも章毎に注の場所を確定し、本文と注とを毎度数繁く頁を跨いで往復しつつ読むことになる。願わくは、このような本には「傍注」(より良いのは横組みにして「脚注」)を備えて欲しい。読みやすさを主にした造本を切に願う。

 以上、批判めいた言辞も弄したが、この本がこのテーマに関する概説として大変優れていることは改めて繰り返しておく。この方面に興味ある人なら必備の書であることは間違いない。

(さとう・みがく=前立教大学教員)

『本のひろば』(2017年8月号)より