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内容詳細

ウェスレーは宗教をどう理解したのか? 
近代化に伴う社会の大変動に接し、幅広い学問から知の世界を構築したウェスレー。
西方と東方、超越と内在、全体と個……それら相反する視点とも共存し、啓蒙主義、義認論、認識論に応答して独自に確立した宗教観に迫る。
 
◎著者紹介
清水光雄(しみず・みつお)
1943年、東京生まれ。1963年、東京農工大学(工学科)中退。1973年、青山学院大学博士課程修了退学。1980年、ドルー大学大学院卒業(Ph.D.)。元静岡英和学院大学教授。現在、桜美林大学非常勤講師。
著書 『ジョン・ウェスレーの宗教思想』(日本キリスト教団出版局)、『ウェスレーの救済論』『メソジストって何ですか』(以上、教文館)。
訳書 L.M.スターキー『ウェスレーの聖霊の神学』(共訳、新教出版社)、H.リントシュトレーム『ウェスレーと聖化』(共訳、新教出版社)。
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書評

ポスト世俗化時代のジョン・ウェスレー像

東方敬信

 本書において清水氏は、ウェスレー研究が一九八〇年代を境に激変したと考えている。それは宗教改革以来の西方教会の神学的伝統の中でジョン・ウェスレーは個人的救済に情熱を傾けた福音伝道者と理解されてきたが、一九八〇年以降は東方教会の霊性を離れては理解できないという強調点の変化による(二七頁)。評者は、二一世紀のグローバル資本主義の世界観の問題を啓蒙主義型の近代的社会構築の終焉とその克服に見ているので、経済学の父アダム・スミスと同時代人であるウェスレーの神学的社会倫理に注目してきた筆者の線に触れ合い、二一世紀の「ポスト世俗化時代」の課題として大いに刺激を受けている。読者もその点に積極的に触れて欲しいものである。
 その点で清水氏は師である野呂芳男氏を度々取り上げそのは異なる社会・共同体論を発見させてくれる。それは神の愛と信仰の確証(八九頁以下)から生み出される新しい共同体である。それを清水氏は「確証体験の喜び・愛・平和から隣人への愛がほとばしる」(一〇〇頁)と表現している。この土台の上に、ウェスレーは、モラヴィア派から学んだ教育の使命また貧困者や病者に対する愛の使命によって、さらに先行の恵みという「自然の光」と「啓示の光」の両者を認める「普遍的救済論」を展開して、国教会の再生運動としてのメソジスト派を指導したのである。
 今一度私たちは、著者に「ウェスレーの伝道企画に現在の私たちの教会はどのように返答するのでしょうか」(一〇四頁)と問いかけられる。そして何よりもウェスレーから学ぶべきは、救済の治癒的理解となる。それは私たち人間の神の像の歪曲あるいは喪失という罪の現状から、イエス・キリストとの出会いによって第二のアダムであるキリストに倣う者となり、神の像への回復に与ることによって完成することにもなる。「救いの目的は信仰で天国に行くことではなく、原初の状態を回復し、「実存論的解釈」を乗り越えようとしている。筆者はウェスレー神学の特色の背後に、英国教会が重んじた東方教会の教父たちや、社会科学者パーソンズが指摘しているホッブズ問題(エゴイズムと暴力を抱え込んだまま)を含む近代社会理論を克服できていない社会・共同体論をイメージするリバイアサン像と神的本性の生命に参与することで神の像を回復すること」(一〇九頁)とウェスレー神学の豊かさを清水氏は表現する。これがまさに「ポスト世俗化時代」の神学となろう。
 そして、啓蒙思想や英国教会とメソジスト運動の葛藤を意識して、「思慮深い大衆の成長」を願って教会史家アウトラーが科学の展開におけるニュートンとキリスト教信仰の関わり、医学や健康観、解剖学や生物学に関心を抱いたウェスレーの当時の医療技術の展開への見解、さらにキリスト者全てが身に着けるべき「全身全霊で神と人を愛し、思いも言葉も行為もこの愛で支配される」(二八〇頁)という今日的な意義が考察される。そこには「行動の習慣」が含まれ、ロック、マルブランシュ、ブラウンなどの哲学が論じられ、それらとウェスレーの信仰理解との対話も紹介されていく。そして、近代化のプロセスの中で「聖俗革命」をどのように把握していけばよいのか、また修道士ベーコンの「知は力なり」に代表される近代科学における教育機関の意味など、二一世紀に生きる者には重要な緊急課題に触れることになるであろう。この点で、著者によるなら、「民衆の神学者」としてウェスレーを「評価した」ことも本書は紹介している。さらに私はアダム・スミスも『国富論』でメソジスト運動を評価していることを指摘しておきたい。そして二一世紀の高度経済成長後のグローバリゼーションに席巻されている日本社会において、改めて「神学・科学・哲学」に対して当時のウェスレーがどのような判断と主張を提供したかを学べる好著であることも推奨したいと思う。
 本書のタイトルが「ウェスレー思想と近代」とあるように、近代社会の形成との関わりでキリスト教信仰の意味を語っている後半は、その点できわめて興味深い。紙面の都合上概略になるが、近代諸科学の展開との対話、さらに私たちの現状の社会の成立過程における長所・短所を垣間見ることができ、二一世紀に生きる者としては喜ばしい。また、一七、一八世紀の自然「愛の実践」を軸にして諸科学の成果を用いることになる。
 新しいウェスレー理解の展開とキリスト教信仰とポスト世俗化時代のキリスト教実践の絡み合いを学ぶのに、本書は大きな役割を果たすものであり、多くの読者に手に取っていただきたいものである。

(とうぼう・よしのぶ=青山学院大学名誉教授)