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内容詳細

異端反駁Ⅴ

人類史を超える創造論と終末論

2世紀の偉大な神学者であるリヨンの司教エイレナイオスの主著(全5巻)の第5巻。旧約・新約のさまざまな聖書箇所を援用してグノーシス主義を論難。肉体の復活、終末における万物の完成に関する論述を中心に、独自の救済史的・啓示史的歴史神学を展開する。

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書評

救済の展望を説く、『異端反駁』の最終巻!

鳥巣義文

 エイレナイオスは先行する『異端反駁』第三巻、第四巻におけるのと同様に、この第五巻でも聖書の様々な箇所を引き合いに出しながら、本書の名宛人に正統信仰の立場を解説している。エイレナイオスのリヨンにおける司牧者また「御言葉を語ることに仕える者」(六頁)であろうとする立ち位置は一貫していると言ってよい。そして彼は「本巻では、これまで触れないまま残されてきた主の教えと使徒たちの手紙に基づいて、改めて論証を試みたい」(五頁)と執筆方法を述べている。はたして、この言葉にエイレナイオスが忠実であったか否かは、訳者である大貫隆氏による「あとがき」を参照されたい。ここでは、そのエイレナイオスの解説の中から、肉体の救いそして終末における救いの展望というテーマについて、彼の言葉を引きながら紹介してみたい。

 まず、エイレナイオスの身体・肉の救いへのこだわりである。言葉を拾ってみたい。彼は、救いの対象となるのは肉体であるという。「死ぬものと生かされるものとは別々のものではない。……死に定められていたのは一体何であったのか。それは命の気息が立ち去って、息のない死んだものとなった肉の実体のことである。主はその肉の実体に命を与えるためにこそ来られたのである。それは、われわれがすべて心魂的な者としてアダムにおいて死ぬように、キリストにおいて霊的な者として生きるためであった。ただし、われわれは神が造られたもの〔身体〕を脱ぐのではない。むしろ肉の欲望を脱いで、聖なる霊を受けるのである」(三九頁)。また、「十全な人間とは、……父からの霊を受け容れた心魂が……神の形(imago)として造られた肉と結合されて、両者が混ぜ合わされて合体したものなのである」(二〇―二一頁)。これらの言葉の背景には、自らを霊的なものと称する論敵たちによる身体・肉への蔑視の思想に対するエイレナイオスの反駁があると考えられる。

 つぎに、終末における救いの展望および復活者における進歩の必要性の主張である。終末について語る場合、エイレナイオスは預言書や黙示録また長老たちに学びつつ、「人間を甦らせるのは真に神である。……人間は本当に死から甦るのであり……王国の時が続く間に、不滅性に向けて準備し、成長し、生きる力を強めて行き、やがて父の栄光を受けるに足るものとされる」(一一五頁)と言う。そして、救われる者たちは「段階を追って前進して行く……すなわち、霊を通して御子〈へ至り〉、御子を通して上昇し、父のもとに至るのである」(一一六頁)とその進歩の過程について解説している。同じく「不滅性の始まり」についても、義人たちの王国において、救われるべき者が「少しずつ訓練されて神を把握するようになる」と述べている。救いを論敵たちのように霊的覚醒とはせず、父と子と聖霊による救いの経綸(オイコノミア)によってもたらされるものと考えるエイレナイオスによれば、終末の来るべき義人たちの王国においても、父の王国においても、救いにふさわしいとみなされる者たちには、そこにおいてさらに進歩していくことが求められている。

 エイレナイオスの出自は小アジアとされている。本書の初めに「神の言葉であり、われらの主なるイエス・キリスト……は無窮の愛ゆえに、われわれがそうであるものと同じものとなられた方である。それはわれわれを彼がそうであるものと同じものへとやがて完成してくださるためである」(六頁)と述べるが、エイレナイオスの解説の節々に、その救済史神学の基盤に

「聖なる交換」思想との共通性を確認することができる。また、「陰府下り」思想やキリストの「千年王国」思想なども、エイレナイオスが活動した二世紀の教会を取り巻く状況を反映しており興味深い。

 大貫隆氏は第一巻と第二巻に続いて今回第五巻を翻訳された。小林稔師の第三巻、第四巻とあわせると、『異端反駁』全巻の翻訳が完成したことになる。古代教父の著作を身近なものとしてくださったことに心より感謝したい。

(とりす・よしふみ=南山大学学長・人文学部教授)

『本のひろば』(2018年3月号)より