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内容詳細

悪と不条理がはびこるこの世界で、神は何をしておられるのか?

十字架による神の最終的勝利と神の王国を見据え、今ここに生きるキリスト者を新しい使命へと導く画期的な書。現代を代表する新約聖書学者による、新しい神義論の試み。

 『悪と神の正義』は、2003年に私がウェストミンスター寺院で行った一連の講義として始まりました。それまでの18か月、英国やアメリカのニュースの見出しは、2001年9月11日にニューヨークとワシントンで起きた恐ろしい出来事と、それに続く、大西洋両岸の指導的な政治家の憂慮すべき弁舌に占められていました。彼らは「悪」について、あたかもそれが突然現れて対処を必要とする新しいことであるかのように語っていました。
 政治家たちの弁舌は教会や神学界にいる私たちには、二つの理由から奇妙に聞こえました。第一に、私たちは一度として「悪」が消え去ったとは考えたことがありませんでした。……第二に、キリスト教の福音は、もし「悪」に立ち向かい「悪」の問題を解くべきだとすれば──それがどのような意味にしろ──それは、善良で賢明な創造主である神ご自身の御業によるしかないと示しています。そして、人間たちをおびき寄せて彼ら自身に対しても他人に対しても破壊的な信念や行為に向かわせる闇の諸力に対して、神は実際、イエスに関する福音の出来事で決定的に重大な勝利を成し遂げてくださったと示しているのです。この両方の理由から、当時、「悪の問題」についての新たな分析がふさわしく思えました。(「日本語版への序文」より)

【目次】

日本語版への序文
序文

第一章 悪を語ることはいまだにタブーになっている──悪の新しい問題

 序
 悪の新しい問題
 新しいニヒリズム──ポストモダニティ
 悪の微妙な見方へ
 結論

第二章──神は悪に関して何をなしうるか? 不正な世の中、正義の神?

 序
 祝福を更新するために
 解決の民、問題の民
 私の僕イスラエル、私の僕ヨブ
 結論

第三章 悪と十字架につけられた神

 序
 福音書を読み直す
 悪に対するイエスの態度
 悪の敗北についての初代キリスト教徒の見方
 結果──贖罪と悪の問題

第四章 悪が存在しないと想像してごらん──解放された世界を約束する神

 序
 幕間──悪を「サタン」と呼ぶこと
 悪のない世界
 仲介の務め
 想像力を教育する
 結論

第五章 われらを罪より救い出したまえ──自分自身を赦し、他の人々を赦すこと

 序
 悪に対する神の最終的勝利
 現在の赦し
 結論


訳者あとがき

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書評

「悪の問題」とどのように取り組めばよいか?

横田法路

 本書のタイトルが示すように、今世界で最も注目を集めている英国の新約聖書学者N・T・ライトは、わたしたちが悪の問題に向き合うことの今日的必要性を論じる。多くの場合、わたしたちは悪の存在を無視しようとする。その結果、面と向かって悪に襲われた時、わたしたちは動揺し、悪に対して未熟な反応をしてしまう(9・への一連の反応が、本書の執筆の背景にある)。

 悪の問題は、しばしば神議論の問題として取り扱われてきた。「全能かつ善なる神がおられるなら、どうしてこの世界に悪や苦しみがあるのか」という問いに対し、神の正義の、論理的な説明を試みるのである。

 しかしながらライトが本書でとるアプローチは、それとは異なり、聖書が語っている内容と、その語り方に注目する。本書の核心部分において、福音書におけるイエスの物語が取り上げられる。それは、「神が悪に、受肉したご自分に最悪のことをなすがままにさせることによってあらゆるレベルの悪に対処する行為の物語」であり、そこにおいて悪は「自分たちの力を消耗し尽くしてしまう」(一二七─一二八頁)のである。もちろん、この十字架理解は、イースターの視点からのみ得られるものであるが、その時点から、イエスの従順な死によって成し遂げたことが見え始めるのである。

 このイエスの死と復活が成し遂げたことは、「世界から悪をすべて取り除き、正義と美と平和の新しい創造を確立しようとする神の究極的な目的の基礎であり、モデルであり、保証である」。そして神の未来は、イエスにおいてすでに現在に突入している。
 それでは、教会の務めは何であろうか。一つは、十字架の上で成し遂げられたキリストの勝利を実行すること、すなわち、「苦難を受け入れる愛を通して、この世に神の勝利を実行していくこと」(一二二頁)である。もう一つは、神が約束してくださった未来の世界(悪からすっかり解放された最終的な世界)を、聖霊によって先取りすることである。

 このような教会の務めの実践として重要なのが、十字架と聖霊による「赦し」である。  「私たちが約束されていることは、神が、すべては良く、あらゆるものごとはみな良くなる世界を造ってくれるであろうこと、その世界では、赦しが礎石の一つで、和解がすべてのものを一つにまとめるセメントになるということだ。……私たちは、イエスや聖霊の業から流れ出る赦しを、奇妙で力強いこととしてありのままに理解するとき、神が私たちを赦し、私たちが他人を赦すその赦しが、罪や怒りや恐れや死を私たちに縛りつけている呪縛を断ち切るナイフなのだということに気づき始める」(二〇一─二〇二頁)。

 したがって、「悪の問題」に対するわたしたちの第一の務めは、ライトによれば、「解き得ない哲学的問いに答えるよりもむしろ、『この悪の世』のさなかにあってさえも、イエスの死に基づき彼の聖霊の力において神の新しい世界のしるしを生まれさせる」(九頁)ことなのである。

 以上が本書の概要であるが、最後に感想を少し述べておきたい。「自然災害」によって、突然の苦しみの中に置かれた人たちと関わらせていただく機会がある。そのような苦難に対して、正直、私には説明できないことや、沈黙せざるを得ない場面が多々ある。反対に、無理して語った説明の言葉が、空虚に響くこともある。しかしながら聖書は、「悪の問題」に対しての説明を第一義的に与えようとしているのではなく、「悪について神が何をなしてくださったか、何をなしてくださっているか、そして何をなしてくださるだろうか」(六〇頁)を明らかにすることで、今日のわたしたちが「悪の問題」に、どのように取り組むのかを、つまりは、「神の新しい世界のしるしを生まれさせる」ことを教えているというライトの指摘は、「悪の問題」に取り組もうとする者たちに、謙虚さと共に、勇気と希望を与えてくれる。

(よこた・ぽうろ=NPO法人九州キリスト災害支援センター理事長)

『本のひろば』(2018年9月号)より