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内容詳細

ストロマテイス(綴織)2

真に神を知る「覚知」とは何か
「アレクサンドリア学派」を代表する初期ギリシア教父クレメンスの主著。異教徒への福音宣教と、異端を論難するため、地上のあらゆる文化的遺産の中にキリスト教の真理が先んじて遣わされていたとして、初期ギリシア哲学者や古典期詩人、史家たちのおびただしい作品を援用した。本書が唯一の典拠となるものもあり、古代哲学史・ギリシア古典文学研究に必須の資料。2分冊のII(第5巻〜第8巻)では、「覚知(グノーシス)」に関する論述を中心に、ロゴス論や教会論、聖餐論を展開する。

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書評

真の信仰者の姿勢を問い、明示した教父の主著

阿部仲麻呂

 このたびアレクサンドリアの聖クレメンス(一五〇頃―二一五年以前)による『ストロマテイス』が完訳された。まさに稀有な翻訳であり、慶事である。聖クレメンスと言えば、古代のギリシア教父として著名である。キリスト教の教会共同体において、ギリシア語でキリスト教神学に関する著作を遺した文筆家が「ギリシア教父」と呼ばれている。しかしギリシア教父は単なる文筆家に留まらない。むしろ活ける信仰者として信徒たちを愛情深く導いた牧者であった。相手を支えて神と出会わせる霊的指導の熟達者が「牧者」と呼ばれている。

 本書は『ストロマテイス』の後半部である。つまり、クレメンスによる信仰論の第五巻から第八巻までの記録の邦訳である。前半部(既刊)では、キリスト者の信仰生活の基本事項(哲学と信仰との関係、信仰と善行、婚姻、殉教者と完全な覚知の域への到達者)を明確に論述している。後半部では、「真なる覚知」とは何かを集中的に述べている。こうしてクレメンスが「真なる覚知」に到達するための前提(第一巻から第四巻)と道行き(第五巻から第八巻)とを読者に指南していることが理解できる。ということは、クレメンスが『ストロマテイス』の論述をとおして、哲学を準備段階として信仰の領域へと読者の人生の視点を深めることを目指していることが看取される。

 特に第七巻が重要である。「覚知者」(グノースティコス)は真の敬虔さを身につける。敬虔さとは神への敬意と信頼を表明して愛情に満ちた行いを現世で貫徹させる信仰者の姿勢である。この姿勢は古代から近代に至るキリスト者の生き方の核心として常に再確認されつつ堅持される。二世紀から四世紀に、物事の真相を認識することを閉鎖的に独占したエリート集団によるグノーシス主義思潮がはびこり、庶民層の人間的尊厳や可能性が軽視される状況が存した。その暴挙と徹底的に対峙し、万人のいのちの尊さと現実生活とを守り抜いたキリスト者にとって敬虔さが独自の旗印となった。その端緒をクレメンスが開いた。真の知者は閉鎖的なエリート主義に陥らず、人々に奉仕して全体を豊かに富ます共存共栄の道を実現する温情を備える。

 ところで『ストロマテイス』とは「綴織(つづれおり)」という意味をもつ。つまり「絨毯(じゅうたん)」のような一枚の布を連想させる。今日の私たちでさえも、居室に絨毯を敷けば、空間がたちまち高級化され、すかさず特別な居場所が創り出されるように実感する。ということは『ストロマテイス』を世に問うことによって、クレメンスが信仰者ひとりひとりの心の奥底に神の居場所をしつらえるための方法論を書き遺したことが容易に理解できる。しかも、「綴織」から連想されるように、クレメンスがかなりの時間をかけて丹念に古代ギリシア文化のさまざまな分野の智慧を集約した格言を精査しつつも美しい模様となるように巧みに調和させ、壮麗なる一大絵巻を完成させたとも言える。

 クレメンスは古代ギリシア文化の諸学問や哲学の素養を備えつつもキリスト者としての信仰の立場を、死をも怖れぬ決然たる覚悟をもって選び取った。彼の旅路は、その後の西欧文化の模範となったばかりか、今日の私たちの東アジア圏域における信仰者の歩みの拠りどころともなる。なぜならば、あらゆる地域の人間たちは、自分たちの生きている地平における思考法や生活習慣を決して捨象することができないからである。誰もが自分の生存空間の枠組みのなかに土着するかたちで、しかも高邁なる信仰者としての志を保たねばならないのだから。その意味で、人類は土着しつつも普遍的に上昇するという洗練された生き方を目指さねばならない。

 私事を書こう。三〇年前、古代から中世にかけての西欧哲学を専門的に学んだ際に『ストロマテイス』という著書名が妙に印象に残った。この書名を心のなかで唱えるたびに自分が高尚な人間になったかのように錯覚し、いつかは重点的に研究したいと念願した。こうして幾度か原典を参照しつつ内容をつかみ取るべく格闘したが、さまざまな古典文献の精華を凝縮した文体には歯が立たずに難儀した。ところが、畏敬する秋山学先生が見事な全訳を完成させた。深く感謝したい。秋山先生は西洋古典学の大家であり(『教父と古典解釈――予型論の射程』創文社、二〇〇一年)、キリスト教神学の核心にも通暁し(『ハンガリーのギリシア・カトリック教会――伝承と展望』創文社、二〇一〇年)、研究者としての冷徹な客観性のみならず礼拝や瞑想の奥義をも体得たうえでの独自の思索を展開する(『律から密へ――晩年の慈雲尊者』春秋社、二〇一八年)。しかも誠実な教育者でもある。クレメンスの生き方そのものが秋山先生の生き方に響き合って顕在化する。

(あべ・なかまろ=日本カトリック神学会理事)

「本のひろば」(2018年11月号)より