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内容詳細

救いの見えない現実世界の苦しみをすべて、イエスに向かってぶつけろ!! 

目の前に広がる絶望に満ちた現実世界。理不尽に苦しむ人々に自分は何ができるのか? 孤独と闘い、イエスにぶつかり続けた牧師が、矛盾だらけの聖書に食らいつき、絞り出した魂の叫び! 

〈悩んだまま〉を赤裸々に語り好評を得たインターネットラジオ番組「もっとイエスにぶつかる」(キリスト教放送局日本FEBC)シリーズに書き下ろしを加えて贈る、関野牧師初の説教集!

 

【目次】

プロローグ イエスはどこにいるんだ? 

Ⅰ 神は信じるものではなくて疑うもの

#1 イエスは折れたぶどうの木 

#2 クリスチャンにならずともキリストを信じる 

#3 信仰など持っちゃならない。いや持てないんだ 

#4 救い主とか、そういうのいらないんだよね 

#5 洗礼の悲しみ 

#6 洗礼は人生の特効薬ではない 

#7 聖者の怒り 

  #8 同調圧力なんて完全無視で良い 

 

Ⅱ 神さま、こんなわたしを救ってよ!

#9 希望も光も品切れ中 

#10 誰も救えない、それでもあなたに会いに行く 

#11 悪から救い出したまえ 

#12 前例もタブーも越えて 

#13 日曜日午前一〇時半の教会は終わる 

#14 わたしは神の子を天国から追い出した 

#15 ボロボロでカラカラのイエス 

 

Ⅲ 絶望よ、さあ、かかってこい!

#16 キリストの十字架は失敗だったのか 

#17 信じ続けるよりも疑い続けることを

#18 聖書は聖なる絶望の書物

#19 赦せないよな、赦さなくていいよ 

#20 ユダは裏切り者なんかじゃないだろう? 

#21 内輪に嫌われ、アウェイに愛される 

#22 クリスマスはキリストが死んだ日 

#23 神から逃げられない─ パンデミックの中の渡米 

エピローグ 今日も地獄の真ん中で泣いて、少し笑う

 

  • 著者紹介

関野和寛(せきの・かずひろ)

青山学院大学国際政治経済学部卒業、日本ルーテル神学校卒業、香港ルーテル神学校博士課程修了。2006年より14年間、新大久保にあるルーテル東京教会での牧師として働き、2020年コロナパンデミックの中渡米。アメリカ、ミネソタ州アボットノースウェスタン病院チャプレン(病院聖職者)として主にコロナ病棟や精神科病棟で人々の魂に寄り添う(2021年7月現在)。ロックバンド「牧師ROCKS」リーダー。

著書  『すべての壁をぶっ壊せ!――Rock’n 牧師の丸ごと世界一周』(日本キリスト教団出版局、2018年)、写真家緒方秀美×牧師関野和寛イスラエルフォトメッセージブック『ROCKERS OF THE HOLYLAND』(キリスト新聞社、2019年)、『神の祝福をあなたに。――歌舞伎町の裏からゴッドブレス!』(日本キリスト教団出版局、2019年)など。

《チラシ表》

《チラシ裏》

【推薦のことば】

捨て身で生きる伝道者の姿を見る

牧師がこの世に立ち向かおうとするなら、捨て身で生きねばならない。捨て身とは何か、その様を多様な角度から見せてくれる本である。その姿勢は、関野牧師が長きにわたって牧会した教会での働きと環境に起因している。教会は新宿歌舞伎町に近く、さまざまな階層の人が住み、異国情緒が入り交じる環境の中にある。そこで得た牧師としての赤裸々な牧会体験が本書を生み出した。同書を一旦読み始めると、読者は終わりまで一気に読み進むであろう。

(賀来周一 日本福音ルーテル教会定年牧師)

 
イエスを伝えようとする情熱と愛に敬服
 
「坊さんの良さは顔と姿と声に出る?」
関野牧師にはじめて会った時まさにそう思った。坊さんで大事なことは、飾りではなく本人から滲み出るものがあるかどうかなのだ。牧師は常にどん底にある人と共に苦しみ、寄り添う。そして、時に自身も信仰に苦しみながら矛盾と不条理に立ち向かってゆく。難解といわれる聖書だが、本当のところ、イエスの言わんとすることはこういうことなのだと、真っ向正直に伝えようとしてくれる。その情熱と愛に敬服させられた。世の宗教を問わず広くお勧めしたい感動の一冊だ。
仏は言った「地獄じゃないと君と会えないよね」。「イエスもきっと同じことを言うだろうね」。
(永井宗直 臨済宗建長寺派満願寺住職)
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書評

<本のひろば2021年12月号>

リアルな叫びが心を揺さぶる
〈評者〉伊藤悟

本書はキリスト教放送局日本FEBCにおいてラジオ放送された関野和寛牧師の「もっとイエスにぶつかる」のシリーズから一三編、それに新たな書下ろし原稿一二編を加えたメッセージ集で、本書の各ページでイエスにぶつかる関野節が爆裂している。
読み終えて、非常に後味が悪い。読者の腹を縦横無尽にえぐるからだ。説教者や牧会者にとってはそのえぐられ方はなおのこと酷い。牧師は説教のたびごとに、それは会衆に向けて語るが、いやそれ以上に自らに向けて語ることになる。自分のなかにあるどうしようもない自分が、自分の説教によって露わにされ、本当にそのように語ってよいのか、本当にそう信じて語っているのか、いったいお前自身はどうなんだ、という問いの矢が四方八方から降ってくる。
本書は、リアルな私にリアルに問いかけ、牧師や信仰の原点ともいうべきところへと私を引き摺り出していく。その意味で、後味が悪い。
牧師のごまかし、手抜き、欺瞞、本音、嗚咽、抱えている闇、不安、蓋をしてひた隠しにしてきたもの、放置してきたもの、後回しにしてきたもの……。それらを自身の経験を踏まえて赤裸々に表に出し、本気でイエスにぶつかろうとする関野牧師の勢いに圧倒される。
いくつか関野牧師の言葉を紹介しておこう。
「あやまちや弱さに満ち溢れた本当の人間、汗と涙と罪の匂いがする人間に戻れる時にこそ、はじめて魂を揺さぶるイエスのことばに出会うことができる」(33頁)。
「イエスのことばを遠くから傍観して聞いているだけなら楽だ。だが、そこから一歩踏み出しイエスのことばのように生きようとする時、そこには激しい苦しみが伴う」(81頁)。
「そうだ、その通りだ。自分のことを思っている。『神を愛し、隣人を愛せ』といつもひとに説きながら、愛しているのは自分自身だ。(中略)神のことを思い、ひとに説いているようでいて、結局は自分を握りしめている」(101頁)。
「これまでわたしは神に全力で抵抗し疑ってきた。(中略)
けれども行き詰まるたびに、絶望するたびに、なぜかそこに十字架のイエスがいるのだ」(200頁)。
一編一編が聖書メッセージ(説教)であるが、聖書の言葉がメッセージの前ではなく後に付されているのは本書編集の特徴である。爆裂する関野牧師のメッセージに大いに揺さぶられ、「天国なんてどこにもない」という苦悩渦巻くリアルのなかに立たせられ、そして最後に聖書の言葉がぶつけられる。
また本書は、まるで「飛び出す絵本」のような経験をさせる。聖書の登場人物たち、人々の苦悩や涙、そしてイエスの言葉が、読んでいる者の目の前に次々と飛び出してくる。息遣いも聞こえてくる。「神よ! ふざけるな!」という叫びも一緒に響きわたる。と同時に、「それでもキリストと共に生きるってどういうことよ」との問いが迫ってくる。本書を通して、多くの方々にその経験をしてほしい。とりわけ、教会のこと信仰のことで行き詰まっている方々、キリスト教に懐疑的なイメージをもっている若者たち、日々福音を語る牧師、キリスト教学校の教師たちにお勧めしたい。「すべての悩み、苦しみをイエスにぶつけろ!」
関野和寛牧師は、14年間牧会した教会を辞し、パンデミックのなかアメリカに渡り、病院チャプレンとしてコロナ病棟や精神科病棟で人々の魂に寄り添う毎日を送ってこられた。死や怒りや絶望に直面する壮絶な状況下にあって、「目の前の現実を前に神を疑い、神に怒り、神を見失いながら、それでも神に喰らいつき、ことばを絞り出していった」(212頁)伝道者関野和寛の叫び。外では銃声とサイレンが毎日鳴り響いていたという。

伊藤悟(いとう・さとる=青山学院大学教授)