※在庫状況についてのご注意。
内容詳細
ゴッホが描き出した芸術世界の真実とは?
観る者の魂を揺さぶる強烈なエネルギー――。ゴッホを独特の絵画表現へと駆り立てたものは一体何だったのか? 牧師の夢に破れキリスト教に複雑な感情を抱いていたゴッホを宗教的人間として捉え、作品と手紙の手堅い分析からその絵に示された世界観を解き明かす。画家ゴッホの深層に迫る、ダイナミックで犀利な思索!
カラー図版を多数収録(口絵48頁)。
【目次】
図版
序
コラムI ゴッホの人生と芸術
コラムII 「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」に寄せて
あとがき
註
図版目録
参考文献
ゴッホの略年譜
東京大学教養学部卒業。ベルギー・ルーヴァン大学に留学。現在、尚絅学院大学准教授。
ヨーロッパにおいて、ゴッホに関するフィールドワークに従事する。ゴッホの暮らした土地、描いた場所、関連美術館などを隈なく調査する。
書評
あらわれ出る聖性
島薗 進
プロテスタントの牧師の息子だったゴッホ(1853─90)は16歳以後、画商として働くなどした後、聖書を熱心に読みふけり牧師になろうともしたが挫折し、27歳でようやく画家になる決意をする。不遇のまま36歳になる頃から精神病院で多くの時を過ごすに至り、自らいのちを絶ったのは退院して2ヶ月余り後のことだ。この10年間に描いた作品は後世の人々の心を揺さぶり、あるいは深い慰めをもたらすものとなった。
2017年刊行の『ゴッホと〈聖なるもの〉』(新教出版社)でゴッホの絵画作品をキリスト教信仰との関わりから読み解いた著者は、本書ではキリスト教の枠を超えた人類史的な宗教性の現れとしてゴッホ絵画を捉えようとしている。美術史研究の蓄積を十分に踏まえた上で丁寧に絵画作品を読み取りつつ、「哲学や思想、宗教人間学の視座から見据える」(9頁)という野心的な試みである。
本書は3章から構成されており、それぞれの章は焦点を当てられた作品をめぐって濃密な論が展開されている。第1章「《馬鈴薯を食べる人たち》──存在の大地」では、1885年にオランダのニューネンで描かれた食卓を囲む5人の農民を図柄とする作品が主題だ。著者は「この絵画では大地に支えられたいのちが前面に出てきている」とし、それを「大地性」とよぶ(45頁)。この作品は、生きとし生けるものを根底から支える大地性の顕現を描いたものだという。
第2章「ゴッホの《ひまわり》」では、1888年に南仏のアルルで描かれた卓上の花瓶にいけられた多くのひまわりの花を描いた作品に焦点が当てられている。ゴッホはアルルにゴーギャンらの画家仲間を招き、理想的な共同体を作ろうと希望に燃えていた。実際は自ら耳を切り落とし、ゴーギャンは短期でアルルを去り、ゴッホは精神病院に入ることになった。その前の段階に光あふれるひまわりの絵画をいくつも描いていた。福音書がソロモンの栄華も及ばないとした草花の輝きがそこにある。「実際、ひまわりは画面に満ちる光と一体となって、美しく装われている。……ただあるがままにある。……その姿が名状しがたいほどに神々しく、光輝にあふれている」(100頁)とある。
第3章「《星月夜》の宇宙」では、亡くなるおよそ1年前の1889年6月にアルルからさほど遠くないサン・レミで描かれた《星月夜》とその前後の夜空や糸杉を描いた作品や自画像を論じている。糸杉は墓と連想されるものだが、教会の尖塔に代わり天に伸びてゆく生命力でもある。そこでは、「宇宙と自己の境界が取り払われ」、生と死の境界も越えていくような境地が描かれており、「最も救いのない状況にあったとき、不思議なことに救いの光が射しこんできたのではないか」(172頁)という。
ゴッホ絵画を人類共通の宗教的な基盤と結びつけて捉えるという視点が、ゴッホの絵に私たちが魅入られる理由を示唆してくれる。ゴッホの作品は画家の意図を超えて、そのような次元に届いているとする。宗教から遠いと感じがちな現代社会に生きる、私たち自身の内奥にある宗教的なものを見直すよう促す書物でもある。
(しまぞの・すすむ=東京大学名誉教授)
『本のひろば』(2025年11月号)より


