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内容詳細

ギリシア教父の神秘主義から中世の神秘家、エックハルト、タウラー、クーザヌス、近代の神秘家。

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書評

ベーメ思想の多彩なる展開

ポーディジ、リード、ブロムリー、フランケンベルク、ギヒテル、ユーバーフェルト、シレシウス、クールマン、アーノルト、ロー著
岡部雄三、門脇由紀子訳

キリスト教神秘主義著作集14
十七・十八世紀のベーミストたち

富田裕

ドイツの神秘思想家ヤーコプ・ベーメ(一五七五‐一六二四)が、当時の正統派をもって自認するルーテル教会から迫害を受けたことはよく知られている。その一因としては神学者でもない一信徒が、三位一体の神を、聖書において書かれた言葉からではなく、父なる神の心臓である子から語り出された、生ける言葉としての聖霊から捉え直し、さらに聖霊が神の身体、つまり神のイメージに満たされた被造物界の生成を動かしている、という考え方をしたことにもあるだろう。しかし彼は、書かれた言葉としての聖書は、聖霊を父から送られて子によって循環する生命の血として認めることで、改めて解き明かされるとして、むしろ聖書を尊重したのである。この生命を与える聖霊が完結させる神の底知れぬ知恵の完全性は乙女ソフィアとして描き出された。この乙女はペルソナではなく、三位一体の奥義を人間が口で味わい、鼻で嗅ぎ、手で触り、目で見、耳で聞こえるように助ける聖霊の働きのもたらすエデンの果実なのである。
本書において紹介されている十七世紀から十八世紀にかけてのベーミストたちは、このソフィア像を、それぞれ表現を変えて描き出し、「乙女ソフィアは、かれらそれぞれの人生につきそう伴侶」(南原実「解説」、本書六九二頁)としてあらわれることになった。もちろんこの女性的表現が三位一体を侵しやすい危険性を孕んでおり、あたかも四位一体であるかのような欺瞞を招かせることもベーメ研究者によって指摘されているが、それでも最初の人間アダムの内にいたというソフィアが原罪によって離れ去り、彼はもはや五官で三位一体の秘儀を体感することができなくなってしまった、というベーメ思想には、書かれた聖書の言葉をのみ金科玉条にして、実際の信仰生活にはまったくその言葉が反映されていないキリスト者に対する鋭い批判が見られるのである。本書に登場するイギリス(ポーディジ、ブロムリー、ローのような聖職者を含むオックスブリッジ出身の知識人、女性神秘家リード夫人)、ドイツ(ベーメ全集の基盤を作った貴族フランケンベルク、アムステルダムで全集を完成させたギヒテル、彼を編纂において助けたユーバーフェルト、イエス・ミンネを歌ったカトリック改宗者シレシウス、モスクワで火刑にされたクールマン、ソフィア論を体系化した神秘神学者アーノルト)の思想家たちは、いわゆる「死んだ福音」の現実に失望し、その現状への挑戦として彼らのベーメ理解を深化させていった。
この流れに続く十八世紀以降の信仰覚醒運動の大事件であるJ・C・ブルームハルトによるあの「イエスは勝利者なり!」の叫びも、ベーメ思想が間接的にも教会史のなかに水脈として認められるしるしである。つまり「おまえ自身のうちに主に油を注がれた預言者であるキリストが形作られる」(リード「数多の庭を潤す泉」、本書八八頁)ゆえに、キリスト者はナザレのイエスと同じ権威を悪魔に対して行使できるのである。それはキリストの香りを放つ衣を身に纏う者に与えられた約束である。なぜならイエスは第二のアダムとして、ソフィアを再び人間のうちに回復する父なる神の長子であり、彼の送る聖霊は「全被造物を[・・・・・・]知恵〔という鏡〕のなかに眺め見」(ギヒテル「書簡」、本書二八七頁)ることで、ソフィアが獣の皮の代わりに人間の衣となるからである。そこにはマイスター・エックハルトが言うように神となった人間の姿がある。
「この地の穏やかな人々」であるベーミストたちが聖霊の時代を予感しながらも、根本的には聖書に対する忠実さと三位一体への従順さを変えることがなかったのを見れば、そこには神の秘儀を相対化させようとする現代神学の傾向への問いかけだけでなく、聖霊降臨を五官で体験した使徒たちの信仰をもういちど燃え立たせようとする熱意が垣間見えるとは言えないだろうか。
(とみた・ひろし=ドイツ文学研究者)
(A5判・八〇四頁・定価八九二五円〔税込〕・教文館)
『本のひろば』(2011年1月号)より